小野薬品工業米Deciphera Pharmaceuticalsの約24億ドルでの買収と欧米販売網の取得

オプジーボ後の柱をどこに求めるか——ロイヤルティ依存から欧米自社販売への転換

時期 2024年4月
意思決定者(推定) 滝野十一・相良暁(代表取締役会長CEO) 社長
論点 オプジーボ依存からの脱却と欧米販売基盤の確立
概要
2024年4月30日、小野薬品工業は米国のバイオ医薬品企業Deciphera Pharmaceuticals社を、1株25.60米ドル・総額約24億米ドルの現金で買収する契約を結んだと発表した。公開買付けを経て同年6月11日に完全子会社化し、消化管間質腫瘍治療薬QINLOCKと欧米の販売網を取得した。小野薬品にとって過去最大の海外案件であった。
背景
主力のがん免疫薬オプジーボは2031年に主要特許の満了を控え、海外収益の大半をBristol-Myers Squibbからのロイヤルティに依存する構造にあった。欧米では他社が販売権を持ち、自前の販売基盤を欠いていた。オプジーボ後の持続的成長には、別のがん領域の製品と欧米で薬を売る体制の両方が課題となっていた。
内容
Decipheraは4次治療の消化管間質腫瘍向けQINLOCK(リプレチニブ)を40か国以上で展開し、腱滑膜巨細胞腫向けの新薬候補ビメルチニブを抱えていた。小野薬品は製品パイプラインとともに、米国・欧州の直接販売網を取り込んだ。買収額は発表前終値に約75%のプレミアムを乗せた水準であった。
含意
ライセンスに委ねてきた欧米市場を自社で担う体制への転換であった。一方で買収に伴うのれん償却と一時費用が重く、2025年3月期の営業利益は前期の1,599億円から597億円へ落ちた。買収の成否は、取得したパイプラインが売上へ育つかにかかる。
筆者の見解

製品ではなく体を買うということ

この買収を、オプジーボ一本足からの多角化という言葉だけで読むと、芯を外しかねない。小野薬品が24億ドルで得たのは、QINLOCKという単品や新薬候補ビメルチニブだけではない。日本・韓国・台湾の外へ出られずにいた同社が、欧米で自ら薬を売る体そのものを買ったことにあるとみられる。滝野社長が「会社ごと買うことも辞さない」と語り、市場規模が自社販売地域の10倍という欧米を自社で担う側へ回ったのは、ライセンスに委ねる収益構造から抜け出す意思の表れであった。

もっとも、その体を手に入れた代償は小さくない。2025年3月期の営業利益はのれん償却と買収費用で前期の1,599億円から597億円へ落ち込み、参天製薬や住友ファーマの例が示すように、中堅の欧米自社販売は成功が約束された道ではない。ビメルチニブの米欧承認は先行きを照らす材料ではあるものの、2031年に迫るオプジーボの特許切れをこの一件で埋めきれるとまでは、まだ言い切れない。買った資産が販売網の上でどれだけ売上に化けるか——その答えが出るまで、この判断の当否は保留されたままだといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

オプジーボ依存と2031年の特許切れ

小野薬品工業は、10年前まで売上高1,400億円規模の中堅であった。2014年に発売したがん免疫薬オプジーボの伸長で、2024年3月期には売上収益5,027億円・営業利益1,599億円まで拡大した。もっとも成長は一剤に大きく傾き、海外収益の大部分は販売権を委ねたBristol-Myers Squibbからのロイヤルティが占めていた。その柱となるオプジーボの主要特許は、2031年に満了を迎える見通しにあった[1][2]

滝野十一社長は、海外からのロイヤルティ収入の大半もオプジーボによるものだと述べ、大型品の特許切れを製薬会社の宿命と位置づけていた。特許切れの後も海外で薬を売り続けられる体制を、以前から検討してきたという。一剤の成長がもたらした高収益を、次の柱と販売基盤の整備へどう振り向けるかが、経営の焦点になりつつあった[3]

欠けていた欧米の販売基盤

小野薬品が自社で薬を売る地域は、日本・韓国・台湾に限られていた。滝野社長によれば、他社が販売権を持つ欧米主要国の市場規模は、自社販売する地域の10倍前後にのぼる。世界の患者に直接薬を届けたいという思いに加え、成長市場である欧米を他社に委ねたままでは、特許切れ後の成長を描きにくいという事情があった。2023年3月期の海外売上比率は4割弱と、国内大手が6〜9割を海外で稼ぐのに比べて見劣りしていた[4]

中堅製薬企業の海外展開は、平坦な道ではなかった。参天製薬は自前での米国進出を二度試みて撤退し、米国子会社を持つ住友ファーマも開発と販売の不振で体制の立て直しを迫られていた。自社販売への転換には相応の投資と時間がかかる。小野薬品は「欧米で戦えるスペシャリティファーマ」を掲げ、2026年までに米国で1品目の自社販売を始める目標を置いていた[5]

決断

会社ごと買うという転換

小野薬品は、他社があまり手がけないタイプの薬を自社で創る研究開発志向の企業として知られてきた。その同社が、自前の開発だけで成長を保つのは容易でないとの認識を強めていた。滝野社長は、適時のライセンス導入に加え「場合によっては会社ごと買うことも辞さない」と語り、開発後期の候補薬を抱える企業の買収も選択肢に据えた。自社創薬への強いこだわりと、外部からの獲得を厭わない現実路線とが併存していた[6]

2024年4月30日、小野薬品は米Deciphera Pharmaceuticalsを買収する契約を締結したと発表した。Decipheraは4次治療の消化管間質腫瘍向け薬QINLOCKを40か国以上で展開し、腱滑膜巨細胞腫向けの新薬候補ビメルチニブを持つ、米マサチューセッツ州の希少がん企業であった。製品と開発品に加え、小野薬品が欠いていた米国・欧州の直接販売網を、まとめて取り込む買収であった[7]

24億ドルという値づけ

買収は現金対価の公開買付けで進められた。買付価格は1株25.60米ドルで、総額は約24億米ドルに達した。この価格は、発表直前にあたる4月26日のDeciphera株終値14.65米ドルに対して約75%のプレミアムを乗せた水準であった。日本の報道は買収額を邦貨で約3,700億円と伝え、小野薬品にとって過去最大の海外案件と位置づけた。公開買付けは成立し、同年6月11日にDecipheraは完全子会社となった[8][9]

買収を担ったのは、この年に整った新たな経営体制であった。2024年6月、長く社長を務めた相良暁氏が代表取締役会長CEOへ移り、滝野十一氏が社長COOを継いだ。買収契約に当事者として名を連ねたのは、代表取締役社長の滝野氏であった。オプジーボ依存からの脱却を最重要課題に掲げる新体制が、その最初の大きな一手として過去最大の海外買収に踏み切った形であった[10]

結果

償却が押し下げた足元の利益

買収の代償は、まず利益に表れた。2025年3月期の連結業績は、売上収益4,869億円・営業利益597億円で、前期の営業利益1,599億円から1,002億円減った。Decipheraの取得に伴うのれんと無形資産の償却、および買収関連の費用が、当期の利益を大きく押し下げた。オプジーボが稼いだ利益を、次の柱の獲得へ振り向けた年であり、その負担が数字の上ではっきりと現れた期であった[11]

取得したパイプラインは、買収の翌年に成果を見せ始めた。2025年2月、Deciphera由来の腱滑膜巨細胞腫治療薬ビメルチニブが、ROMVIMZAの名で米国の承認を得た。同年秋には欧州でも承認された。買収時に開発途上だった候補薬が実際の製品となり、小野薬品が取り込んだ欧米の販売網に乗る段階へ入った。24億ドルで買った資産が売上へ育つかどうかを問う、最初の材料が出そろいつつあった[12]

出典・参考

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