東証一部へ上場(2006年・出光興産の決断)更新:2026/08/03出光興産:業績の推移売上高(億円)親会社株主に帰属する当期純利益率(%)個人商店を理想としてきた会社の、公開市場への踏み出し2006年10月、出光興産が東京証券取引所市場第一部へ上場した経営判断。1911年の創業以来、外部資本を拒んで非上場を貫いてきた会社が、2005年10月の資本組み替えを経て株式市場に登場した。2004年度の年商2兆7636億円という規模での東証一部への直接上場は前例がない。何をなぜ決めたか:個人商店を理想としてきた会社の、公開市場への踏み出し概要2006年10月、出光興産が東京証券取引所市場第一部へ上場した経営判断。1911年の創業以来、外部資本を拒んで非上場を貫いてきた会社が、2005年10月の資本組み替えを経て株式市場に登場した。2004年度の年商2兆7636億円という規模での東証一部への直接上場は前例がない。背景1998年のムーディーズによる投機的格付けを機に、出光は借入金の圧縮と上場の準備を並行して進めていた。連結決算を始めた1999年度末に1兆7271億円あった有利子負債は、2004年度末には1兆0969億円まで減少している。2002年に創業家以外から25年ぶり二人目の社長となった天坊昭彦氏が、上場に消極的だった出光昭介名誉会長らを説得した。内容2005年10月に386億円を減資して優先株式3,780千株を消却し、第三者割当増資で普通株式7,321千株を発行して512億円を増資した。割当先は優先株を消却した銀行のほか、石油化学で提携する三井化学、LPガスで事業を統合する三菱商事、給油所を営む販売店などで、創業家が過半を持つ日章興産ら既存の大株主には割り当てていない。含意上場によって創業家の持ち株比率は下がり、流動的な株主が3割ほどを占める構成へ移った。もっとも第三者割当増資を経てなお株主資本比率は14%程度で、上場する石油元売りの平均25%の半分ほどだった。2009年6月の中野和久氏、2013年6月の月岡隆氏と、創業家以外からの社長起用が続く。いつ何が起きたか5件筆者考察考察考察:資金調達の必要と、経営の形を変える必要上場の動機は、時期によって入れ替わっている。1998年の格付けの直後は、資金調達の道が銀行しかないことが問題だった。それでも上場をやめるという選択は残っていなかった。資金の必要から始まった話が、株主資本比率を他社並みに引き上げ、資本市場からも社債でも調達できる態勢にするという、財務の体質そのものを変える目的へ移っていたからである。同時に、この五年は創業家の支配をどう薄めるかという作業でもあった。二つの目的が同じ手段を要求したことが、一度白紙に戻った計画を二度目には通した理由といえる。Yutaka Sugiura, 2026年8月参考文献参考文献参考出光興産 有価証券報告書【沿革】出光興産 有価証券報告書(役員の状況)次に読む決断同じ問い:創業家企業の上場2006年神戸物産神戸物産大阪証券取引所への無借金上場資金を必要としない会社が選んだ2006年の株式公開2006年2008年ホシザキホシザキ東証・名証への同時上場創業61年目にしての株式公開と、二つの市場への同時上場2008年2004年エバラ食品工業エバラ食品工業ジャスダックへ上場店頭登録を経て取引所市場へ移った株式公開2004年2003年セイコーエプソンセイコーエプソン東証一部へ株式上場非公開の会社から、市場の値付けに日々晒される会社への移行2003年2003年YKKYKK非上場と社員持株の継続株式を公開せず、社員が株主であり続ける資本政策2003年出光興産の意思決定2000年出光興産出光興産ムーディーズ格下げと増資設立以来初の外部資本導入と、会長の一声で白紙に戻った上場2000年2017年出光興産出光興産昭和シェル合併に対抗し増資合併に反対する創業家の持株比率を薄める3割の公募増資2017年×出所