1955年〜 石油資源総合開発五ヵ年計画のもとで発足し公団へ吸収された15年
- 1955年 前身の特殊会社「石油資源開発」設立
- 1958年 見附油田(新潟県)発見
- 1959年 東新潟ガス田(新潟県)発見
- 1960年 片貝ガス田(新潟県)発見
- 1962年 エスケイ産業設立
- 1967年 旧会社解散・石油開発公団へ業務承継
- 1970年 公団から分離・民間会社石油資源開発として再発足
国産原油が需要の3%に満たなかった時代の増産計画
1950年代前半の日本で、国産原油は石油需要の3%にも満たず[1]、輸入のために支払う外貨は膨らんでいた。国内油田の大半は帝国石油が握り、同社が国産原油の97%以上を生産していた[2]。1941年9月に帝国石油株式会社法にもとづいて政府と民間の各半額出資で設立された[3]会社であり、戦時下には日本石油や日本鉱業などの石油鉱業部門を統合して国内油田を一元的に開発した[4]経緯を持つ。終戦の年には政府出資を増やして資本金を4億6,000万円とした[5]が、1948年度の生産量は年間16万5,000キロリットル余りと創立以来の最低へ落ち込んだ[6]。秋田県八橋油田で新油層が相次いで見つかり[7]、1951年度に35万3,000キロリットル余りまで戻した[8]のが戦後の到達点であった。
- [1]国産原油は石油需要の3%未満
- [2]帝国石油が国産原油の97%以上を生産
- [3]1941年9月 帝国石油株式会社法にもとづき政府・民間の各半額出資で帝国石油設立
- [4]戦時下に日本石油・日本鉱業などの石油鉱業部門を統合し国内油田を一元的に開発
- [5]終戦時の資本金 4億6,000万円(政府出資の増加による)
- [6]1948年度の原油生産量 16万5,000キロリットル余り(創立以来の最低)
- [7]秋田県八橋油田での新油層の発見・開発
- [8]1951年度の原油生産量 35万3,000キロリットル余り(創立以来の最高)
この状況に対し、政府は国内資源開発の重要施策として石油資源総合開発五ヵ年計画を策定し[9][10]、石油資源探鉱促進臨時措置法を公布施行した[11]。年産100万キロリットルの達成を目標に掲げ、1955年度から実行に移す計画[12]で、目標は1951年度実績の3倍近い水準にあたった[13]。帝国石油も1955年3月に資本金を20億円へ増額し、20億円の社債発行を決めた[14]。そして1955年12月、計画の担い手として前身の特殊会社「石油資源開発株式会社」が設立され[15]、設立時には政府が約56%を出資した[16]。
- [9]政府が石油資源総合開発五ヵ年計画を策定
- [11]石油資源探鉱促進臨時措置法の公布施行
- [12]年産100万キロリットルの達成を目標に1955年度から実行
- [13]目標100万キロリットルは1951年度実績35万3,000キロリットルの約3倍
- [14]帝国石油は1955年3月に資本金20億円へ増額し社債20億円の発行を決定
- [10]石油資源総合開発5カ年計画と会社設立を1章に立てる社史の章立て
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [15]1955年12月 前身の特殊会社「石油資源開発株式会社」設立
- [16]設立時の政府出資比率 約56%
- [1]国産原油は石油需要の3%未満
- [2]帝国石油が国産原油の97%以上を生産
- [3]1941年9月 帝国石油株式会社法にもとづき政府・民間の各半額出資で帝国石油設立
- [4]戦時下に日本石油・日本鉱業などの石油鉱業部門を統合し国内油田を一元的に開発
- [5]終戦時の資本金 4億6,000万円(政府出資の増加による)
- [6]1948年度の原油生産量 16万5,000キロリットル余り(創立以来の最低)
- [7]秋田県八橋油田での新油層の発見・開発
- [8]1951年度の原油生産量 35万3,000キロリットル余り(創立以来の最高)
- [9]政府が石油資源総合開発五ヵ年計画を策定
- [11]石油資源探鉱促進臨時措置法の公布施行
- [12]年産100万キロリットルの達成を目標に1955年度から実行
- [13]目標100万キロリットルは1951年度実績35万3,000キロリットルの約3倍
- [14]帝国石油は1955年3月に資本金20億円へ増額し社債20億円の発行を決定
- [10]石油資源総合開発5カ年計画と会社設立を1章に立てる社史の章立て
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [15]1955年12月 前身の特殊会社「石油資源開発株式会社」設立
- [16]設立時の政府出資比率 約56%
新潟・秋田での相次ぐ発見と海外権益への最初の一歩
探鉱の成果は設立から3年目に現れ、1958年3月に見附油田(新潟県)[17]、同年7月に申川油田(秋田県)が見つかった[18]。1959年6月には東新潟ガス田(新潟県)[19]、1960年12月には片貝ガス田(新潟県)が続き[20]、1968年4月の吉井ガス田(新潟県)[21]まで主要な発見は5件を数えた。開発の対象は北海道・秋田・山形・新潟の4地域[22]にわたり、物理探鉱技術とさく井技術は地域別の開発とならぶ事業の柱[23]に置かれた。
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [17]1958年3月 見附油田(新潟県)発見
- [18]1958年7月 申川油田(秋田県)発見
- [19]1959年6月 東新潟ガス田(新潟県)発見
- [20]1960年12月 片貝ガス田(新潟県)発見
- [21]1968年4月 吉井ガス田(新潟県)発見
- [22]開発の対象地域は北海道・秋田・山形・新潟の4地域
- [23]物理探鉱技術・さく井技術を各論の章として立てる社史の構成
国内の探鉱と並行して、1962年6月にはエスケイ産業を設立し[24]、探鉱と生産の周辺へも事業を広げた。1966年2月には北スマトラ海洋石油資源開発へ参画し[25]、のちに石油資源開発インドネシアとなってINPEXへつながる会社[26]の株主となった。1967年の時点で、海外原油の開発は第3次5カ年計画とならぶ将来の展望に掲げられていた[27]。
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [24]1962年6月 エスケイ産業設立
- [25]1966年2月 北スマトラ海洋石油資源開発へ参画
- [26]北スマトラ海洋石油資源開発は現INPEX
- [27]1967年時点の将来展望に第3次5カ年計画と海外原油の開発を掲げる
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [17]1958年3月 見附油田(新潟県)発見
- [18]1958年7月 申川油田(秋田県)発見
- [19]1959年6月 東新潟ガス田(新潟県)発見
- [20]1960年12月 片貝ガス田(新潟県)発見
- [21]1968年4月 吉井ガス田(新潟県)発見
- [24]1962年6月 エスケイ産業設立
- [25]1966年2月 北スマトラ海洋石油資源開発へ参画
- [26]北スマトラ海洋石油資源開発は現INPEX
- [22]開発の対象地域は北海道・秋田・山形・新潟の4地域
- [23]物理探鉱技術・さく井技術を各論の章として立てる社史の構成
- [27]1967年時点の将来展望に第3次5カ年計画と海外原油の開発を掲げる
発足12年での解散と民間会社としての再発足
1967年10月、政府は石油開発公団を新設し、特殊会社「石油資源開発」は解散した[28]。業務は公団の事業本部へ承継され、設立から約12年で独立した法人格は失われた[29]。公団は自ら探鉱する機関ではなく、民間企業の探鉱事業への出資・融資・債務保証を目的とし[30]、融資は事業が失敗すれば返済を要しない「成功払い」[31]を特徴としていた。設立の背景には、1967年2月の総合エネルギー調査会の初答申を受けて高まった海外での石油開発の機運[32]があり、日本企業の規模の小ささと出遅れが前提に置かれていた[33]。公団は1978年6月に石油公団へ改称された[34]。
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [28]1967年10月 石油開発公団新設・特殊会社解散、業務は公団の事業本部へ承継
- [29]設立から解散まで約12年(1955年12月→1967年10月)
- [30]石油開発公団は自ら探鉱せず民間企業の探鉱事業に出資・融資・債務保証を行う機関
- [31]公団融資は失敗時に返済を要しない「成功払い」が特徴
- [32]1967年2月 総合エネルギー調査会の初答申を受けて海外石油開発の機運が高まる
- [33]公団設立の前提に日本企業の規模の小ささと出遅れ
- [34]1978年6月 石油開発公団が石油公団へ改称
1970年4月、政府は石油開発公団から国内資源開発事業を再び分離し[35]、民間会社「石油資源開発株式会社」として再発足させた。旧会社の政府出資分は公団が承継した[36]ため、政府は公団を通じて過半を握る大株主として残った。3年のあいだに特殊会社から公団の一部門へ、さらに民間会社へと法人形態は二度変わった[37]。1955年の創業以来、社長にはおもに通商産業省の出身者が就いており[38]、この慣行は民間会社としての再発足を経ても続いた。
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [35]1970年4月 公団から分離し民間会社「石油資源開発株式会社」として再発足
- [36]旧会社の政府出資分は石油開発公団が承継
- [37]1967年10月から1970年4月まで3年で二度の法人形態転換
- [38]1955年の創業以来おもに通商産業省の出身者が社長に就任
- 石油資源開発 有価証券報告書【沿革】
- [28]1967年10月 石油開発公団新設・特殊会社解散、業務は公団の事業本部へ承継
- [29]設立から解散まで約12年(1955年12月→1967年10月)
- [35]1970年4月 公団から分離し民間会社「石油資源開発株式会社」として再発足
- [36]旧会社の政府出資分は石油開発公団が承継
- [37]1967年10月から1970年4月まで3年で二度の法人形態転換
- [30]石油開発公団は自ら探鉱せず民間企業の探鉱事業に出資・融資・債務保証を行う機関
- [31]公団融資は失敗時に返済を要しない「成功払い」が特徴
- [32]1967年2月 総合エネルギー調査会の初答申を受けて海外石油開発の機運が高まる
- [33]公団設立の前提に日本企業の規模の小ささと出遅れ
- [34]1978年6月 石油開発公団が石油公団へ改称
- [38]1955年の創業以来おもに通商産業省の出身者が社長に就任