大正13年4月に建て直した店を、伊勢丹は昭和8年9月に閉じた。同じ会社が同じ土地について、9年の間に正反対の決定を二度下している。効いたのは、再建した店を"地の利が悪く"と早い時期に見切った点にあるとみられる。いったん投じた金を惜しんで神田に留まる選択肢はあり、資本金50万円という規模なら、そちらの方が安全でもあった。二代目小菅丹治氏が退路を残さない移転を選べたのは、震災で店を失った経験が、建物より土地を疑う目を残していたからかもしれない。
新宿が東京有数の商業地になることを、1930年の伊勢丹は知らない。既存の商業地としては銀座や日本橋の後にくる場所であり、人の流れを変えつつあった郊外電車の発達も進行中の出来事にすぎなかった。移転が正しかったと言えるのは、その後を知っているからにすぎない。売場を1万余坪まで広げた勢いも、昭和13年4月の第三期増築の中止によって外から止められた。判断の当否を決めたのは伊勢丹の読みだけではなかったといえる。