出光興産 ムーディーズ格下げと増資 設立以来初の外部資本導入と、会長の一声で白紙に戻った上場

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時期 2000年5月
当時の社長 出光昭
論点 経営理念を守るための無配当・無議決権という条件で、どこまで外部資本を受け入れられるか
何をなぜ決めたか
概要

1998年9月にムーディーズから"B2"の投機的格付けを付けられた出光興産が、2000年6月に優先株式2,900千株を発行して290億円を調達し、2001年3月末までに880千株を追加して合計378億円を増資した経営判断。1940年の設立以来、出光家以外の外部資本を受け入れるのは初めてで、資本増強そのものが37年ぶりだった。

背景

1991年ごろからの二次精製装置の増設と1993年の脱ベンゼン装置への500億円投資で、1993年度にはグループの有利子負債が2兆円を超えていた。1996年の特石法廃止で価格競争が激化し、金融危機で銀行が融資を拡大する体力を失うと、借入金の大きい非上場企業という出光の姿は、そのまま信用不安として読まれるようになった。

内容

引き受けたのは東海・住友・住友信託の三銀行と東京海上火災保険、住友生命の5社である。優先株には議決権がなく、銀行からの役員受け入れもない。財務体質の強化を求める銀行団と、経営の独立性を守りたい出光側との妥協の産物だった。メインバンク4行のうち東京三菱は増資引受リストに入らなかった。

含意

社長に実権がないことが外から見える形になり、資本の開放は2005年の資本組み替えと2006年の上場まで持ち越される。

いつ何が起きたか 8件
筆者の見解
筆者の見解

理念と資本のあいだにあったもの

社員が育っていれば必要な資金は後からついてくる、という順序である。この理念は、株主への説明責任を負わずに長期の設備投資へ踏み込める自由を与えた一方で、危機のときに株式市場から資本を入れる回路を持たないという弱さと表裏だった。1998年に効いたのは後者である。銀行が融資を拡大する体力を失うと、借入金だけに依存する資金調達は行き詰まった。優先株という妥協は、その弱さを認めながら支配権だけは手放さないという、二つの要請の折り合わせであったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

同じ問いに直面した会社

創業家の関与2000年はごろもフーズ創業から69年を経て踏み切った株式公開と資本市場からの調達資本政策と事業の多角化
2002年竹内製作所登録上場による同族の非公開企業から公開企業への移行資本構成と成長資金
2003年セイコーエプソン非公開の会社から、市場の値付けに日々晒される会社への移行自前の資本調達とセイコーグループ内の関係
2007年伊藤園議決権を持たない第1種株式を市場で売買させる資本政策資金調達手段と株主構成
2008年ホシザキ創業61年目にしての株式公開と、二つの市場への同時上場創業家所有の会社を公開企業へ改めるかどうか
資金調達2017年ジャパンエレベーターサービスホールディングス創業家が過半を持ち続けたままの株式公開と、支配権を手放さない資金調達成長資金の調達と資本構成
1975年森ビル取引銀行へ差し入れた担保の解除と、グループ収益力を裏づけとする借入への転換資金調達の裏づけと、株式公開の可否
1994年トーセイ倒産した父の会社ではなく、別法人のした第二創業事業承継と、再建に使う法人の選び方
1980年オービックビジネスコンサルタント公認会計士業からの転身と、得た1億円の製品開発への全額投入創業と初期の資金繰り
2024年江崎グリコ全面拒否を貫いた第119回総会と、離れていった安定株主の一部資本配分と株主還元の決定機関
参考文献
出典・参考
  • 出光興産 有価証券報告書【沿革】

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