ユー・エス・エス地方オートオークション会社の連続買収と、買収会場のUSS方式への作り替え
会場を新しく建てるか、既にある会社を買うか——服部太社長が選んだ会場網の広げ方
- 概要
- 1999年9月の名古屋証券取引所第2部への上場を機に、ユー・エス・エスは中古車オートオークションの会場網を買収で広げた。2000年4月のサールオートオークション東北の完全子会社化を皮切りに、アールエーエィ、ケーユーエィ北陸、藤岡インター・オートオークションと地方の運営会社を相次いで傘下に収め、いずれもUSSの商号へ改めたうえで会場そのものを建て直した。
- 背景
- 中古車の登録台数は1992年に新車を上回り、1998年には795万台のうち約470万台がオートオークションで取引されていた。一方で会場の新設は3,000台規模なら土地を含めて55億〜60億円を要し、国内には大小140余の会場が既にあった。
- 内容
- 株式交換や第三者割当増資の引き受けによって既存の運営会社を子会社化し、商号をUSSへ改めたうえで、会場を新築移転または新設した。USS東北会場は買収から9か月後に宮城県刈田郡蔵王町から柴田郡村田町へ移している。
- 含意
- 会場は8か所から19か所へ、市場シェアは約2割から約4割へ広がり、オートオークション事業の営業利益率は6割を超えた。ただし買った会場がすべて残ったわけではなく、2011年には流通会場がUSS東京会場へ統合されている。
買うか、建てるか
この連続買収を、規模を買ってシェアを積み上げた話とだけ読むと、判断の芯を外す。ユー・エス・エスにとって会場の新設は、3,000台規模なら土地を含めて55億〜60億円を要する重い投資で、1999年3月期の連結当期純利益27億円の2倍を超えていた。既にその地域で営む会社を買えば、用地も建物も、そこへ通う販売業者の足も一度に手に入る。服部太社長が選んだのは、土地と時間をまとめて買う手段としての買収であった。
もっとも、買った会場がそのまま残ったわけではない。2005年に手に入れた流通オートオークションの会場は、2011年7月にUSS東京会場へ統合されて姿を消した。地域ごとに置いた運営会社も2012年10月に本体へ吸収され、買収のたびに増えた法人はかえって減っている。買って作り替え、要らなくなれば畳む——この会社が続けてきたのは、会場を数えて増やす作業ではなく、出品台数の集まる場所を選び直す作業であったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
新車を上回った中古車と、会場に集まる流通
中古車の流通は、1990年代を通じて新車を上回る規模に育っていた。1992年に中古車の登録台数が新車を超え、その差は開く一方で、1998年の中古車登録台数は795万台に達している。うち約6割にあたる約470万台がオートオークションで取引され、ユー・エス・エスグループの出品93万台は市場の約20%を占めていた。会員は19,153社、現車オークション会場は全国8か所であった[1]。
この事業の収益は、車を仕入れて売ることからは生まれない。収入は会員から受け取る出品・成約・附帯の手数料で、支出の主なものは人件費である。事務処理の大半をコンピュータが担うため、3,000台を扱っても5,000台を扱っても人件費の差は限られ、取扱台数が伸びるほど利益の伸びがそれを上回る。1999年3月期の単体決算は売上高118億41百万円に対して経常利益51億46百万円、経常利益率43.5%と過去最高を記録していた[2]。
会場をひとつ増やすことの重さ
台数が増えるほど利益が伸びる構造であれば、会場は多いほど有利になる。ただし新設の負担は軽くなかった。服部太社長が1999年に示した見積もりでは、土地を別にして1,500台規模の会場で15億〜20億円、3,000台規模で30億〜35億円を要し、土地を含めれば3,000台規模で55億〜60億円に達した。同社の1999年3月期の連結当期純利益は27億円で、会場ひとつが1年分の利益を大きく超える買い物にあたる[3][4]。
一方、国内には大小合わせて140余のオークション会場が既にあった。中古車の会場は、周辺の販売業者がどれだけ足を運ぶかで出品台数と落札の厚みが決まり、規模の小さい会場ほど相場を形づくる力を持ちにくい。用地を探して一から建てる道と、その地域で既に会員と出品車を抱えている会社を買う道が並んでいた。服部太社長は同じ講演で、企業の壁を越えた他社会場との相互乗り入れにも触れている[5]。
決断
上場と、会場網を倍にする計画
1999年9月10日、ユー・エス・エスは名古屋証券取引所市場第2部へ株式を上場した。同じ月にユー・エス・エス群馬を議決権比率60%で子会社とし、翌10月には群馬県藤岡市に群馬会場を開いている。上場直後の投資家向け講演で、服部太社長は現車オークション会場が8か所であることを述べたうえで、群馬をはじめ仙台、神奈川、大阪など4〜5会場を2002年までに増設し、計12〜13会場とする計画を明らかにした[6][7]。
増設の中身は、新しい土地に会場を建てることばかりではなかった。2000年4月、ユー・エス・エスは株式交換によってサールオートオークション東北を完全子会社化し、商号を「株式会社ユー・エス・エス東北」へ改めている。同じ月に宮城県刈田郡蔵王町でUSS東北会場を開設した。講演で名指しした仙台圏への進出は、用地の取得からではなく、既にその地で会場を営む会社の買収から始まった[8]。
買った会場を作り替える
買収は商号の書き換えで終わらなかった。2001年1月、USS東北会場は宮城県刈田郡蔵王町から柴田郡村田町へ新築移転している。子会社化から9か月しか経っていない。ユー・エス・エスは各会場に専門の検査員を置き、落札価格を集めた相場情報誌「グリーンブック」を業界の値づけの基準に育てていた。買い取った施設をその仕組みに載せるには、施設の側を作り替えるほうが早かったとみられる[9][10]。
同じ型は繰り返された。2005年2月、株式交換でアールエーエィを完全子会社化し、その子会社の流通オートオークションを「株式会社USS流通オートオークション」へ商号変更している。2007年3月には株式交換でケーユーエィ北陸を完全子会社とし、同じ月に石川県加賀市で北陸会場を開いた。翌4月には第三者割当増資の引き受けで藤岡インター・オートオークションを議決権比率51.1%の子会社とし、翌月に藤岡会場を開いている[11]。
結果
買い集めた会社を、本体へたたむ
買い集めた運営会社は、そのまま並べ置かれたわけではない。2011年7月、USS流通会場がUSS東京会場へ統合された。同年10月にはUSS群馬がUSS新潟を吸収合併して商号をUSS関越へ改め、2012年10月にはUSS札幌・USS東北・USS北陸・USS関越・USS岡山の5社をユー・エス・エス本体が吸収合併している。地域ごとの運営会社を連ねる形から、本体が会場を直接運営する形へ移った[12]。
買収の対象は地方の中小会場にとどまらなかった。2017年1月18日、ユー・エス・エスは同業大手のジェイ・エー・エーを買収することで合意したと発表している。当時のユー・エス・エスは会場17か所・2016年3月期の連結売上高686億円で市場シェア約3割、ジェイ・エー・エーは東京都と神戸市に会場を持ち、売上高96億円でシェア約1割であった。同年8月に株式66.0%を取得し、2018年3月に完全子会社としている[13][14]。
高い利益率は、どこから来ているか
20年余りの積み重ねは、シェアの数字に表れた。週刊東洋経済は2024年、ユー・エス・エスが全国19の会場を運営して市場シェアの約4割を握ると伝え、衛星TVとインターネットによる外部応札の仕組みを早くから作ったことに加えて同業他社のM&Aも進め、過去20年間でシェアを約2割から約4割へ伸ばしたと書いている。オートオークション事業は全社売上高の約8割を占め、その営業利益率は6割を超えていた[15]。
業績の伸びも会場網の広がりと重なる。1999年3月期に150億円だった連結売上高は、2024年3月期に976億円、営業利益は489億円へ届いた。同じ期間に現車会場は8か所から19か所へ増えている。ただし利益率でみれば、1999年の時点で既に単体の経常利益率は43.5%に達していた。買収が生んだのは利益率の飛躍というより、同じ利益率で回せる会場と出品台数の量であったとみられる[16]。
- 証券アナリストジャーナル 1999年10月号「企業 ユー・エス・エス」(服部太社長 講演、1999年9月22日)
- ユー・エス・エス 有価証券報告書【沿革】(第26期・第28期・第38期)
- 日本経済新聞(2017年1月18日)「中古車オークションのUSS、同業大手を買収」
- 週刊東洋経済 2024年2月24日号「【特集 もうけの仕組み 2024】8 つなげて稼ぐマッチングモデル 中古車 USSがオークションで断トツの利益を稼ぐ理由」
- ユー・エス・エス 有価証券報告書(1999年3月期・2024年3月期・連結)