伊藤園議決権のない第1種優先株式を東証一部に上場した資本政策

議決権を配らずに資金を集められるか——日本で上場第1号となった無議決権優先株の設計

時期 2007年9月
意思決定者(推定) 本庄八郎(社長)・取締役会
論点 資金調達手段と株主構成
概要
2007年9月、伊藤園が普通株式1株につき0.3株の割合で第1種優先株式を無償割当し、東京証券取引所市場第一部に上場させた資本政策。議決権を持たない代わりに普通株式の125%の配当を受ける設計で、日本の上場第1号となった。
背景
タリーズやMason Distributorsの買収など成長投資が続き、資金調達の手段を増やす必要があった。一方で東証は種類株式の上場を原則として認めておらず、現行の枠組みのなかでの例外的な発行にあたった。
内容
無償割当で全株主に優先株式を配って市場をつくったうえで、2007年11月7日払込の公募増資740万株、12月4日払込の第三者割当増資110万株を実施した。優先配当は普通配当の125%で、15円を下限とする。
含意
議決権を増やさずに資本を厚くできる一方、優先株式の株価は上場直後から普通株式を下回り、2009年には4割安まで開いた。流動性の乏しさが配当の上乗せを打ち消す形となり、会社は買い入れ消却で対応している。
筆者の見解

議決権に値段はつくのか

この資本政策は、会社が資金を欲しがる一方で議決権は配りたくないという、上場した創業家企業がしばしば抱える緊張を、制度の設計として正面から扱った例にあたる。伊藤園自身が挙げた目的は資金調達手段の拡大と株主への新しい投資対象の提供であり、支配権の維持を掲げてはいない。それでも、議決権のある株式を1株も増やさずに自己資本を厚くできる仕組みであった以上、創業家が経営を担い続ける体制と両立させる意味を持っていたとみられる。

市場が返した答えは、設計者の想定とは違っていた。配当を25%上乗せしても、売買の薄い株式は普通株式より2割から4割安く評価される。議決権の値段を測る実験のつもりで作られた株式が、実際には流動性の値段を測る結果になった、と読むこともできる。無議決権株式による資金調達は、上場企業の資本政策として繰り返し議論されてきた論点である。伊藤園が20年近く抱え続けてきたこの銘柄の値動きは、その議論に対する具体的な素材を残しているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

買収が続いた2000年代半ばの資金需要

2000年代半ばの伊藤園は、自力の商品開発だけでなく買収でも事業を広げていた。2006年6月に米国子会社を通じてサプリメント通販のMason Distributorsの株式を取得し、同年10月にはタリーズコーヒーの日本事業を運営するフードエックス・グローブを57億円強で傘下に収めている。連結売上高は2007年4月期に3,102億円と3,000億円を超えた。国内の飲料市場が成熟へ向かうなかで、成長の機会をつかむための資金をどう用意するかが経営の課題として残った[1][2]

資金の集め方には制約があった。伊藤園は1992年5月に日本証券業協会へ株式を店頭登録し、1996年9月に東京証券取引所市場第二部、1998年10月に第一部へ進んだ会社である。上場から10年余りが経ってもなお、創業家の本庄家出身の経営者が社長を務めていた。普通株式の増資で資金を集めれば、既存株主の持分と議決権の構成はその分だけ薄まる。会社の説明によれば、この時期の課題は、資金調達手段の選択肢を広げ、成長機会を的確にとらえて機動的な調達を行える状態をつくることにあった[3][4]

種類株式が上場できない市場で

当時の東京証券取引所は、種類株式の上場を原則として認めていなかった。議決権の内容が異なる株式が上場すると、株主の権利をめぐる混乱を招きかねないという懸念が背景にある。伊藤園の第1種優先株式は、その原則の下で現行の枠組みを使った例外的な発行にあたり、日本の上場第1号として扱われた。制度が整うのを待つのではなく、既存の制度で通る形に設計を寄せた点に、この資本政策の性格が表れている[5]

投資家の側から見た魅力は配当に置かれた。優先配当は普通株式への配当額の125%とされ、小数第一位を切り上げたうえで15円を下限とする。普通株式が無配となった年でも、優先株式には1株当たり15円が優先して支払われる設計である。議決権を手放す代わりに配当の安定と上乗せを受け取るという交換条件を、個人投資家にも分かる形で提示したことになる[6]

決断

無償割当で市場をつくる

2007年9月3日を効力発生日として、伊藤園は普通株式1株につき0.3株の割合で第1種優先株式を無償割当した。同月、この優先株式は東京証券取引所市場第一部に上場している。無償割当であるため、この時点では会社に資金は入らない。既存の株主全員に優先株式を配ることで、取引される種類株式の市場を先に立ち上げる手順であった。株主にとっては、持ち株の一部が議決権のない高配当株に置き換わるのではなく、普通株式を保有したまま優先株式が追加で交付される形になる[7][8]

権利の内容は、議決権を持たないことを軸に組まれている。第1種優先株主は株主総会のすべての事項について議決権を行使できない。ただし、過去2年間において法令と定款に従って優先配当を行う決議がなされなかったときは、例外として議決権が発生する。株主の側から普通株式へ転換する権利は付いていない。他方、合併や、公開買付けによって議決権の50%超を握られた場合など特定の事象が生じたときには、会社が普通株式を対価として優先株式1株につき普通株式1株の比率で取得することがある。支配権が動く場面では、優先株主も普通株主と同じ地位に戻る仕組みであった[9]

上場の2カ月後に置いた増資

資金の調達は、市場ができたあとに行われた。伊藤園は2007年11月7日を払込日とする第1種優先株式の公募増資740万株と、12月4日を払込日とする第三者割当増資110万株を実施している。すでに上場して値の付いた種類株式を追加で発行する形であり、投資家は市場価格を見ながら応募できた。普通株式を1株も増やさずに自己資本を厚くできる点で、通常の公募増資とは性格が異なる調達であった[10]

上場した当初、市場はこの設計をおおむね受け入れていた。2007年9月3日の株価は優先株式が2,795円、普通株式が2,930円で、その差は135円、率にして5%にとどまる。配当が25%多い代わりに議決権がない株式を、市場は普通株式とほぼ同じ水準で評価したことになる。議決権の価値が個人投資家にとってどれほどのものかを、価格で測る実験の場がここに生まれた[11]

結果

開いていった価格差

価格差は時間とともに広がった。2008年7月1日の終値は普通株式が1,699円、優先株式が1,146円で、優先株式は約32%割安な水準に置かれている。2009年10月末には優先株式930円に対して普通株式1,530円と、差は600円、率にして40%に達した。受け取る配当は普通株式より25%多いにもかかわらず、株価は逆に低い。議決権の行使によって会社の経営にほとんど影響力を持たない個人株主にとっては、配当が大きい分だけ時価も大きくなるはずだ、という理屈は成り立たなかった[12][13]

乖離の理由として指摘されたのは、議決権の価値そのものよりも流動性の乏しさであった。機関投資家は普通株式には投資しても優先株式には手を出さず、売買が細るために価格が抑えられる。2012年5月の時点でも普通株式1,416円に対して優先株式は1,153円と、2割ほど安い水準が続いた。全株主に無償で配って市場をつくるという手順は、上場という形式は整えても、厚みのある売買までは作り出せなかったとみられる[14]

買い入れ消却と、残った問い

会社は自ら買い手に回った。2011年2月、伊藤園は第1種優先株式30万株を3億790万円で取得し、90万株を3月31日に消却すると発表している。普通株式と比べて3割弱安い状態が続いていたためで、1株当たりの価値を上げ、流動性を高めたいという説明であった。発行から3年半で、資金を集めるために作った株式を、今度は自社の資金で買い戻して減らす側に回った[15]

それでも制度そのものは残った。2020年10月には普通株式と優先株式の価格差が過去最大の水準まで広がったと報じられ、伊藤園の渡辺実副社長は、優先株式について伊藤園のファンを増やすために導入したものであり、議決権がない代わりに普通株式の配当に25%を上乗せしていると説明している。資金調達の手段として設計された株式が、個人株主との関係をつなぐ道具としても語られるようになった。上場から十数年を経ても、日本で無議決権の高配当優先株を上場させた例は伊藤園のほかに広がっていない[16]

出典・参考

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