ツムラ の歴史

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創業 1893年
創業者 津村重舎
創業地 東京市日本橋区
創業
1893年4月、初代津村重舎氏が東京・日本橋で個人経営の中将湯本舗 津村順天堂を創立した。奈良県宇陀郡の旧家に生まれた重舎氏は、母の実家に代々伝わる婦人薬『中将湯』を製品化するために上京し、創業と同時にこれを売り出している。1895年には日本初とされるガスイルミネーション看板を東京の街頭へ掲げ、売薬で得た利益を広告と設備へ充当した。1924年に津村研究所と津村薬草園を開設し、1930年には芳香浴剤バスクリンを発売する。1936年4月に株式会社津村順天堂となり、1980年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場、1988年10月に株式会社ツムラへ商号を変更した。
決断
入浴剤の利益で漢方の研究を支え、漢方が育つと入浴剤を売却した。1930年発売のバスクリンが高度成長期に伸びると、2代目津村重舎氏はその利益を1924年開設の津村研究所へ充当し続けた。1976年9月に医療用漢方製剤が薬価収載されると、治験を課さない特例が続いた11年間に129品目の許可を取得する。ただし1990年代には化粧品と美術品輸入へ広げた子会社に約180億円の累積損失が積み上がり、1995年に創業家の外から社長を招いて多角化子会社を整理した。2008年8月には入浴剤バスクリンの事業を約46億円で譲渡し、医療用漢方だけを扱う会社になった。
現況
国内の医療用漢方製剤は、8割超をツムラ1社が供給している。2026年3月期の売上高1,926億円のうち、日本が1,620億円、中国が270億円を占める。前期の2025年3月期は66品目が不採算品再算定を受けて薬価が引き上げられ、営業利益は401億円と過去最高を更新した。薬価の下落が続いた漢方で、引き上げは異例の改定にあたる。原料生薬の8割以上を中国産に依存する調達構造から、2017年9月には中国平安保険と資本業務提携を結んで273億円を調達し、調達地だった中国を売り先にも変えた。2026年には薬用酒の養命酒製造を子会社化する方針を示している。
競合
同じ漢方でも、ツムラだけが医師の処方箋の側に立った。治験を課さない特例期間に申請を集中させて129品目を押さえ、品目数2位のクラシエの57品目に倍以上の差をつけた。特例の終了後は治験が必須となり薬価も下がり続けたため、後発の参入は割に合わなくなった。1995年には最主力品の小柴胡湯をめぐる副作用報道と前社長の逮捕が重なり、復配は2004年3月期まで6年を要している。2024年にロート製薬がシンガポールの漢方薬企業ユーヤンサンを取得したのも大衆薬の側からの参入で、競う相手が少ない代わりに、価格を決めるのは競合ではなく厚生労働省である。
ツムラ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 家伝の婦人薬「中将湯」から始まり生薬研究の土台を築いた売薬の時代 (1893年〜)

母の実家の家伝薬を売り出した日本橋の売薬商

ツムラの歴史は、1893年4月に初代津村重舎氏が東京・日本橋に開いた個人経営の『中将湯本舗 津村順天堂』[1]から始まる。奈良県宇陀郡の旧家に生まれた重舎氏[2]は、母の実家である藤村家に代々伝わる婦人薬『中将湯』[3]を製品化するため故郷を出て上京し、『良薬は必ず売れる』という信念を掲げて創業と同時に中将湯を売り出した。奈良・当麻寺の中将姫伝説に由来を持つこの生薬製剤は、複数の生薬を煎じて飲む婦人病の妙薬として評判を集め、売薬が医薬の主流だった明治・大正期の業界で、津村順天堂は確固たる地歩を固めた。一つの家伝薬に会社の命運を懸けるという出発点が、後の漢方専業への回帰を貫く原型になった。

  • 有価証券報告書
    • [1]1893年4月に個人経営の中将湯本舗 津村順天堂を創立
  • ツムラ公式サイト「ツムラの歴史 1893年~1945年」
    • [2]創業者は初代津村重舎(奈良県宇陀郡出身)
  • 日本家庭薬協会「家庭薬ロングセラー物語 中将湯」
    • [3]中将湯は母の実家・藤村家の家伝の婦人薬

重舎氏は宣伝にも長けた商人だった。創業からわずか2年後の1895年には日本初とされるガスイルミネーション看板[4]を東京の街頭に掲げて話題を呼んだ。事業の拡大にあわせて1919年には目黒工場の使用許可を得て[5]自前の生産体制を整え、1920年には創業25周年の記念謝恩会を開く[6]までに商圏を広げた。売薬で得た利益を広告と設備に惜しみなく注ぎ込み、一つの家伝薬を全国区の商品に育てるという創業期の型が、この四半世紀でできあがった。

  • ツムラ公式サイト「ツムラの歴史 1893年~1945年」
    • [4]1895年に日本初のガスイルミネーション看板を制作
    • [5]1919年に目黒工場が使用を許可される
    • [6]1920年に創業25周年記念謝恩会を開催
  • 有価証券報告書
    • [1]1893年4月に個人経営の中将湯本舗 津村順天堂を創立
  • ツムラ公式サイト「ツムラの歴史 1893年~1945年」
    • [2]創業者は初代津村重舎(奈良県宇陀郡出身)
    • [4]1895年に日本初のガスイルミネーション看板を制作
    • [5]1919年に目黒工場が使用を許可される
    • [6]1920年に創業25周年記念謝恩会を開催
  • 日本家庭薬協会「家庭薬ロングセラー物語 中将湯」
    • [3]中将湯は母の実家・藤村家の家伝の婦人薬

研究所と薬草園、バスクリンが支えた生薬研究

津村順天堂は売薬商にとどまらず、生薬の学術研究に早くから投資した。1924年に津村研究所と津村薬草園を開設[7]し、1926年には植物分類学の学術誌『植物研究雑誌』の刊行を始めるなど、一介の売薬商としては異例の研究基盤を築いた。1930年に発売した芳香浴剤『バスクリン』[8]は、後に会社を長く支える看板商品となる。1936年4月には株式会社津村順天堂に改組し、個人経営の業務を引き継いで[9]婦人薬中将湯と浴用剤バスクリンなどの製造販売を続けた。1941年に初代重舎氏が死去すると2代目重舎氏が襲名したが、1945年の空襲で本社を焼失し[10]目黒工場も被害を受け、戦後は焼け跡からの再興を迫られた。

  • ツムラ公式サイト「ツムラの歴史 1893年~1945年」
    • [7]1924年に津村研究所と津村薬草園を開設
    • [8]1930年に芳香浴剤バスクリンを発売
    • [10]1941年に初代重舎が死去し2代目重舎が襲名、1945年に空襲で本社焼失
  • 有価証券報告書
    • [9]1936年4月に株式会社津村順天堂を設立し個人経営の業務を引継ぎ

戦後の復興を率いた2代目津村重舎氏は、昭和30年代後半以降、高度経済成長の波に乗ってヒットしたバスクリンの利益を、漢方薬の研究所設立とその維持拡大に投じ続けた[11]『研究所は社長の道楽。なぜ今もうかっているバスクリンにもっと金を投じないのか』[引用元]という社内の反対は相当なものだったと本人が後年振り返っているが、この投資が漢方薬を売上の8割以上を占める柱に育てる[12]土壌になった。事業面では1962年12月に防疫用農薬の津村交易を吸収合併し[13]、1964年4月には静岡工場を建設して目黒工場から生産を移した[14]。もうかる入浴剤で、まだ売れない漢方の研究を支える。この収益構造が次の時代への助走になった。

  • 日経ビジネス 1992年3月9日号
    • [11]2代目津村重舎はバスクリンの利益を漢方薬の研究所設立・維持拡大に投じた
    • [12]漢方薬がツムラの売上の8割以上を占める柱に成長(1992年時点)
  • 有価証券報告書
    • [13]1962年12月に津村交易を吸収合併
    • [14]1964年4月に静岡工場を建設し目黒工場より移転
  • ツムラ公式サイト「ツムラの歴史 1893年~1945年」
    • [7]1924年に津村研究所と津村薬草園を開設
    • [8]1930年に芳香浴剤バスクリンを発売
    • [10]1941年に初代重舎が死去し2代目重舎が襲名、1945年に空襲で本社焼失
  • 有価証券報告書
    • [9]1936年4月に株式会社津村順天堂を設立し個人経営の業務を引継ぎ
    • [13]1962年12月に津村交易を吸収合併
    • [14]1964年4月に静岡工場を建設し目黒工場より移転
  • 日経ビジネス 1992年3月9日号
    • [11]2代目津村重舎はバスクリンの利益を漢方薬の研究所設立・維持拡大に投じた
    • [12]漢方薬がツムラの売上の8割以上を占める柱に成長(1992年時点)

1976年の薬価収載が開いた医療用漢方市場

1976年9月、医療用漢方製剤が健康保険に採用され、薬価基準に収載された[15]。会社の運命を変えた出来事である。特例終了後は漢方薬にも莫大な費用と時間のかかる治験が必須となった一方、薬価は断続的に下がり続けたため投資回収の見込みが立たず、後発の新規参入は事実上閉ざされた。

  • 有価証券報告書
    • [15]1976年9月に医療用漢方製剤が健康保険に採用され薬価収載

医療用への進出は資本市場での評価にもつながった。1980年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、1982年9月には市場第一部銘柄に指定された[16]。1983年10月には茨城工場を新設して研究所を同工場敷地内に移し[17]、医療用漢方製剤の増産と研究の体制を整えた。同年には物流子会社の前身となる富士枝急送にも出資し[18]、1986年8月には本社を東京都千代田区へ移した[19]。1980年代を通じて漢方薬は売上の柱に育ち、1992年時点で売上高の8割以上を占める[20]までになった。売薬と入浴剤の会社から、医師が処方する医療用医薬品のメーカーへと、事業の性格がこの時期に変わった。

  • 有価証券報告書
    • [16]1980年11月に東証二部上場、1982年9月に一部指定
    • [17]1983年10月に茨城工場を新設し研究所を同工場敷地内に移転
    • [18]1983年7月に富士枝急送(現ロジテムツムラ)へ出資
    • [19]1986年8月に本社を東京都千代田区へ移転
  • 日経ビジネス 1992年3月9日号
    • [20]1992年時点で漢方薬が売上の8割以上
  • 有価証券報告書
    • [15]1976年9月に医療用漢方製剤が健康保険に採用され薬価収載
    • [16]1980年11月に東証二部上場、1982年9月に一部指定
    • [17]1983年10月に茨城工場を新設し研究所を同工場敷地内に移転
    • [18]1983年7月に富士枝急送(現ロジテムツムラ)へ出資
    • [19]1986年8月に本社を東京都千代田区へ移転
  • 日経ビジネス 1992年3月9日号
    • [20]1992年時点で漢方薬が売上の8割以上

ツムラへの商号変更とバブル期の多角化

1988年10月、社名を株式会社ツムラに改めた[21]。カタカナ2文字の新社名は、漢方の老舗を現代的な企業イメージへ塗り替える意思表示でもあった。一方で1991年3月には中国・広東省に深セン津村薬業を設立[22]しており、原料生薬の調達拠点という後の中国事業の足がかりもこの時期に築いている。

  • 有価証券報告書
    • [21]1988年10月に株式会社ツムラへ商号変更
    • [22]1991年3月に深セン津村薬業を設立

しかしバブル経済の崩壊とともに、多角化した子会社群は損失の源泉に変わった。この整理の過程は、次章で述べる経営危機と重なった。会長に退いていた2代目重舎氏は1992年、日経ビジネス誌上で[23]、バブル膨張の過程で営業ノルマと論功行賞が当然のように行われてきた結果として何が残ったのかと問い、地道に体質を改善し基礎体力を蓄えることの大切さを説いていた。本業の外へ広がった自社グループの姿への、創業家長老からの警句でもあった。

  • 日経ビジネス 1992年3月9日号
    • [23]1992年に津村重舎会長が日経ビジネス誌上で拡大路線に警鐘
  • 有価証券報告書
    • [21]1988年10月に株式会社ツムラへ商号変更
    • [22]1991年3月に深セン津村薬業を設立
  • 日経ビジネス 1992年3月9日号
    • [23]1992年に津村重舎会長が日経ビジネス誌上で拡大路線に警鐘

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ツムラの沿革1893〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1893〜1975年家伝の婦人薬「中将湯」から始まり生薬研究の土台を築いた売薬の時代個人経営の中将湯本舗 津村順天堂を創立
津村順天堂を設立
婦人薬中将湯・浴用剤バスクリンの製造販売を開始★★
防疫用農薬を製造販売する津村交易を吸収合併
静岡工場を新設、目黒工場より移転
1976〜1994年医療用漢方製剤の薬価収載で市場を独占し多角化にも動いた時代医療用漢方製剤が健康保険に採用、薬価収載され発売★★
東京証券取引所市場第二部に上場
東京証券取引所市場第一部銘柄に指定★★
富士枝急送に出資
茨城工場を新設、研究所を同工場敷地内に移転
本社を移転
ツムラに商号変更
深セン津村薬業有限公司を設立
1995〜2007年前社長逮捕と小柴胡湯の副作用問題を越えて漢方専業へ再建した時代バブル期に広げた多角化子会社の整理と、創業家外からの社長招聘

1995年、ツムラは創業以来はじめて創業家の外から社長を迎え、バブル期に広げた子会社群の整理と有利子負債の圧縮に着手した。1996年度から経営改善計画を進め、1997年3月期には美術品輸入販売子会社の整理にともなう特別損失96億円を計上して、上場以来初の当期損失に沈んだ経営判断である。

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★★★
多角化子会社の整理に着手★★
上海津村製薬有限公司を設立
TSUMURA USA, INC.を設立
芳井順一連結子会社であった日本生薬を吸収合併
2008〜2026年バスクリンを手放し中国平安保険と組んで漢方専業を極めた時代芳井順一子会社ツムラライフサイエンスの売却による家庭用品事業からの撤退

2008年、ツムラは入浴剤『バスクリン』などを扱う連結子会社ツムラライフサイエンスの全株式を約46億円で譲渡し、家庭用品事業から撤退した。買い手はワイズパートナーズが運営するファンドで、実質は同子会社の経営陣・従業員による買収であった。譲渡は2008年8月29日付で完了した。

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★★★
芳井順一夕張ツムラを設立
加藤照和津村有限公司を設立
加藤照和中国平安保険との資本業務提携と、第三者割当による筆頭株主の受け入れ

2017年9月22日、ツムラは中国の保険最大手である中国平安保険(集団)との資本業務提携を発表した。ツムラが実施する第三者割当を平安グループの中国平安人寿保険が引き受け、議決権ベースで10.04%を持つ筆頭株主となる内容で、調達額は273億円であった。

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★★★
加藤照和第三者割当により平安人寿保険が筆頭株主に★★
加藤照和平安津村有限公司を設立
加藤照和平村(深セン)医薬有限公司を設立
加藤照和天津盛実百草中薬科技有限公司の持分を取得
加藤照和プライム市場に移行
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 日経ビジネス 1992年3月9日号
  • ツムラ公式サイト「ツムラの歴史 1893年~1945年」
  • 日本家庭薬協会「家庭薬ロングセラー物語 中将湯」

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