この判断で目を引くのは、原料が枯れたときに産地を追うのをやめた点にある。浦安から柳川へ工場を移した対応は、アサリという商材を守るための選択であった。それを1年ほどで打ち切り、原料そのものを畜肉へ取り替えたことで、同社は漁場の状況から切り離された供給者になった。顧客である即席麺メーカーが求めていたのは、珍しい素材ではなく、毎月同じ量が同じ品質で届くことであったのだろう。誰も工業化していない領域を選んだのは冒険にも映るが、需要側の要件から逆算すれば、むしろ自然な帰着であった。
もうひとつは、卸売から製造へ参入したことが、その先の技術投資を呼び込んだ点である。工場を持てば設備の悩みを自分で引き受けることになり、外部に頼れないと分かった時点で、プラントの開発まで自社の仕事に組み込まれた。1978年の抽出自動化も、1996年に年商へ匹敵する額を投じた液体エキス工場も、この延長線上に並ぶ。原料の制約に対して調達の工夫ではなく製造の作り替えで答える型が、創業の間もない時期に定まった。市場の変化を前にしたとき、商材を守るか、供給の条件を作り替えるか——1968年の転換は、その問いに早い時期に答えた例といえる。