決断
親会社の電力の事情が、事業の形を決めてきた会社である。1933年には余剰電力の受け手として電解法の硫安工場を起こし、1936年に資本金を1650万円へ増やすと、電解法を広げる一方で石炭を水素源とするガス法のアンモニアと接触法の濃硫酸を加えた。1937年夏の渇水で余剰電力が足りず操業に支障が出ており、水力に頼らない原料の道が意味を持った。1940年3月には電気と化学を一つの経営にまとめるため親会社へ合併されたが、電力の国家管理で矢作水力が解散すると、1942年3月に工場だけが化学の単独会社として切り出された。