ヤクルト本社の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

商品ではなく、それを配る権利のほうを本社へ集めてきた。1955年の設立で商標権を握った時点でも、原液の製造と販売は各地の業者の手にあった。1968年、松園尚巳氏が瓶からプラスチック容器への転換を提起する。生産と配達の費用が下がれば販売員の報酬を2倍にできるという計算だったが、地方の瓶工場を抱える既得権層が反対し、松園氏は一時本社を離れた。案は通り、1970年2月に藤沢工場を新設し、1973年には全国8社の原液工場の買収を終えて製造を本社へ引き上げる。権利と設備が揃った先で本業の外へ出た試みは続かず、1984年に三菱商事と設けた通販子会社は4年で清算に至った。1998年には財務運用の損失1,075億円を特別損失に計上し、二度の失敗が投資先を乳酸菌と訪問販売の周辺へ絞らせた。

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