出光興産個人商店を理想とした会社が東証一部へ上場する
議決権のある資本金十億円・創業家が過半という構成を、二段階の増資でほどいた五年
- 概要
- 2006年10月、出光興産が東京証券取引所市場第一部へ上場した経営判断。1911年の創業以来、外部資本を拒んで非上場を貫いてきた会社が、2005年10月の資本組み替えを経て株式市場に登場した。2004年度の年商2兆7636億円という規模での東証一部への直接上場は前例がない。
- 背景
- 1998年のムーディーズによる投機的格付けを機に、出光は借入金の圧縮と上場の準備を並行して進めていた。連結決算を始めた1999年度末に1兆7271億円あった有利子負債は、2004年度末には1兆0969億円まで減っている。2002年に創業家以外から25年ぶり二人目の社長となった天坊昭彦氏が、上場に消極的だった出光昭介名誉会長らを説得した。
- 内容
- 2005年10月に386億円を減資して優先株式3,780千株を消却し、第三者割当増資で普通株式7,321千株を発行して512億円を増資した。割当先は優先株を消却した銀行のほか、石油化学で提携する三井化学、LPガスで事業を統合する三菱商事、給油所を営む販売店などで、創業家が過半を持つ日章興産ら既存の大株主には割り当てていない。
- 含意
- 上場によって創業家の持ち株比率は下がり、流動的な株主が3割ほどを占める構成へ移った。もっとも第三者割当増資を経てなお株主資本比率は14%程度で、上場する石油元売りの平均25%の半分ほどだった。2008年6月の中野和久氏、2012年6月の月岡隆氏と、創業家以外からの社長起用が続く。
資金調達の必要と、経営の形を変える必要
上場の動機は、時期によって入れ替わっている。1998年の格付けの直後は、資金調達の道が銀行しかないことが問題だった。ところが2005年の時点で天坊昭彦氏は、金融情勢が大きく好転し、銀行はもう資金を貸したがっている、と語っている。それでも上場をやめるという選択は残っていなかった。資金の必要から始まった話が、株主資本比率を他社並みに引き上げ、資本市場からも社債でも調達できる態勢にするという、財務の体質そのものを変える目的へ移っていたからである。同時に、この五年は創業家の支配をどう薄めるかという作業でもあった。二つの目的が同じ手段を要求したことが、一度白紙に戻った計画を二度目には通した理由といえる。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
五年をかけた負債の圧縮
上場の準備は、1998年の格付けから五年前に始まっていた。連結決算を始めた1999年度末に1兆7271億円あった有利子負債は、2004年度末には1兆0969億円まで減っている。2005年度から2008年度の新中期経営計画では、最終年度末に7800億円まで削ることを掲げた。天坊昭彦氏はこの間の投資について、借入金は多かったがすべて石油精製・販売などの本業に投じられており、当時の投資の成果は石油化学部門などに出ている、と説明している[1][2]。
上場を主導したのは、2002年に創業家以外から25年ぶり二人目の社長となった天坊昭彦氏である。経理畑の出身で、1991年に取締役経理部長、1998年に常務、2000年に専務を経て社長に就いた。上場に消極的だった出光昭介名誉会長らを、自由化による環境変化を理由に熱心に説得したとされる。過剰な負債を問題視された出光にとって、上場は同族経営から抜けるためにも避けて通れない道であった[3][4]。
四十四時間燃えた製油所
準備の途中で躓きがあった。2003年9月26日の十勝沖地震にともなって北海道製油所の原油タンクが燃え、28日早朝にはナフサ貯蔵タンクからも出火して、鎮火まで44時間を要した。消防への報告漏れなど出光側の判断ミスが目立ち、稼働から30年を経た同製油所での火災は2001年2月と12月、2002年4月に続いて通算5回目であった。10月1日の記者会見で天坊昭彦氏は責任問題に自分も含まれると述べ、一部で辞意と報じられている[5][6][7]。
決断
優先株を消して普通株へ組み替える
上場の前に資本の形を組み替える必要があった。2005年10月、386億円を減資して優先株式3,780千株を消却し、第三者割当増資で普通株式7,321千株を発行して512億円を増資している。それまで議決権のある資本金は10億円、株式数にして2000万株にすぎず、その過半を創業者の長男である出光昭介名誉会長が実質的に保有していた。優先株のままでは自己資本にはなっても、株式市場に出せる形にはならない[8][9]。
割当先の選び方に、この増資の意図が表れている。優先株を消却した銀行のほか、石油化学で提携する三井化学、LPガスで事業を統合する三菱商事といった事業のパートナー、そして給油所を営む販売店に引き受けてもらった。一方で、創業家が過半を持つ不動産会社の日章興産ら既存の大株主には割り当てていない。創業家の持ち株比率を、増資のたびに薄めていく設計である[10]。
結果
前例のない規模の直接上場
2006年10月、出光は東京証券取引所市場第一部へ上場した。2004年度の年商2兆7636億円という規模での東証一部への直接上場は前例がない。天坊昭彦氏は上場後の株主構成について、流動的な株主が3割ほどを占め、創業家関係者は多くの株式を保有するが好き勝手はできない構成になる、そうでなければ上場はできない、と述べていた。もっとも財務の見劣りは残り、第三者割当増資を経てなお株主資本比率は14%程度で、上場する石油元売りの平均25%の半分ほどである[11][12][13][14]。
- 週刊東洋経済 2005年6月25日号「[ニュース最前線]出光興産・天坊昭彦社長に聞く 上場は“脱”出光家への布石か」
- 週刊東洋経済 2005年10月1日号「[KeyPerson]出光興産社長 天坊昭彦 2006年秋に東証1部上場を目指す」
- 週刊東洋経済 2003年10月11日号「[ニュース最前線]出光「大火災」の余震 “普通の会社”路線に暗雲 天坊社長「辞意」発言の迷走」
- 週刊東洋経済 2000年9月9日号「[特集]このお騒がせ会社に未来はあるか 出光興産 会長の一声で上場は白紙。つきまとう金利上昇リスク」
- 出光興産 有価証券報告書【沿革】
- 出光興産 有価証券報告書(役員の状況)