東京エレクトロンデバイス建物保守管理業務のグループ他社への移管と、外国製半導体販売への業態転換
新しい会社を興すか、すでにある器の中身を入れ替えるか——東京エレクトロンのグループ機能再配置
- 概要
- 1990年9月、東京エレクトロンの孫会社であったテル管理サービス株式会社が、社名を東京エレクトロン デバイス株式会社へ変更するとともに、それまでの建物保守管理業務を東京エレクトロングループ他社へ移管し、外国製半導体を中心とする電子部品の販売を開始した経営判断。設立から4年半の会社が、法人格を残したまま事業の中身を丸ごと入れ替えた。
- 背景
- 親会社の東京エレクトロンは1963年に商社として出発し、輸入販売とメーカー機能を同じ屋根の下で回してきた。1986年9月期には半導体不況で売上高が前年の約半分に落ち、創業以来初の営業赤字と代表取締役3人の辞任という混乱を経験している。装置と電子部品を一つの法人で抱え続けることの重さが、この時期に意識されていた。
- 内容
- 1990年9月の社名変更と業務入れ替えに続き、同年10月に本社を東京都新宿区から神奈川県横浜市緑区(現在の都筑区)へ移転。1991年1月には東京エレクトロンが設立母体のテル・データ・システムから東京エレクトロン デバイス株式をすべて取得し、株主関係も親会社へ直結した。社名・業務・所在地・株主が半年足らずのうちに順に置き換わっている。
- 含意
- 1996年から1998年にかけて、親会社の電子部品部門は富士通社製品・モトローラ社製品・残る全事業の順にこの会社へ移され、設計開発センター3拠点も業務移管された。1990年に用意された器が、東京エレクトロングループの商社機能を受け取り続ける受け皿となり、2003年の単独上場と現在の事業規模につながっている。
器を移すという発想
1986年3月に登記されたテル管理サービスの業務は、建物と付属設備の保守管理であった。同じ年、親会社は売上高が前年の約半分に落ち、創業以来初の営業赤字と代表取締役3人の同時辞任を経験している。その会社が4年半後、外国製半導体を売り始めた。事業を新会社へ出すのではなく、すでにグループ内にあった器の中身を入れ替えるという手が選ばれたところに、装置と部品を一つの法人で抱え続けることへの警戒があったとみられる。1986年の急落は、二枚看板の重さを親会社に測らせるには十分な出来事であった。
ただ、1990年9月に誰がどう決めたのかを語る資料は、現在のところ見当たらない。当時の東京エレクトロン デバイスは未上場で、自社を主題にした報道もなく、残っているのは有価証券報告書の沿革に並ぶ数行にとどまる。器を選んだ動機も、東哲郎氏が1997年に語った「コア技術以外は他社の力を活用」という言葉から遡って読むほかない。この判断の輪郭は、8年かけて後から移された事業の量——富士通社製品、モトローラ社製品、電子部品部門の全事業と設計開発センター3拠点——によってしか測れないともいえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
商社とメーカーを兼ねる会社として出発した親会社
東京エレクトロンは1963年11月、久保徳雄氏が商社から独立し、3〜4人の仲間とともに設立した会社であった。社名を「東京エレクトロン研究所」としたのは、ただの商社ではなく製造に近寄った技術サービスが必要になると考えたからで、久保氏は後年そう説明している。輸入した装置を売るだけでなく、顧客の求めに応じて手を入れ、ソフトウエアも書く。商社と名乗りながら、仕事の中身はメーカーに寄っていた[1][2]。
1980年6月、久保氏は証券アナリスト向けの講演でこの二重性を数字で説明している。輸入した機械やシステムの販売が売上高の75%を占める一方、25%は関連会社で自社生産した製品が占め、商社的機能とメーカー的機能の両方を持ち、業務の性格はメーカーにかなり近いと述べた。1979年9月期の部門別構成は半導体製造機器40.2%、半導体を主力とする電子部品35.6%で、装置と部品は同じ屋根の下に並んでいた[3][4]。
1986年の急落と、同じ年に生まれた管理子会社
その二枚看板が最初に軋んだのが1986年であった。1985年9月期に売上高1,500億円・経常利益193億円を計上していた東京エレクトロンは、翌1986年9月期には売上高843億円・経常利益3億円へ落ち込み、営業利益では創業以来初の赤字を出した。半導体の設備投資が冷え込み、装置の需要が激減したためである。同年8月には役員7人のうち3人が退社して代表取締役3人全員が辞任し、2年前に会長へ退いていた小高敏夫氏が社長へ復帰した[5][6]。
同じ時期、東京エレクトロンは電子部品の商権を組み替えていた。装置の需要が落ちるなかで半導体そのものの拡充が課題となり、1985年10月に富士通、1986年1月に米国モトローラと相次いで販売代理店契約を結ぶ一方、1969年以来の関係であったインテル・ジャパンとは1986年8月に代理店契約を解消している。そして1986年3月、機器リースを主業とする子会社テル・データ・システムが、資本金5百万円で東京都新宿区にテル管理サービス株式会社を設立した。業務は建物および建物付属設備の保守管理であった[7][8]。
決断
器だけを残して中身を入れ替えた1990年9月
1990年9月、テル管理サービスは社名を東京エレクトロン デバイス株式会社へ改めた。変わったのは名前だけではない。それまでの建物保守管理業務は東京エレクトロングループの他社へ移され、代わりに外国製半導体を中心とする電子部品の販売が始まっている。設立から4年半、法人格だけを残して事業の中身を丸ごと差し替えたことになる。半導体と無関係であった管理子会社が、この時を境に半導体の販売会社となった[9]。
入れ替えは事業だけにとどまらなかった。翌10月には本社を東京都新宿区から神奈川県横浜市緑区(現在の都筑区)へ移し、営業の拠点を横浜へ置き直した。さらに1991年1月、東京エレクトロンが設立母体であるテル・データ・システムから東京エレクトロン デバイス株式をすべて取得している。社名・業務・所在地・株主という会社の輪郭が、半年足らずのうちに順に置き換わった[10]。
器を選んだ側の事情
親会社の側から見ると、この入れ替えは業績の底ではなく山の側で起きている。1990年前後の東京エレクトロンは半導体製造装置で世界最大規模のメーカーへ伸びる途上にあり、経常利益は1990年9月期に、その後数年間は届かない水準を記録した。1986年に創業以来初の営業赤字を出した会社が、好調の只中で装置と電子部品を別々の法人へ分けはじめた形になる[11]。
新しい会社を興す道もあったなかで、東京エレクトロンはすでに4年動いていた管理子会社の中身を差し替える形を選んだ。この選び方の理由を語った同時代の資料は、現在のところ見当たらない。ただ、器がもともとグループ内部の機能を担うために作られた会社であったことは、その後の役回りに残った。親会社から事業を受け取り続ける受け皿という性格が、この時点で形になっている[12]。
結果
受け皿に本体の事業が移されるまで
用意された器に親会社の事業が流れ込むまでには、さらに6年を要した。東京エレクトロンは1996年10月に電子部品部門の富士通社製品販売事業を、1997年10月にモトローラ社製品販売事業を東京エレクトロン デバイスへ譲り渡し、1998年7月には電子部品部門に関する事業をすべて移している。同じ月には岩手県江刺市・東京都府中市・山梨県韮崎市の設計開発センターも業務移管され、商権だけでなく設計する手も一緒に動いた[13]。
切り分けの考え方は、全事業移管の直前にあたる1997年末の東哲郎社長の言葉に表れている。東氏は半導体製造装置についてコアとなる技術は徹底して自前でやり、周辺は他社の力を借りると述べ、企業を抱え込むとかえって動きがとれなくなると説明した。同時に、もともと商社であったから他社の優れた技術に敬意を払って取り入れる文化があるとも語っている。装置は自ら売り、外国製の部品は別の会社が売るという整理であった[14][15]。
保守管理会社の法人格が2,000億円企業になるまで
1990年に中身を差し替えられた法人は、やがて会社そのものになった。東京エレクトロン デバイスは2003年3月に東京証券取引所市場第二部へ単独上場し、2006年10月には親会社から吸収分割でコンピュータ・ネットワーク事業を承継、2014年4月の株式売出しでは東京エレクトロンが親会社からその他の関係会社へ後退した。2025年3月期の連結売上高は2,164億円、経常利益は114億円に達している[16][17]。
親会社から受け取る側から、自分で買ってくる側への移行も進んだ。2012年4月には子会社のパネトロンが株式会社アムスクからテキサス・インスツルメンツ社製品の販売代理店事業を譲り受け、2017年7月にアバール長崎、2018年7月にファーストを連結子会社としている。2023年10月には日本エレクトロセンサリデバイスからウェーハ検査装置事業を譲り受け、装置そのものを持つ側へも踏み込んだ[18]。
- 証券アナリストジャーナル 1980年7月号「東京エレクトロン」(久保徳雄 社長 講演要旨)
- 日経ビジネス 1987年2月2日号「小高敏夫氏(東京エレクトロン社長)『上がり』の積もりが『振り出し』」
- 日経ビジネス 1991年3月18日号「有訓無訓 奮起せよ、アリギリス世代」(久保徳雄 東京エレクトロン相談役)
- 日経ビジネス 1995年1月2日号「東京エレクトロン 欧米の現法、直販に移行 開発に需要家の声直結」
- 日経ビジネス 1997年12月1日号「編集長インタビュー 東哲郎氏[東京エレクトロン社長]コア技術以外は他社の力を活用 買収で抱え込まずに素早く変化」
- 東京エレクトロン デバイス 有価証券報告書 第40期(2025年3月期)【沿革】
- 東京エレクトロン デバイス 有価証券報告書 第40期(2025年3月期・連結)