この決断の中心にあるのは、商品の入れ替えそのものよりも、商品と売り方を同時に選び直した点にあると推察される。氷を機械で作るという商品には、当時の日本に買い手がいなかった。買い手がいない以上、既存の代理店に預けても売れる道理がない。星崎電機が自社で飲食店を一軒ずつ回る方式を採ったのは、販路の効率を求めた結果ではなく、需要そのものを自分たちで作るしかなかった事情の裏返しだったと思われる。結果として同社は、製氷機という商品と、営業と保守を一体で担う販社という仕組みを、二つで一つの資産として獲得した。
もっとも、この仕組みは無条件に強かったわけではない。地域に根ざした会社へ判断を委ねる構造は、顧客に近い機動力を生むと同時に、本社から見えにくい領域を作る。2018年に販売子会社で表面化した問題は、その裏側が半世紀を経て現れたものといえる。市場が存在しない商品を売り切るために築いた仕組みが、市場が成熟したあとも同じ形で有効か——ホシザキが今日まで抱えてきた問いは、1965年の選択の延長線上にあるのだろう。