加賀電子の源流は、1968年2月、24歳の塚本勲氏が[1]金沢の父から借りた50万円を元手に東京・神田で個人創業[2]した電子部品商であった[3]。同年9月には資本金100万円で法人登記し[4]、東京都千代田区外神田三丁目の木造2階建[5]て2坪の事務所で株式会社加賀電子として再出発した。塚本氏は16歳で金沢を出て横浜のヴァイオレット電機に入り、約2年の製造と約6年の営業を経験、その後サンコー電機を約半年で辞して独立[6]に踏み切った。社名は、父との借金の相談の際に母が『加賀百万石といわれているから、年商100億円ぐらいの会社になれるといいね』[引用元]と語った言葉に由来する。
創業資金は事務所の賃料や備品の購入で早々に底をつき、現金取引を求める部品メーカーへの仕入資金が確保できなくなった。塚本氏は顧客に事情を説明して代金を前払いで受け取り[7]、その現金で仕入先に支払う資金繰りを編み出した。さらに、顧客の注文を受けてから部品メーカーを選んで同業者に発注し、納品と回収を経て仕入先に支払う受発注方式を確立し[8]、在庫を持たずに商社業を回す型をつくった。賞与資金や配当資金以外は固定預金を超えて借りない無借金経営はこのとき定まり[9]、塚本氏は後年まで『在庫は罪の子』を口癖に[10]、注文先行の仕入れを組織の規律として徹底した。
1970年代の加賀電子は、エレクトロニクス業界の需要変動に応じて取扱品目を機動的に切り替える便利屋型の商社として事業を広げた。1973年にはCBトランシーバーのブームに対応し、1978年にはインベーダーゲーム向けICの取扱いに参入[11]、1983年からは任天堂ファミリーコンピュータのソフト生産にも関与した[12]。創業者の塚本氏は顧客が要望するものは品目を問わず取り扱う方針を社内に徹底し、品目の専門化を避けて取引先の要望に応える総合商社的なポジションを取り続けた。電子部品商社業界は半導体メーカー系列の専業商社が大半を占めるなか、独立系の便利屋として複数メーカーの部品を顧客の要望に合わせて1個から届ける受注対応能力で差別化した。
自社ブランド『TAXAN』は、日本語の『沢山』に由来し[13]、たくさん売ってたくさん幸せになる願いと、社名にXとNが入ると有名になるという米国のジンクスを掛けて1982年ごろ名づけられた。1981年には米国にTAXAN USA CORP.を設立[14]し、TAXAN名義でアップル社製パソコン用CRTモニター『KG-12』を投入、翌1982年にはカラーモニター『TAXAN RGB VISION』[15]が大ヒットして米国での商標認知が広がった。加賀電子はこれにより、部品商社でありながら自社開発製品を持つメーカー機能を併せ持つ事業形態へと広げた。
1985年6月、加賀電子は本店を東京都千代田区外神田六丁目へ移転し[16]、創業の地である秋葉原電気街へ回帰した。同年12月には英国にTAXAN(UK)LTD.を設立[17]して欧州での自社ブランド販売に乗り出すとともに、社団法人日本証券業協会・東京地区協会へ株式を登録し[18]、店頭公開銘柄として資本市場との接点を初めて持った。創業から17年、社員2人・資本金100万円の事務所から始まった同社は[19]、株式公開によって事業拡張資金の調達手段を制度として整えた。塚本氏は公明正大で公私混同を避け経営[20]をオープンにすることを信条とし、上場前から社員への経営情報開示と増資による外部資金調達を組み合わせていた。
加賀電子の創業17年は、無借金・在庫レスという経営規律と、便利屋型の品目柔軟性、そして自社ブランドTAXANによる海外展開という3つの軸を組み上げた期間だった。この3軸はそれぞれ単独で運営されたのではなく、顧客の前払いで仕入資金を確保する→在庫を持たず受注ごとに調達する→品目の専門化を避けて顧客の要望に応える→米国を含む販売先を広げて事業範囲を拡張する、という連鎖構造で結ばれていた。1985年の店頭登録は[21]、この連鎖構造を資本市場の検証に晒した節目であり、続く翌年の東京証券取引所市場第二部上場の前提条件を準備した。
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|---|---|---|---|---|
| 1968〜1985年24歳塚本勲の創業と「お客に前払いしてもらう」無借金経営の確立 | 塚本勲 | 電子機器・電子部品販売を目的として設立 | ★ | |
| 塚本勲 | 店頭登録から1年での東証二部上場と、無借金・在庫レス経営の公開 1985年12月4日、加賀電子は東京店頭市場へ株式を公開し、社団法人日本証券業協会・東京地区協会に株式を登録した。創業17年、資本金100万円の個人商店から始まった独立系の電子部品商社が、無借金・在庫レスという創業以来の商法を資本市場の検証に開いた判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 1986〜2008年東証一部上場と1990年代の海外連結子会社網構築 | 塚本勲 | 東京証券取引所市場第二部に上場 | ★ | |
| 塚本勲 | 電子デバイス部を分社し加賀デバイスを設立 | ★ | ||
| 塚本勲 | KAGA(H.K.)ELECTRONICS LIMITEDを香港に設立 | ★ | ||
| 塚本勲 | 巴商会よりアップルコンピュータ社製品の営業部門を譲受け | ★ | ||
| 塚本勲 | KAGA(TAIWAN)ELECTRONICS CO.,LTD.を台湾に設立 | ★ | ||
| 塚本勲 | エー・ディーデバイスを子会社化 | ★ | ||
| 塚本勲 | 加賀電子(上海)有限公司を設立 | ★ | ||
| 塚本勲 | 樫村(加賀ハイテック)を子会社化 | ★ | ||
| 塚本外茂久 | 加賀コンポーネントがプラスビジョンよりプロジェクター事業を譲受け | ★ | ||
| 塚本外茂久 | エー・ディ・エムを株式公開買付により子会社化 | ★★ | ||
| 2009〜2025年リーマン後を「最大のチャンス」と捉えたM&A連鎖と業界トップ級到達 | 塚本外茂久 | 金融危機を「創業以来、最大のチャンス」と読み、M&Aと海外拠点を同時に増やした方針 2008年秋の金融危機で創業以来初の純損失を計上した加賀電子が、危機を買い手に回る機会と読み、2009年から欧州拠点の新設と国内外の企業買収を重ねた方針。単年の決断ではなく、2009年から2020年にかけて実行された面的な戦略である。 詳細を読む | ★★★ | |
| 塚本外茂久 | 本社ビルを取得(竣工) | ★ | ||
| 門良一 | TAXAN MEXICO S.A. DE C.V.をメキシコに設立 | ★ | ||
| 門良一 | KAGA ELECTRONICS INDIA PRIVATE LIMITEDをインドに設立 | ★ | ||
| 門良一 | 富士通エレクトロニクスを約205億円で買収し、売上5,000億円級のグループへ 2018年9月10日、加賀電子は富士通セミコンダクターから富士通エレクトロニクスの株式70%を取得する契約を締結した。取得価額204億1,300万円にアドバイザリー費用等1億3,000万円を加えた総額は205億4,300万円で、2019年1月1日に子会社化した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 門良一 | 十和田パイオニアを子会社化 | ★★ | ||
| 門良一 | エクセルを子会社化 | ★ | ||
| 門良一 | 旭東電気を子会社化 | ★ | ||
| 門良一 | 加賀エアロシステムを設立 | ★★ | ||
| 門良一 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ |
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事実根拠:出所(加賀電子)