加賀電子金融危機を「創業以来、最大のチャンス」と読み、M&Aと海外拠点を同時に増やした方針

初の純損失を出した年に、なぜ買う側に回ったか

時期 2009年4月
意思決定者(推定) 塚本勲 代表取締役会長
論点 危機下の資本配分と規模拡大
概要
2008年秋の金融危機で創業以来初の純損失を計上した加賀電子が、危機を買い手に回る機会と読み、2009年から欧州拠点の新設と国内外の企業買収を重ねた方針。単年の決断ではなく、2009年から2020年にかけて実行された面的な戦略である。
背景
2009年3月期は連結売上高2,736億円で前期比6.1%減、当期純損失8億円と創業以来初の赤字となった。在庫を持たない受発注方式が評価損を抑えたため、同業に比べれば傷は浅く、翌期も含め手元資金を投じる余地が残った。
内容
塚本勲会長は金融危機を「創業以来、最大のチャンス」と位置づけ、円高と買収対象の評価下落をあわせて使う方針を採った。2009年4月に英国とチェコへ拠点を新設、6月に東京電電工業を子会社化し、以後もメキシコ・国内企業へ投資先を広げた。
含意
2011年3月期には経常利益37億円へ回復し、2014年に社長を継いだ門良一氏が経常利益100億円を目標に掲げた。この目標は2021年3月期の112億円で超え、方針は2018年の富士通エレクトロニクス買収へ引き継がれた。
筆者の見解

危機の値札を読んだ会社

2009年の加賀電子がしたことは、危機に耐えることではなく、危機がつけた値札を読むことであった。同じ年に赤字を出しながら買い手に回れたのは、在庫を持たない商法が損失の上限を決めていたからにほかならない。創業時に資金がなくてやむなく採った受発注方式が、40年後には不況時の買収余力として働いた。守りの規律が攻めの資金源になるという逆転が、この会社の資本配分の特徴といえる。

もっとも、危機を機会と呼ぶだけなら誰でもできる。塚本会長の言葉が方針として残ったのは、翌月に英国とチェコへ拠点を置き、2カ月後に国内企業を買い、社長交代の場では後継者に100億円という数字を渡したからである。方針は掛け声ではなく、拠点の数と買収の件数と社内目標の数字に置き換えられて引き継がれた。塚本会長が「チャンス」と呼んだ2009年3月期の当期純損失は8億円、その12年後に加賀電子が計上した当期純利益は114億円である。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

初の赤字と、傷の浅さ

2008年9月のリーマン・ブラザーズ破綻から半年で、電子部品の流通は急速に縮んだ。加賀電子の2009年3月期は連結売上高2,736億円と前期比6.1%減、経常利益は22億円まで落ち、当期純損失8億円を計上した。創業以来初の赤字である。翌2010年3月期も売上高2,393億円・経常利益12億円・当期純損失3億円と、2期続けて最終赤字となった。ただし業界では売上が2割から3割減る会社が並んでおり、注文を受けてから仕入れる方式を続けてきた同社は、在庫評価損の打撃を小さく抑えた[1][2]

危機に強い体質は、資金がなかった創業期の必要から生まれたものであった。塚本勲会長が繰り返した「在庫は罪の子」[3]の言葉どおり、加賀電子は顧客の注文を受けてから仕入れる原則を41年間守り、固定預金を超える借入もしてこなかった。需要が消えた2009年に、抱え込んだ在庫の値下がりで身動きが取れなくなる同業が出たのに対し、同社の損失は営業の落ち込みの範囲にとどまった。危機の底で手元資金と借入余力が残っていたことが、次の判断の前提となった[4]

買う会社としての助走

加賀電子にとって企業買収は危機後に始めたものではない。2005年8月に樫村、2006年12月に大塚電機、2007年4月に加賀アミューズメント、2008年8月にはエー・ディ・エムを株式公開買付により子会社化しており、金融危機の直前まで年に一度の頻度で買い手として動いていた。2008年3月期の連結売上高2,913億円は、この積み上げの結果である。危機によって止まったのは買収の意思ではなく、売り手側の値づけであった[5][6]

業界の側にも、まとまる理由があった。のちに社長となる門良一氏は、2000年代前半に半導体メーカーの合従連衡が進んだとき、商社も再編する必要を感じたと振り返っている。小さな商社は仕入先メーカーから代理店契約を切られやすく、外資メーカーの日本法人では業績が悪化した際に代理店の入れ替えが本社向けの説明に使われる、というのがその理由である。危機はこの淘汰を早める材料でもあった。加えて円高が進み、日本の電機メーカーは中国・東南アジア・メキシコへの生産移転を検討し始めていた[7][8]

決断

「創業以来、最大のチャンス」

赤字を出した当の年に、塚本会長は2008年の金融危機を「創業以来、最大のチャンス」と呼んだ。買い手の側から見れば、危機は二つの追い風を同時に運んでいた。ひとつは買収候補の企業価値が下がったこと、もうひとつは円高によって日本の電機メーカーが海外生産へ動き、その調達を支える現地の商社機能に需要が生まれたことである。守りに入って損失を止めるのではなく、下がった値段で拠点と会社を買い足す方針を、加賀電子は危機の最中に選んだ[9][10]

実行は早かった。2009年4月、英国にKAGA(EUROPE)ELECTRONICS LTD.、チェコにKD TEC s.r.o.を設立し、欧州で販売と製造の二つの拠点を同時に置いた。2カ月後の6月には東京電電工業(現・加賀テクノサービス)を子会社化し、国内でも保守・サービスの手を増やした。1992年の香港以降アジアに広げてきた現地法人網に、欧州とメキシコが加わる形で、顧客の生産地図に沿った配置ができあがった。2017年1月にはメキシコにTAXAN MEXICO,S.A. DE C.V.を設立し、北米向けの受託生産の足場とした[11][12]

100円玉を掲げた社長交代

方針を引き継ぐ人選も、この期間に済んでいる。2014年4月、塚本氏は代表取締役会長専任となり、46年握ってきた社長の椅子を門良一氏に渡した。門氏は1980年3月に加賀電子へ入社し、営業本部AM営業部部長、特機事業本部長、コンポーネントビジネスユニット長を経た生え抜きである。創業者が退いたのではなく、買い続ける方針の実務を次の世代に移した交代であった[13]

就任直後の社内会議で、門社長は100円玉を掲げ、経常利益100億円を達成しようと社員に告げた。100円玉を見るたびに思い出してほしい、という頼み方である。直前の2014年3月期の経常利益は58億円で、目標はその1.7倍にあたる。自社の営業だけで積み上げるには遠い数字であり、買収による上乗せを前提にした水準でもあった。危機の年に会長が示した方針は、後継者の数値目標という形をとって社内へ下りた[14][15]

結果

回復から、買収の連鎖へ

業績は2011年3月期に戻った。連結売上高2,379億円・経常利益37億円・当期純利益19億円と黒字に復し、2014年3月期には売上高2,578億円まで回復した。円高で生産移転を進めた顧客が、移転先で加賀電子の現地法人に発注したことが効いた。危機の2年で拠点を増やした判断が、回復期の受け皿になった[16]

買収の間隔は、その後さらに詰まった。2019年1月に富士通エレクトロニクス、同年10月に十和田パイオニア(現・加賀EMS十和田)、2020年4月にエクセル、同年11月に旭東電気と、2年足らずで4社を子会社化した。エクセルの買収では負ののれん発生益が2022年3月期の連結業績に乗り、売上高4,958億円・経常利益215億円・当期純利益154億円と過去最高を更新した。危機の年に会長が示した方針は、この時期に年複数件の買収という速度で実行された[17][18]

100億円を超えた先

門社長が掲げた経常利益100億円は、2021年3月期に112億円で超えた。100円玉の話をした社内会議から7年後である。翌2022年3月期は売上高4,958億円・経常利益215億円・当期純利益154億円、2023年3月期は売上高6,081億円・営業利益322億円と過去最高を更新した。連結従業員数も2015年3月期の5,092名から2025年3月期の8,560名へ約68%増え、買収した各社の人員がそのまま加賀電子グループの人数になった[19][20]

方針そのものは、2026年時点でも変わっていない。2025年5月に公表した中期経営計画2027は「自律成長+新規M&A」を成長の柱に据え、2028年度の創業60周年に売上高1兆円という目標を掲げた。門社長は2025年11月の取材で、買収を続ける最大の理由を競争相手をなくすことだと答え、業界トップのマクニカ、海外大手のアロー・エレクトロニクスやアヴネットも対象になりうると述べている。危機の年に会長が示した読みは、その後の15年を通じて同社の資本配分を規定した[21][22]

出典・参考

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