この上場を、資金調達の遅れとだけ読むのは表層にとどまる。1兆円企業が非上場のまま歩み、大手製薬で最後発となってようやく市場へ出た事実の芯には、上場を統治の設計として扱う発想がある。晴れ舞台で鐘を打ったのが樋口達夫社長ではなく大塚明彦会長であった一点に、そのねらいは表れていると思われる。遅らせることで短期の株主圧力を避け、創業家主導の判断を残したまま、必要な調達余地だけを市場から得る——約2200億円の公募・売出は、その線引きのうえに置かれた選択であった。
もっとも、遅い上場が正解だったと言い切れるわけではない。上場で得た約1600億円と時間をもってしても、上場時にすでに見えていたエビリファイの特許切れは重荷であり続け、2015年前後には穴を埋める道筋がなお見えないと評された。市場調達を急がなかった分、次の収益源づくりに残された猶予も限られていた。守りたい統治と、迫る特許の崖と、そのあいだで引かれた線が正しい位置にあったかは、ポスト・エビリファイの成否とともに測られるといえる。