INPEX の歴史

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創業 1966年
母体 帝国石油+国際石油開発
創業地 東京都
創業
1941年9月、政府と民間が半額ずつ出資する資本金1億円で、帝国石油株式会社法に基づく国策会社として帝国石油が設立された。前年に日本石油・日本鉱業ら7社が興した帝国石油資源開発を母体に、外国依存の石油事情を打開する総合燃料国策として改組した。1942年には4社の石油鉱業部門を政府の斡旋で統合し、1955年には国産原油の97%以上を生産していた。もう一つの源流は1966年にインドネシアでの生産分与契約のため設立された北スマトラ海洋石油資源開発、のちの国際石油開発である。国内を担う会社と海外を担う会社が、2006年に統合して現在のINPEXになった
決断
回収まで数十年を要する資源に、国の後ろ盾を得て資本を張り続けてきた。2010年8月に日本のE&P企業として当時最大の約5,200億円を増資で調達し、2012年8月に200億米ドルのプロジェクトファイナンスを組成して、同年12月に総事業費340億米ドルのイクシスLNGへ最終投資決定した。3年後の2015年にはアブダビ陸上油田の権益を異例の40年契約で取得し、2054年までの生産を確保した。有利子負債は2011年3月期の2,731億円から2019年3月期の1兆1,412億円へ4倍に膨らんだが、経済産業大臣が筆頭株主として拒否権付きの黄金株を握る資本構造が、この時間軸の投資を支えている。
現況
売上収益の9割を海外の権益が生み、帝国石油から継いだ国内の油ガス田とパイプラインは1割に達しない事業構造である。2025年12月期の売上収益は2兆114億円、営業利益は1兆1,354億円。最大はイクシス以外の海外案件を集約した「その他のプロジェクト」の1兆4,869億円だが、産油国への税負担が重くセグメント利益は1,318億円にとどまる。利益では売上3,151億円で2,708億円を稼ぐイクシスが最大の収益源である。ただし油価と為替に業績が直結する体質は変わらず、2020年12月期には初の純損失1,117億円を計上した。
競合
競う相手は国内の同業ではなく、資本量で桁の違う国際石油メジャーである。アブダビ陸上鉱区は権益の60%をADNOCが握り、外資に開かれた40%もトタルとBPが各10%、中国のCNPCが8%で、INPEXは5%にとどまる。国内では同じ政府系の石油資源開発が2003年の上場で開発会社の統合構想から離れた一方、政府は国際石油開発と帝国石油を石油上流開発の旗艦企業に据え、この2社の統合を後押しした。石油・天然ガスの自主開発比率を2030年に50%以上へ引き上げる政府目標を、現在は事実上この一社が背負っている。
INPEX:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2025年12月期

設立ストーリー 国策会社として出発した帝国石油と、国産原油の後退 (1941年〜)

帝国石油株式会社法による石油鉱業の一元化

帝国石油は1941年9月、帝国石油株式会社法に基づき、政府と民間が半額ずつ出資して資本金1億円[1][2]で設立された。前年の1940年7月には、日本石油・日本鉱業・中野興業・旭石油・小倉石油・北樺太石油・協和鉱業の出資で帝国石油資源開発が資本金1,000万円で設立されており[3]、これを母体に国策会社へ改組した。日華事変で国際情勢が緊迫するなか、外国依存の石油事情を打開して液体燃料の供給を確保する総合燃料国策[4]の一環だった。1942年4月には日本石油・日本鉱業・旭石油・中野興業の石油鉱業部門を政府の斡旋で統合し、資本金を2億5,000万円へ[5]増やした。

1943年2月に太平洋石油と大日本石油鉱業を、1944年7月に北樺太石油を合併し、1945年1月には東邦石油を買収[6]して国内油田の大半を掌握した。国策会社として、政府は民間株に年4分の配当を保証して配当補給金を交付[7]し、社債の元利支払も保証し、創立後10年間は営業税と法人税を免除した。その代わりに業務の監督と制限を受け、配当保証と社債保証は1946年9月の法人に対する政府の財政援助の制限に関する法律の施行で廃止[8]された。1950年4月に帝国石油株式会社法を廃止する法律が公布[9]され、同年6月、帝国石油は商法に準拠する民間会社として再発足した。

    • [6]1944年7月 北樺太石油を合併、1945年1月 東邦石油を買収
    • [7]民間株に年4分の配当保証と配当補給金、社債元利支払の政府保証、創立後10年間の営業税・法人税免除
    • [8]1946年9月 法人に対する政府の財政援助の制限に関する法律の施行で配当保証・社債保証が廃止
    • [9]1950年4月 帝国石油株式会社法を廃止する法律が公布、同年6月 民間会社として再発足
    • [1]1941年9月 帝国石油株式会社法に基づき政府・民間各半額出資・資本金1億円で設立
    • [3]1940年7月 帝国石油資源開発を資本金1,000万円で設立(日本石油・日本鉱業ほか7社出資)
    • [4]設立目的は外国依存の石油事情を打開する総合燃料国策の一環
    • [5]1942年4月 4社の石油鉱業部門を統合し資本金2億5,000万円へ増資
    • [6]1944年7月 北樺太石油を合併、1945年1月 東邦石油を買収
    • [7]民間株に年4分の配当保証と配当補給金、社債元利支払の政府保証、創立後10年間の営業税・法人税免除
    • [8]1946年9月 法人に対する政府の財政援助の制限に関する法律の施行で配当保証・社債保証が廃止
    • [9]1950年4月 帝国石油株式会社法を廃止する法律が公布、同年6月 民間会社として再発足
    • [2]1941年9月 帝国石油株式会社法に基づき資本金1億円で設立(1971年の同社常務による説明)

原油単価の下落と、天然ガス増産による資金繰り

戦後の原油生産は台湾油田の喪失と戦時中の乱掘で落ち込み、1948年度には年間16万5,000余キロリットルと創立以来の最低[10]を記録した。秋田県の八橋油田で新油層が相次いで発見され、1951年度には年間35万3,000余キロリットルと創立以来の最高[11]へ戻した。1955年3月には資産再評価積立金5億円を資本へ組み入れる倍額増資で資本金を20億円[12]とし、社債20億円の発行も決めた。1955年3月期の売上高は17億8,000万円[13]で、国産原油の97%以上を帝国石油が生産[14]し、その大部分を日本石油・日本鉱業・昭和石油の裏日本製油所へ販売した。

    • [10]1948年度 原油生産 年間16万5,000余キロリットル(創立以来の最低)
    • [11]1951年度 原油生産 年間35万3,000余キロリットル(創立以来の最高)
    • [12]1955年3月 資産再評価積立金5億円の資本組入による倍額増資で資本金20億円
    • [13]1955年3月期 売上高17億8,000万円
    • [14]国産原油の97%以上を帝国石油が生産

原油の販売単価は1951年の1キロリットル当たり10,091円から1970年には6,615円[15]へ下がり、20年で約6割6分の水準になった。同じ期間に従業員は約6,200人から2,030人へ減ったが、人件費は14億5,000万円から34億8,000万円[16]へ増え、1人当たりでは7.3倍になった。1964年2月には資金繰りが行き詰まり、日本鉱業の林副社長が帝国石油の社長へ就任[17]して再建にあたった。銀行の支援を得にくいなか、新潟県の頚城鉱業所を中心に天然ガスを増産し、換金の早いガスで資金を回す自己金融[18]の道を選んだ。ただし1964年の増産で井戸が弱り、その後2年ほどは天然ガスの生産量が減った[19]

    • [15]原油販売単価 1951年10,091円/kl → 1970年6,615円/kl
    • [16]従業員 約6,200人→2,030人、人件費14億5,000万円→34億8,000万円、1人当たり7.3倍
    • [17]1964年2月 日本鉱業の林副社長が帝国石油社長へ就任し再建にあたる
    • [18]新潟県頚城鉱業所を中心に天然ガスを増産する自己金融方式
    • [19]1964年の増産で井戸が弱り約2年間は天然ガス生産量が減少
    • [10]1948年度 原油生産 年間16万5,000余キロリットル(創立以来の最低)
    • [11]1951年度 原油生産 年間35万3,000余キロリットル(創立以来の最高)
    • [12]1955年3月 資産再評価積立金5億円の資本組入による倍額増資で資本金20億円
    • [13]1955年3月期 売上高17億8,000万円
    • [14]国産原油の97%以上を帝国石油が生産
    • [15]原油販売単価 1951年10,091円/kl → 1970年6,615円/kl
    • [16]従業員 約6,200人→2,030人、人件費14億5,000万円→34億8,000万円、1人当たり7.3倍
    • [17]1964年2月 日本鉱業の林副社長が帝国石油社長へ就任し再建にあたる
    • [18]新潟県頚城鉱業所を中心に天然ガスを増産する自己金融方式
    • [19]1964年の増産で井戸が弱り約2年間は天然ガス生産量が減少

海外自主開発への進出と国際石油開発の設立

帝国石油も海外へ出て、1970年前後にはマレーシア・サバ州で約1万9,000平方キロメートルの鉱区[20]を持ち、石油開発公団・丸紅飯田・日本鋼管との共同出資会社で物理探鉱[21]を進めた。1970年にサバ州タワオ市沖で試掘井を3本掘り、油を含む層は確認した[22]が商業規模の成功には至らなかった。コンゴでは1970年にガルフ社の鉱区へ資本参加し、1971年初めの第1井で出油[23]した。国内では新潟県の頚城から東京瓦斯豊洲工場まで約330キロメートルのパイプラインを敷き[24]、うち草加以南の約30キロメートルを東京瓦斯へ売却して2億6,500万円の売却益[25]を得た。1971年度の探鉱投資は約23億円・試掘井22坑を予定し、試掘井の約8割は不成功[26]という前提で毎年16億〜17億円を損金に落としていた。

    • [20]マレーシア・サバ州で約1万9,000平方キロメートルの鉱区を保有
    • [21]石油開発公団・丸紅飯田・日本鋼管との共同出資会社で物理探鉱
    • [22]1970年 サバ州タワオ市沖で試掘井3本を掘削、油を含む層は確認
    • [23]1970年 コンゴでガルフ社の鉱区へ資本参加、1971年初めに第1井で出油
    • [24]新潟県頚城〜東京瓦斯豊洲工場 約330キロメートルのパイプライン
    • [25]草加以南約30キロメートルを東京瓦斯へ売却し売却益2億6,500万円
    • [26]1971年度 探鉱投資約23億円・試掘井22坑、試掘井の約8割が不成功
    • [20]マレーシア・サバ州で約1万9,000平方キロメートルの鉱区を保有
    • [21]石油開発公団・丸紅飯田・日本鋼管との共同出資会社で物理探鉱
    • [22]1970年 サバ州タワオ市沖で試掘井3本を掘削、油を含む層は確認
    • [23]1970年 コンゴでガルフ社の鉱区へ資本参加、1971年初めに第1井で出油
    • [24]新潟県頚城〜東京瓦斯豊洲工場 約330キロメートルのパイプライン
    • [25]草加以南約30キロメートルを東京瓦斯へ売却し売却益2億6,500万円
    • [26]1971年度 探鉱投資約23億円・試掘井22坑、試掘井の約8割が不成功

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INPEXの沿革1940〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
帝国石油資源開発を設立
1941〜1971年国策会社として出発した帝国石油と、国産原油の後退帝国石油を設立★★★
日本石油など4社の石油鉱業部門を統合★★
太平洋石油・大日本石油鉱業を合併
北樺太石油を合併
東邦石油を買収★★
政府による配当保証・社債保証が廃止
年間原油生産量が創立以来の最低
商法に準拠する民間会社として再発足★★★
年間原油生産量が創立以来の最高
国産原油の97%以上を生産★★
資産再評価積立金の資本組入により倍額増資
東京証券取引所に上場
南関東ガス田で水溶性ガスの開発を開始★★
長距離高圧天然ガスパイプライン「東京ライン」が完成★★
日本鉱業から社長を迎えて経営再建に着手★★
北スマトラ海洋石油資源開発を設立★★
インドネシア石油資源開発に商号変更
アタカ油田を発見★★
ガルフ社の鉱区に資本参加
1972〜2005年海外権益の積み上げと、豪州での単独オペレーター化ジャパン石油開発を設立
インドネシア石油に商号変更
南長岡ガス田を発見★★
越路原プラントが完成
北西大陸棚で探鉱を開始★★
WA-285-P鉱区を権益100%で取得★★
WA-285-P鉱区で天然ガスの埋蔵を確認
アザデガン油田の開発で優先交渉権を獲得★★
国際石油開発に商号変更
ガス・コンデンセート田をイクシスと命名★★
アザデガン油田の優先交渉権が失効
ジャパン石油開発を統合★★
イラン石油公社とアザデガン油田の基本契約に調印★★
東京証券取引所市場第一部に上場
カスピ海ACG鉱区で生産を開始
国際石油開発と帝国石油の経営統合、共同持ち株会社の設立

2005年11月5日、国内石油・天然ガス生産量首位の国際石油開発と同4位の帝国石油が経営統合を発表し、2006年4月に共同持ち株会社・国際石油開発帝石ホールディングスを設立した経営判断。2008年10月には傘下2社を吸収合併して事業会社化し、国内最大のE&P企業が誕生した。

詳細を読む
★★★
2006〜2018年経営統合とイクシスへの340億米ドル投資黒田直樹イクシスの開発権益24%をトタルに譲渡★★
黒田直樹株式移転により国際石油開発帝石HDを設立★★
黒田直樹東京証券取引所市場第一部に上場
黒田直樹アザデガン油田の開発権を10%に引き下げ★★★
黒田直樹国際石油開発・帝国石油を吸収合併★★
黒田直樹国際石油開発帝石に商号変更
黒田直樹イクシスLNGプロジェクトのFEEDを開始
北村俊昭公募増資・第三者割当増資により約5200億円を調達★★
北村俊昭イクシスLNGのプロジェクトファイナンスを締結★★
北村俊昭総事業費340億米ドル、イクシスLNGプロジェクトの最終投資決定

2012年12月、国際石油開発帝石(当時、現INPEX)が、豪州イクシスLNGプロジェクトについて総事業費約340億米ドルの最終投資決定(FID)を下した経営判断。北村俊昭社長が主導し、日本の資源開発企業として初めて自らオペレーターを務める大型LNG事業への挑戦であった。

詳細を読む
★★★
北村俊昭直江津LNG基地が竣工
北村俊昭サルーラ地熱発電事業に参画
北村俊昭アブダビ陸上油田(ADCO)権益、異例の40年契約による確保

2015年4月、国際石油開発帝石(当時、現INPEX)が、アラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国の大型陸上油田ADCO鉱区(現アブダビ陸上鉱区)の参加権益5%を取得したと発表した経営判断。契約期間は2015年1月から2054年までの40年間で、10〜20年が一般的な石油契約としては異例の長期契約であった。

詳細を読む
★★★
北村俊昭連結売上高が1兆95億円へ縮小★★
上田隆之下部ザクム油田の権益を取得
上田隆之イクシスLNGプロジェクトが操業開始★★
2019〜2025年一本足経営の自認と、脱炭素への資本配分上田隆之アバディLNGプロジェクトの開発計画が承認
上田隆之連結純損失1117億円を計上★★
上田隆之スノーレプロジェクトに参画
上田隆之INPEXに商号変更
上田隆之自己株式を取得
上田隆之長期戦略「INPEX Vision @2022」を公表★★
上田隆之洋上風力発電事業に参画
上田隆之プライム市場に移行
上田隆之売上収益2兆3161億円・親会社帰属利益4611億円を計上★★
上田隆之イクシスの年産能力を930万トンに引き上げ
上田隆之洋上風力発電事業に参画
上田隆之アバディLNGの改定開発計画が承認
上田隆之長期戦略「INPEX Vision 2035」を公表★★
上田隆之中期経営計画を開始
上田隆之売上収益2兆114億円・親会社帰属利益3938億円を計上
出典・参考

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