歴史詳細 - 3つの時代区分で読み解く

1955年〜1989年 国策特殊会社として始まり民間会社へ再編された30年

売上高と利益率の推移
売上高(億円)

半額政府出資の特殊会社で発足した国内資源開発の起点

1955年12月、政府の石油資源開発5カ年計画に基づき、石油資源開発の前身となる特殊会社「石油資源開発株式会社」が東京で設立された[1]。半額以上を政府が出資し(設立時約56%)、国内の石油・天然ガス探鉱開発を国家事業として担う体制が組まれた[2]。戦後復興期の日本はエネルギー資源の8割超を海外原油の輸入に依存する構造にあり、国内資源の自前開発を国策として推進する仕組みが必要とされた。設立された特殊会社は政策遂行のための国家事業会社として位置付けられ、創業時から経営の独立性よりも国策遂行能力が事業特性を規定した。半額政府出資という資本構造は、その後70年に及ぶ官民の役割分担の出発点となった。

1950年代後半から1960年代にかけて、同社は新潟県・秋田県を中心に国内陸域で油田・ガス田の発見を続けた。1958年3月に見附油田(新潟県)、同年7月に申川油田(秋田県)、1959年6月に東新潟ガス田(新潟県)、1960年12月に片貝ガス田(新潟県)、1968年4月に吉井ガス田(新潟県)が相次いで発見され、国内の在来型炭化水素資源の埋蔵を実証する役割を果たした[3][4][5][6][7]。発見した油ガス田は商業生産規模が小さく国内のエネルギー需給を一変させる規模には届かなかったが、技術蓄積と探鉱データの面では国内資源開発の中核を担う事業者としての地位を固めた。

特殊会社としての10年強の運営は、国家予算と政府人事に強く規定される事業環境を作った[8]。社長・取締役の人事は通商産業省(現経済産業省)の決定権が強く、事業計画は国の石油資源開発計画と連動した。1962年6月のエスケイ産業設立や1966年2月の北スマトラ海洋石油資源開発(後の石油資源開発インドネシア、現INPEX)への参画は、特殊会社時代に蓄積した技術と人材を周辺事業や海外初期権益へ展開する試行だった[9][10]。とりわけ北スマトラ海洋は後にINPEXへ発展する事業の起点であり、石油資源開発の海外開発への関与は1960年代半ばから始まっていた事実は記録に値する。

公団移管と民間会社化を経た二度の構造転換

1967年10月、政府は石油開発公団(後の石油公団、現JOGMEC)を新設し、特殊会社「石油資源開発」は解散され、その業務は石油開発公団の事業本部として承継された[11]。発足から約12年の特殊会社は一旦組織形態を解消され、国内資源開発機能は公団傘下の一事業として再配置された。海外石油権益の取得を国家戦略として強化する政策方針のもとで、国内開発と海外権益取得を一体運営する公団体制が選好された結果である。同社の事業は、独立した法人格を持つ事業会社から、公団の事業部門へと格下げされた。発見した油ガス田の規模と生産量から得る収益では事業会社として自立するに足りなかった事業環境を反映する組織選択でもあった。

1970年4月、政府は石油開発公団から国内資源開発事業を再分離し、民間会社「石油資源開発株式会社」として再発足させた[12]。旧特殊会社の政府出資分は石油開発公団が継承し、政府は引き続き間接的に過半を保有する大株主として残った[13]。1967年の公団移管と1970年の民間会社化という3年間の二度の組織形態転換は、国策事業を遂行する組織がどの法人形態で運営されるべきかをめぐる政策の試行錯誤を反映していた。再発足以降、同社は形式上は民間会社として独自の意思決定機関を持ったが、政府保有比率の高さと官僚OB社長の慣行は引き継がれ、実質的な国策会社の性格は維持された。

1970年代から1980年代の同社は、国内油ガス田の探鉱・生産と周辺事業会社の整備を地道に進めた。1971年5月に日本海洋石油資源開発、同年10月にエスケイエンジニアリング、1983年4月に地球科学総合研究所が連結子会社として設立され、海洋開発・エンジニアリング・探鉱技術研究の機能を社内分散する体制が組まれた[14][15][16]。1976年6月の由利原油ガス田(秋田県)、1989年3月の勇払油ガス田(北海道)と新たな発見が続いたが、国内油ガス田は規模・生産量とも小規模で、同社の事業基盤を桁違いに拡大する役割は果たさなかった[17][18]

1990年〜2014年 ガス供給インフラの構築と東証一部上場による民間企業化

売上高と利益率の推移
売上高(億円)

パイプラインとガス供給網が変えた事業構造

1996年3月、石油資源開発は新潟・仙台間ガスパイプライン(総延長251km)を完成させた[19][20]。新潟県内のガス田から東北地方の都市ガス会社・大口需要家へ天然ガスを広域供給するインフラで、同社の事業構造を「資源を発見・生産する事業者」から「資源を発見・生産・輸送・販売するインフラ事業者」へ転換させる契機となった。それまでの探鉱・生産事業は発見と採掘で完結する事業特性だったが、長距離パイプラインの保有・運営はインフラ資産を持つ会社としての規律と財務体力を要求する事業領域であり、石油資源開発の事業ポートフォリオの性質を質的に変化させた。

1990年代から2000年代にかけて、同社は国内ガス田群と長距離パイプラインを組み合わせた供給網の整備を進めた。新潟・仙台パイプラインに続き、新潟県内のガス田を起点に首都圏方面・北陸方面へ供給網を拡張し、自治体ガス会社・大手都市ガス会社・大口工業需要家との供給契約を積み上げた。同時期、世界的にはLNG(液化天然ガス)輸入による天然ガス需要の拡大が進み、国内のガス供給市場は成長局面にあった。在来型ガス田の生産量に頭打ちが見える一方で、輸送・販売の川下事業を抱えることで、同社は単独で在来型生産事業者にとどまる事業構造から脱却し始めた。

2003年10月の白根瓦斯設立は、新潟県内の地域都市ガス事業の取り込みであり、川下インフラ事業を地方ガス会社の買収・連結化で広げる動きの一例だった[21]。2003年12月の東京証券取引所市場第一部への上場は、同社の事業性格を象徴的に変えた出来事である[22]。1955年の特殊会社設立から半世紀近くを経て、国策会社の性格を保ちつつ民間上場企業として資本市場で評価を受ける立場に移行した。政府保有株式は石油公団(後にJOGMECに統合、その後、政府直接保有に移管)が引き続き保有し、政府は実質的な大株主として残った一方、上場により株式の一部は機関投資家・個人投資家へ広く開放された。

海外権益取得と統合報告書時代の経営姿勢

2007年5月、同社はインドネシア・カンゲアン鉱区に係る英領ヴァージン諸島法人エネルギー メガ プラタマ社の株式を取得した[23]。1966年の北スマトラ海洋石油資源開発設立以来、断続的に続いてきた海外権益への関与は、上場後の財務体力で加速段階に入った[24]。続いて2009年11月のジャペックスエネルギー、2010年3月のジャペックスガラフ(中東イラク・ガラフ油田事業の事業会社)、2014年3月のジャペックス ユーケー イーアンドピー(英領北海アバディーン沖合)と、海外権益取得・事業会社設立を相次いで実行した[25][26][27]

これらの海外権益取得は、国内の在来型ガス田・油田の生産量が成熟期を迎えるなかで、将来の埋蔵量・生産量を確保する経営判断として位置付けられた。事業エリアはインドネシア・イラク・英領北海と地理的に分散し、各地域での権益形態もマイノリティ出資から事業会社設立までさまざまな形態を試行する段階だった。同時期、世界的にはシェール革命(2010年代前半に米国で本格化)、油価変動の振幅拡大、CO2排出削減を求める政策的圧力という構造変化が進行し、上流E&P(探鉱・開発・生産)事業の収益見通しは不安定化していた。同社の海外権益取得は規模としては小規模で、世界の主要石油会社のオペレーター案件と比べると一段下のマイノリティ参画にとどまるものが多かった。

2015年3月期の連結売上高は3,049億円、経常利益548億円と、油価高水準のもとで同社の業績は高水準を記録した。だが翌2016年3月期は売上高2,403億円・経常利益47億円へ急落し、2014年後半からの油価急落(WTI100ドル台→40ドル台)が同社の業績を直撃した。在来型生産事業者として油価変動に対して脆弱な収益構造を持つ同社にとって、油価依存からの脱却と長期的なキャッシュフローの安定化が経営課題となった。1996年のガスパイプライン以来構築してきた国内インフラ事業は、油価変動に対して収益のクッションとなったが、それだけで事業全体の収益を支えるには至らなかった。

2015年〜現在年 カーボンニュートラル投資と初の生え抜き社長への転換期(2015〜現在)

売上高と利益率の推移
売上高(億円)

LNG基地と発電事業がもたらした川下インフラの完成

2015年4月、福島ガス発電株式会社が設立された[28]。福島県相馬地区を拠点に、LNG輸入受入基地と天然ガス火力発電所を一体運営する事業計画で、石油資源開発は同社を持分法適用関連会社として参画した。2018年3月、相馬LNG基地(福島県)が操業を開始し、年間110万トン規模のLNG輸入受入能力を持つ拠点として稼働を始めた[29]。1996年の新潟・仙台パイプライン完成から22年を経て、同社は天然ガスのバリューチェーンを「上流(探鉱・生産)→中流(輸送・基地)→下流(発電・販売)」と一貫して保有するインフラ事業者の体裁を完成させた。

2020年4月、福島ガス発電が発電した電力の販売が開始され、同社グループは電力小売事業を含む統合的なエネルギー供給事業者としての姿勢を強めた[30]。2023年3月期は油価のロシア・ウクライナ情勢を反映した急騰のもとで売上高3,365億円・経常利益831億円と業績を回復し、2024年3月期も売上高3,259億円・経常利益688億円と高水準を維持した。但し2022年3月期は特別損失1,458億円(インドネシアカンゲアン鉱区関連の減損等)を計上し、純損失310億円を計上した。海外権益事業のリスクが現実化した一年で、海外資産の選別と入れ替えを進める必要が経営課題となった。

2022年4月の東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、同社は市場第一部からプライム市場へ移行した[31]。プライム市場では従来以上に高い情報開示水準とガバナンス体制が要求され、政府保有比率約38%という特殊な株主構成を持つ同社にとっては、政府株主と一般投資家の双方に対する説明責任の在り方を新たに設計する事業環境となった[32]。2024年7月にはノルウェー法人ジャペックス・ノーゲ・エーエスの株式を取得し、北海・ノルウェー大陸棚での権益拡大を進める動きが続いた[33]。経常利益は2024年3月期688億円から2025年3月期642億円へ推移し、純利益は2025年3月期で812億円に達した。

通産省OB社長の系譜と初の生え抜き社長への転換

1955年の特殊会社設立以来、同社の社長ポストは通商産業省(現経済産業省)の事務次官・経済産業審議官クラスのOBが就く人事慣行が続いた。有価証券報告書から確認できる直近20年の歴代社長5名のうち、棚橋祐治氏(FY05〜FY06)、渡辺修氏(FY07〜FY14)、岡田秀一氏(FY15〜FY18)、藤田昌宏氏(FY19〜FY22)の4名は全て通商産業省OBであり、各社長の在任期間は4〜8期と比較的短サイクルで交代する人事パターンが定着していた[34]。1955年の半額政府出資という出自と1967〜1970年の公団移管・民間会社化の経緯を反映し、社長交代が経産省人事と連動して動く構造が69年にわたり続いた[35]

2024年4月、石油資源開発として初の生え抜き社長として山下通郎氏が代表取締役社長に就任した[36]。山下社長は1982年に同社へ入社し、財務畑を歩んで2003年の東京証券取引所上場に従事した経歴を持つ[37]。2023年12月15日の日本経済新聞は山下氏について「主に財務畑を歩み、2003年の東京証券取引所への株式上場に尽力」した人物と紹介し、「1955年の創業以来、主に経済産業省(旧通商産業省)の出身者が社長に就いてきたが、生え抜きの社長就任は初めて」とした[38]。前任の藤田昌宏氏は代表取締役会長へ移行し、官僚OB会長と生え抜き社長という新たな経営体制が組まれた[39]

山下社長は就任後、海外E&P事業のコア資産構築を最優先課題に据える方針を明示した。2026年4月発表の「JAPEX経営計画2026-2035」では、2031年度の生産量目標を10万boe/d(バレル原油換算/日)、税引後事業利益400億円と設定し、米国Verdad資産の追加開発(2,000億円)と新規取得(4,000億円)を中心に、海外E&P成長投資累計1兆1,000億円を計画した[40][41][42][43]。米国オペレーター事業への軸足移動と、ノルウェー大陸棚での権益拡大、インドネシア・東南アジアでの天然ガス資産積み上げを組み合わせ、地域分散と事業特性分散を両立させる事業ポートフォリオ設計が示された。

資本市場対話の本格化と政府保有株への向き合い方

山下社長就任後の経営姿勢の特徴は、資本市場との対話の本格化である。2025年5月、同社は下限配当を10円から40円へ引き上げ、配当性向30%を前提に純利益340億円を目安とする方針を発表した[44]。ムーディーズが格付Baa1を維持しつつアウトルックを「ネガティブ」に変更したこと(2025年)を踏まえ、英領北海資産のダイベストメントと政策保有株式の売却を進める方針を明示した[45]。山下社長は2025年5月の決算説明会で「財務の健全性を重視するクレジットサイドと、成長性を重視するエクイティサイドの当社に対する見方が今回は一致している」と述べ、海外E&P事業におけるコア資産構築が喫緊の課題だとの認識を示した[46]

政府保有株式約38%という株主構成への向き合い方も、新経営計画では明示的に論じられた[47]。山下社長は2026年4月の新経営計画説明会で、政府保有比率について「これ以上の比率の上昇は望ましくないと考えており、現状で自己株式の取得を行うことは難しい」「昨今のエネルギー安全保障の重要性に鑑みると、政府の持株比率を下げるよう求めることも矛盾であり、当面は現在の株主構成を維持することを基本としたい」との認識を示した[48]。1955年の特殊会社設立時の半額政府出資という出自を引き継ぐ株主構成は、エネルギー安全保障の観点では資産だが、自己株式取得・株主還元拡充の観点では制約となる二重の性質を持つ。

2031年度生産量目標10万boe/dの達成は、株主還元方針を見直すうえでの重要な判断材料になるとの見解も示された[49]。1955年の国策会社としての設立から69年を経て、同社は「国策会社の遺伝子を保ちつつ資本市場と対話する民間企業」という独自の位置取りを試している[50]。海外E&Pのコア資産構築という上流投資の拡大と、相馬LNG基地・福島ガス発電・苫小牧CCS事業を含むインフラ・ユーティリティとカーボンニュートラル事業の三本柱体制への転換が並行して進む局面が、生え抜き社長就任を機に始まっている。