筆者の見解
紡績会社が下した選択
この経営判断の核心は、持株会社化という組織形態の変更そのものよりも、誰を社長に据えたかという一点にあったとみられる。繊維畑の出身者ではなく、柳井化学工業で研磨材事業を率いてきた中野光雄氏を社長に選んだことは、グループの経営資源をどの事業へ振り向けるかという意思表示を、人事という最も分かりやすい手段で示す選択であった。持株会社制は事業ごとの収益責任を明確にする仕組みにすぎず、その仕組みを何のために使うかを決めたのは、研磨材事業の現場を知る経営者の登用だったといえる。
もっとも、この転換は決算に痛みを伴った。FY07・FY08と2期連続で構造改革費用と減損損失を計上し、11期ぶりの復配にたどり着くまでには、和歌山工場や豊浜工場といった繊維関連拠点の縮小を避けられなかった。1896年に鮎沢川の水力を動力源として始まった紡績会社が、研磨材という半導体産業の消耗材で主力事業を築き直すまでの道のりは、祖業へのこだわりを手放す決断があってはじめて開けたとうかがえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月