主力製品の性能で世界の過半を取った会社が、その製品の市場ごと消える場面に立った。とりうる道は二つあった。ひとつは機械の側で戦い続ける道で、デジタル対応のミニラボを出し、写真店の減少を単価と保守で埋める。もうひとつは、機械を持つ会社という定義を捨てる道である。西本博嗣氏が2008年に動議で求めたのは後者であり、その意味で刷新の対象は経営陣というより、会社の自己規定そのものだったのだろう。
判断の是非は、稼いだ現金をどこへ置いたかで測られる。ミニラボが積み上げた250億円は農業にも医療にも流れ、多くは数年で手放された。残ったものもある。2013年にオリンパスから引き取った日本医療データセンターは後のJMDCとなり、2022年にオムロンへ株式33%を約1,118億円で譲る資産に育った。写真店に置く機械の代金として集まった資金が、医療データの会社を経由して1,000億円台の売却代金に姿を変えた事実は、この転換のいちばん具体的な結末である。