因幡電機産業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

組織を割って採算を見えるようにし、見えたら戻してきた。1940年代初めから敷いた独立採算制は規模の拡大につれて働かなくなり、従業員600人の会社で事業部と支店のもたれ合いが出た。1973年の石油危機のあと渡米した因幡弥太郎氏が持ち帰った答えが、事業部ごとに会社を分ける制度である。1976年9月、3つの事業部と東京・大阪の両支店を5社へ分社し、社内発表から新体制の発足まで15日で終えた。1975年9月期に313億円だった売上高は分社2年目の1978年9月期に5社合計で432億円、税引利益は1億1,000万円から約3億円へ膨らみ、1人当たり売上高は5,100万円から7,322万円へ44%伸びた。1988年4月には6社を再統合し、人事交流と上場を理由に1社へ戻した。

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