ムーディーズ格下げと増資(2000年・出光興産の決断)更新:2026/08/03出光興産:業績の推移売上高(億円)親会社株主に帰属する当期純利益率(%)設立以来初の外部資本導入と、会長の一声で白紙に戻った上場1998年9月にムーディーズから"B2"の投機的格付けを付けられた出光興産が、2000年6月に優先株式2,900千株を発行して290億円を調達し、2001年3月末までに880千株を追加して合計378億円を増資した経営判断。何をなぜ決めたか:設立以来初の外部資本導入と、会長の一声で白紙に戻った上場概要1998年9月にムーディーズから"B2"の投機的格付けを付けられた出光興産が、2000年6月に優先株式2,900千株を発行して290億円を調達し、2001年3月末までに880千株を追加して合計378億円を増資した経営判断。背景1991年ごろからの二次精製装置の増設と1993年の脱ベンゼン装置への500億円投資で、1993年度にはグループの有利子負債が2兆円を超えていた。1996年の特石法廃止で価格競争が激化し、金融危機で銀行が融資を拡大する体力を失うと、借入金の大きい非上場企業という出光の姿は、そのまま信用不安として読まれるようになった。内容引き受けたのは東海・住友・住友信託の三銀行と東京海上火災保険、住友生命の5社である。優先株には議決権がなく、銀行からの役員受け入れもない。メインバンク4行のうち東京三菱は増資引受リストに入らなかった。含意社長に実権がないことが外から見える状態になり、資本の開放は2005年の資本組み替えと2006年の上場まで持ち越される。いつ何が起きたか8件筆者考察考察考察:理念と資本のあいだにあったもの社員が育っていれば必要な資金は後からついてくる、という順序である。この理念は、株主への説明責任を負わずに長期の設備投資へ踏み込める自由を与えた一方で、危機のときに株式市場から資本を入れる回路を持たないという弱さと表裏だった。1998年に効いたのは後者である。銀行が融資を拡大する体力を失うと、借入金だけに依存する資金調達は行き詰まった。優先株という妥協は、その弱さを認めながら支配権だけは維持するという、二つの要請の折り合わせであったといえる。Yutaka Sugiura, 2026年8月参考文献参考文献参考出光興産 有価証券報告書【沿革】次に読む決断同じ問い:創業家の関与2000年はごろもフーズはごろもフーズ東証2部へ上場創業から69年を経て踏み切った株式公開と資本市場からの調達2000年2002年竹内製作所竹内製作所JASDAQへの登録上場登録上場による同族の非公開企業から公開企業への移行2002年2003年セイコーエプソンセイコーエプソン東証一部へ株式上場非公開の会社から、市場の値付けに日々晒される会社への移行2003年2007年伊藤園伊藤園優先株式の東証上場議決権を持たない第1種株式を市場で売買させる資本政策2007年2008年ホシザキホシザキ東証・名証への同時上場創業61年目にしての株式公開と、二つの市場への同時上場2008年出光興産の意思決定1953年出光興産出光興産イランから石油輸入を断行国際石油カルテルに抗した民族系独立路線の確立1953年2006年出光興産出光興産東証一部へ上場個人商店を理想としてきた会社の、公開市場への踏み出し2006年×出所