加賀電子 の歴史

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創業 1968年
創業者 塚本勲
創業地 東京都千代田区外神田
創業
1968年2月、24歳の塚本勲氏が金沢の父から借りた50万円を元手に、東京・神田で電子部品商を始めた。同年9月に資本金100万円で法人登記し、東京都千代田区外神田の木造2階建て2坪の事務所で株式会社加賀電子として再出発する。創業資金は賃料と備品で早々に底をつき、現金取引を求める部品メーカーへ支払えなくなった。塚本氏は顧客に事情を説明して代金を前払いで受け取り、注文を受けてから部品メーカーを選んで発注し、回収を経て仕入先へ支払う受発注方式を作った。1982年ごろには自社ブランドTAXANを立ち上げ、1985年12月に株式を店頭登録して、翌年12月には東証二部へ上場し、無借金・在庫レスの帳簿を市場へ開いた
決断
在庫も借入も持たない規律を、買収の局面で自ら外した。1992年から2002年にかけて香港・シンガポール・台湾・上海・タイへ現地法人を設け、顧客の海外生産に付いていく現地調達の窓口を自前で置く。2001年に連結売上高1,000億円を超え、2008年3月期には2,913億円に達した。金融危機のあと、塚本勲会長は円高と資産価格の下落を規模拡大の好機と読み、2009年4月に英国とチェコへ現地法人を設けて国内では東京電電工業を子会社化する。2018年9月には富士通エレクトロニクスを約205億円で取得し、グループ売上は約5,000億円に達した。買収資金の調達で2019年3月期末の有利子負債は前年の3.8倍にあたる325億円へ膨らみ、創業から50年守った無借金はここで途切れた。
現況
在庫を持たない商売で始めた会社が、現在は工場と設備を保有している。2026年3月期の連結売上高は6,589億円で、電子部品事業が5,688億円と86%を占め、情報機器事業542億円、その他事業326億円、ソフトウェア事業33億円が続く。連結従業員は9,374名と2015年3月期の5,092名から1.8倍になったが、増えたのは商社の営業ではなく買収した製造会社の人員である。2017年に置いたTAXAN MEXICOを先頭に、日本・中国・アセアン・メキシコの4拠点で電子機器の受託製造を担う。2025年5月の中期経営計画2027はここへ約1,000億円を積み増し、受託製造の売上を2025年3月期の1,345億円から2028年3月期に2,300億円へ引き上げる計画を置いた。
競合
同じ規模に達する道が、対等合併と買収で分かれた。電子部品商社の再編は2010年代に集中している。マクニカは2014年に富士エレクトロニクスと対等の持株会社で統合し、2026年3月期の売上高は1兆2,142億円へ達した。加賀電子は買う側に立ち、2019年1月に富士通エレクトロニクスを子会社化してグループ売上を約5,000億円へ引き上げる。取得したのは商材ではなく販売チャネルと顧客基盤で、旧富士通系のソシオネクスト製品だけで買収翌期に約840億円を計上した。門良一社長は競争相手の数を減らす方向を打ち出し、足し合わせた効果が単純合算を下回っても許容すると述べている。ただし2026年3月期の営業利益率は4.2%で、マクニカの3.5%を0.7ポイント上回るにとどまる。取次の商売では、買った売上高がそのまま利益の差にはならない。
加賀電子:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 24歳塚本勲の創業と「お客に前払いしてもらう」無借金経営の確立 (1968年〜)

父親から借りた50万円と「在庫は罪の子」── 資金ゼロから始まった商社

加賀電子の源流は、1968年2月、24歳の塚本勲氏が[1]金沢の父から借りた50万円を元手に東京・神田で個人創業[2]した電子部品商であった[3]。同年9月には資本金100万円で法人登記し[4]、東京都千代田区外神田三丁目の木造2階建[5]て2坪の事務所で株式会社加賀電子として再出発した。塚本氏は16歳で金沢を出て横浜のヴァイオレット電機に入り、約2年の製造と約6年の営業を経験、その後サンコー電機を約半年で辞して独立[6]に踏み切った。社名は、父との借金の相談の際に母が『加賀百万石といわれているから、年商100億円ぐらいの会社になれるといいね』[引用元]と語った言葉に由来する。

  • 証券アナリストジャーナル(1986年3月)
    • [1]1968年2月 塚本勲氏が父から借りた資金で個人創業(同年9月に法人化)
    • [2]創業資金は父から借りた50万円
    • [6]創業前の経歴はヴァイオレット電機で製造約2年・営業約6年、その後サンコー電機を約半年で辞して独立
  • My road(2014年12月)
    • [3]創業者は塚本勲氏、創業時24歳
  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1968年9月 株式会社加賀電子を法人登記(資本金100万円)
    • [5]設立地は東京都千代田区外神田三丁目(木造2階建て2坪)

創業資金は事務所の賃料や備品の購入で早々に底をつき、現金取引を求める部品メーカーへの仕入資金が確保できなくなった。塚本氏は顧客に事情を説明して代金を前払いで受け取り[7]、その現金で仕入先に支払う資金繰りを編み出した。さらに、顧客の注文を受けてから部品メーカーを選んで同業者に発注し、納品と回収を経て仕入先に支払う受発注方式を確立し[8]、在庫を持たずに商社業を回す型をつくった。賞与資金や配当資金以外は固定預金を超えて借りない無借金経営はこのとき定まり[9]、塚本氏は後年まで『在庫は罪の子』を口癖に[10]、注文先行の仕入れを組織の規律として徹底した。

  • 証券アナリストジャーナル(1986年3月)
    • [7]顧客の前払いで仕入資金を確保する資金繰りを創業期に確立
    • [8]受発注方式(注文受領後に部品メーカー選定・同業者発注・回収後に仕入先支払い)を確立
    • [9]固定預金を超えて借りない無借金経営を創業以来継続
  • 企業家倶楽部(2025年7月7日)
    • [10]「在庫は罪の子」は塚本氏の口癖
  • 証券アナリストジャーナル(1986年3月)
    • [1]1968年2月 塚本勲氏が父から借りた資金で個人創業(同年9月に法人化)
    • [2]創業資金は父から借りた50万円
    • [6]創業前の経歴はヴァイオレット電機で製造約2年・営業約6年、その後サンコー電機を約半年で辞して独立
    • [7]顧客の前払いで仕入資金を確保する資金繰りを創業期に確立
    • [8]受発注方式(注文受領後に部品メーカー選定・同業者発注・回収後に仕入先支払い)を確立
    • [9]固定預金を超えて借りない無借金経営を創業以来継続
  • My road(2014年12月)
    • [3]創業者は塚本勲氏、創業時24歳
  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1968年9月 株式会社加賀電子を法人登記(資本金100万円)
    • [5]設立地は東京都千代田区外神田三丁目(木造2階建て2坪)
  • 企業家倶楽部(2025年7月7日)
    • [10]「在庫は罪の子」は塚本氏の口癖

便利屋型商社としての品目拡張とTAXANブランドの誕生

1970年代の加賀電子は、エレクトロニクス業界の需要変動に応じて取扱品目を機動的に切り替える便利屋型の商社として事業を広げた。1973年にはCBトランシーバーのブームに対応し、1978年にはインベーダーゲーム向けICの取扱いに参入[11]、1983年からは任天堂ファミリーコンピュータのソフト生産にも関与した[12]。創業者の塚本氏は顧客が要望するものは品目を問わず取り扱う方針を社内に徹底し、品目の専門化を避けて取引先の要望に応える総合商社的なポジションを取り続けた。電子部品商社業界は半導体メーカー系列の専業商社が大半を占めるなか、独立系の便利屋として複数メーカーの部品を顧客の要望に合わせて1個から届ける受注対応能力で差別化した。

  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1978年 インベーダーゲーム向けICの取扱いに参入
    • [12]1983年 任天堂ファミリーコンピュータのソフト生産に関与

自社ブランド『TAXAN』は、日本語の『沢山』に由来し[13]、たくさん売ってたくさん幸せになる願いと、社名にXとNが入ると有名になるという米国のジンクスを掛けて1982年ごろ名づけられた。1981年には米国にTAXAN USA CORP.を設立[14]し、TAXAN名義でアップル社製パソコン用CRTモニター『KG-12』を投入、翌1982年にはカラーモニター『TAXAN RGB VISION』[15]が大ヒットして米国での商標認知が広がった。加賀電子はこれにより、部品商社でありながら自社開発製品を持つメーカー機能を併せ持つ事業形態へと広げた。

  • 証券アナリストジャーナル(1986年3月)
    • [13]自社ブランド「TAXAN」の語源は「沢山」+社名にX・Nが入ると有名になる米国のジンクス、1982年ごろ命名
  • 証券 1987年2月号
    • [14]1981年 米国にTAXAN USA CORP.を設立しTAXAN名義でCRTモニター「KG-12」を投入
  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1982年 アップル向けカラーモニター「TAXAN RGB VISION」が大ヒット
  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1978年 インベーダーゲーム向けICの取扱いに参入
    • [12]1983年 任天堂ファミリーコンピュータのソフト生産に関与
    • [15]1982年 アップル向けカラーモニター「TAXAN RGB VISION」が大ヒット
  • 証券アナリストジャーナル(1986年3月)
    • [13]自社ブランド「TAXAN」の語源は「沢山」+社名にX・Nが入ると有名になる米国のジンクス、1982年ごろ命名
  • 証券 1987年2月号
    • [14]1981年 米国にTAXAN USA CORP.を設立しTAXAN名義でCRTモニター「KG-12」を投入

店頭登録までの17年 ── 資本市場への第一歩

1985年6月、加賀電子は本店を東京都千代田区外神田六丁目へ移転し[16]、創業の地である秋葉原電気街へ回帰した。同年12月には英国にTAXAN(UK)LTD.を設立[17]して欧州での自社ブランド販売に乗り出すとともに、社団法人日本証券業協会・東京地区協会へ株式を登録し[18]、店頭公開銘柄として資本市場との接点を初めて持った。創業から17年、社員2人・資本金100万円の事務所から始まった同社は[19]、株式公開によって事業拡張資金の調達手段を制度として整えた。塚本氏は公明正大で公私混同を避け経営[20]をオープンにすることを信条とし、上場前から社員への経営情報開示と増資による外部資金調達を組み合わせていた。

  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1985年6月 本店を東京都千代田区外神田六丁目へ移転
    • [18]1985年12月 社団法人日本証券業協会・東京地区協会へ株式を登録(店頭登録)
  • 証券(1987年2月)
    • [17]1985年12月 英国にTAXAN(UK)LTD.を設立
  • 証券アナリストジャーナル 1986年3月号(塚本勲)
    • [19]創業時の資本金は100万円・社員2人
  • 企業家倶楽部(2025年7月7日)
    • [20]塚本氏は公明正大・公私混同を避ける経営を信条とした

加賀電子の創業17年は、無借金・在庫レスという経営規律と、便利屋型の品目柔軟性、そして自社ブランドTAXANによる海外展開という3つの軸を組み上げた期間だった。この3軸はそれぞれ単独で運営されたのではなく、顧客の前払いで仕入資金を確保する→在庫を持たず受注ごとに調達する→品目の専門化を避けて顧客の要望に応える→米国を含む販売先を広げて事業範囲を拡張する、という連鎖構造で結ばれていた。1985年の店頭登録は[21]、この連鎖構造を資本市場の検証に晒した節目であり、続く翌年の東京証券取引所市場第二部上場の前提条件を準備した。

  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [21]1985年の店頭登録と翌年(1986年)の東証二部上場
  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1985年6月 本店を東京都千代田区外神田六丁目へ移転
    • [18]1985年12月 社団法人日本証券業協会・東京地区協会へ株式を登録(店頭登録)
    • [21]1985年の店頭登録と翌年(1986年)の東証二部上場
  • 証券(1987年2月)
    • [17]1985年12月 英国にTAXAN(UK)LTD.を設立
  • 証券アナリストジャーナル 1986年3月号(塚本勲)
    • [19]創業時の資本金は100万円・社員2人
  • 企業家倶楽部(2025年7月7日)
    • [20]塚本氏は公明正大・公私混同を避ける経営を信条とした

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加賀電子の沿革1968〜2022年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1968〜1985年24歳塚本勲の創業と「お客に前払いしてもらう」無借金経営の確立塚本勲電子機器・電子部品販売を目的として設立
塚本勲店頭登録から1年での東証二部上場と、無借金・在庫レス経営の公開

1985年12月4日、加賀電子は東京店頭市場へ株式を公開し、社団法人日本証券業協会・東京地区協会に株式を登録した。創業17年、資本金100万円の個人商店から始まった独立系の電子部品商社が、無借金・在庫レスという創業以来の商法を資本市場の検証に開いた判断である。

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★★★
1986〜2008年東証一部上場と1990年代の海外連結子会社網構築塚本勲東京証券取引所市場第二部に上場
塚本勲電子デバイス部を分社し加賀デバイスを設立
塚本勲KAGA(H.K.)ELECTRONICS LIMITEDを香港に設立
塚本勲巴商会よりアップルコンピュータ社製品の営業部門を譲受け
塚本勲KAGA(TAIWAN)ELECTRONICS CO.,LTD.を台湾に設立
塚本勲エー・ディーデバイスを子会社化
塚本勲加賀電子(上海)有限公司を設立
塚本勲樫村(加賀ハイテック)を子会社化
塚本外茂久加賀コンポーネントがプラスビジョンよりプロジェクター事業を譲受け
塚本外茂久エー・ディ・エムを株式公開買付により子会社化★★
2009〜2025年リーマン後を「最大のチャンス」と捉えたM&A連鎖と業界トップ級到達塚本外茂久金融危機を「創業以来、最大のチャンス」と読み、M&Aと海外拠点を同時に増やした方針

2008年秋の金融危機で創業以来初の純損失を計上した加賀電子が、危機を買い手に回る機会と読み、2009年から欧州拠点の新設と国内外の企業買収を重ねた方針。単年の決断ではなく、2009年から2020年にかけて実行された面的な戦略である。

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★★★
塚本外茂久本社ビルを取得(竣工)
門良一TAXAN MEXICO S.A. DE C.V.をメキシコに設立
門良一KAGA ELECTRONICS INDIA PRIVATE LIMITEDをインドに設立
門良一富士通エレクトロニクスを約205億円で買収し、売上5,000億円級のグループへ

2018年9月10日、加賀電子は富士通セミコンダクターから富士通エレクトロニクスの株式70%を取得する契約を締結した。取得価額204億1,300万円にアドバイザリー費用等1億3,000万円を加えた総額は205億4,300万円で、2019年1月1日に子会社化した。

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★★★
門良一十和田パイオニアを子会社化★★
門良一エクセルを子会社化
門良一旭東電気を子会社化
門良一加賀エアロシステムを設立★★
門良一東京証券取引所プライム市場に移行
出典・参考
  • 加賀電子 有価証券報告書【沿革】
  • 証券アナリストジャーナル(1986年3月)
  • 証券アナリストジャーナル 1986年3月号(塚本勲)
  • 証券 1987年2月号
  • 証券(1987年2月)
  • My road(2014年12月)
  • 企業家倶楽部(2025年7月7日)

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