石油資源開発石油公団保有株の売り出しによる東証一部上場と、開発会社統合構想からの離脱
国策の担い手として統合されるか、単独で市場の評価を受けるか——石油公団廃止をめぐる進路
- 概要
- 2003年12月、石油資源開発は石油公団が保有する株式の一部の売り出しによって東京証券取引所市場第一部へ上場した。新株の発行はなく、売却者は廃止が決まっていた石油公団であった。資源エネルギー庁が構想した開発会社の統合に加わらず、単独で資本市場へ出る道を選んだ判断でもあった。
- 背景
- 1955年に半額以上を政府が出資する特殊会社として発足し、1967年の公団移管と1970年の民間会社化を経てもなお、政府出資と通商産業省OB社長の慣行が残っていた。小泉政権下の特殊法人整理で石油公団の2005年3月廃止が決まり、保有する開発会社株式の処分が課題となった。
- 内容
- 2000年8月の小委員会中間報告書の段階から上場準備に入り、サハリン1プロジェクトの資金調達を理由に単独上場を働きかけた。2003年3月の最終報告書が挙げた「中核的企業」3社に同社の名はなく、同年12月10日に上場した。石油公団の保有比率は65.74%から49.94%へ下がった。
- 含意
- 石油公団の廃止後、残る株式は国(経済産業大臣)へ承継され、2007年の追加売出しで保有比率は34.00%まで下がった。上場から20年余りを経ても政府は最大株主であり、国策会社としての出自と資本市場の評価をどう両立させるかという課題が残った。
国策と採算のあいだ
この上場を民営化の一歩とだけ読むと、判断の芯を取り逃がす。石油公団の解体という外から来た圧力のもとで、同社が守ろうとしたのは独立した経営そのものであった。4社統合に組み込まれれば、破綻したジャパン石油開発の債務整理と一体で再編される側へ回る。中間報告書が出た2000年8月から準備を始め、サハリン1の資金調達を理由に単独上場の環境を整えた棚橋祐治社長の動きは、その回避を狙ったものだとみられる。
もっとも、市場へ出たことで国策の重さが消えたわけではない。政府の保有比率は49.94%から34.00%へ下がったのち37.84%へ戻り、最大株主は今も経済産業大臣である。2023年の決算説明会でPBR1倍割れに即効策は無いと会社自身が認めたように、資本市場の評価は上場から20年を経ても課題として残った。上場は答えではなく、国策と採算のどちらを優先するのかという問いを社外へ開く手続きであったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
二度の組織転換を経ても残った政府出資
石油資源開発は1955年12月、政府の石油資源開発5カ年計画に基づく特殊会社として発足した。設立時の政府出資は約56%にのぼり、国内の石油・天然ガス探鉱開発を国家事業として担う会社であった。1967年10月には特殊会社が解散して業務は石油開発公団へ承継され、1970年4月にあらためて民間会社として再発足する。法人形態は3年で二度変わったが、旧会社の政府出資分は公団が引き継ぎ、政府が過半を握る資本構造は残った[1][2]。
その資本構造を揺らしたのが、小泉政権下の特殊法人整理であった。石油公団は2005年3月の廃止が決まり、保有する開発会社株式の処分方針は2003年3月、総合資源エネルギー調査会の小委員会最終報告書で内定した。公団は前期末で7,701億円の欠損金を抱えていた。同じ傘下のジャパン石油開発は同年3月19日、負債総額3,077億円で民事再生法の適用を申請しており、破綻処理と統合は報告書のうえでひと続きの筋書きであった[3][4]。
決断
統合構想から抜けての単独上場
資源エネルギー庁が当初描いていたのは、石油資源開発を含む開発会社4社の統合であった。だが同社は2000年8月に小委員会の中間報告書が出た段階で上場準備に入り、サハリン1プロジェクトの資金調達を理由に、単独上場へ向けてエネ庁首脳への説得を重ねたとされる。結果として、2003年3月の最終報告書が「中核的企業」に挙げた国際石油開発・サハリン石油開発・ジャパン石油開発の3社から、同社の名は消えていた[5][6]。
上場は2003年12月10日であった。新株の発行はせず、石油公団が保有株の一部を売り出す形をとり、仮条件で計算すると公団には約300億円が入る。売却によって公団の保有比率は65.74%から49.94%へ下がった。当時の同社は新潟県などでの国産天然ガスの開発生産を主力とし、売上高887億円・経常利益134億円という利益率15%の見通しを立てていた。社長は旧通産省で事務次官まで務めた棚橋祐治氏であった[7][8][9][10]。
結果
政府を最大株主に残したままの上場企業
石油公団は2005年4月に廃止され、残る保有株は国(経済産業大臣)へ承継された。2007年6月15日を受渡期日とする売出しで15.94%相当が売却され、政府の保有比率は34.00%まで下がる。以後は自己株式の取得と消却で発行済株式数が減り、2026年3月末には経済産業大臣が9,716万株・37.84%を保有する筆頭株主に戻っていた。上場から20年余りを経ても、政府は最大株主のまま残った[11][12]。
上場で得た信用力は海外権益の取得へ向かった。2007年5月のインドネシア・カンゲアン鉱区に係る株式取得、2010年3月のジャペックスガラフ設立、2014年3月の英領北海事業会社設立と続き、連結売上高は2004年3月期の967億円から2015年3月期には3,049億円へ伸びた。一方で市場の評価は伴わず、2023年5月の決算説明会では、PBR1倍割れに即効策は無いと会社側が認める場面もあった[13][14][15]。
- 週刊東洋経済 2003年12月6日号「[TheHeadline/ニュース最前線]1st「和製メジャー」幻想曲さらば、石油公団一家 「長兄企業」上場の舞台裏」
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- 石油資源開発 有価証券報告書(連結・2004年3月期/2015年3月期)
- 石油資源開発「事業等のリスク(政府による当社株式の保有)」
- 石油資源開発「株式の状況(大株主の状況)」(2026年3月31日現在)
- 石油資源開発 2023年3月期 決算説明会 質疑応答