この創業を特徴づけているのは、元手の出どころよりも、その金に付いていた条件の少なさであるのだろう。日田重太郎氏が佐三氏に渡した8,000円には、返済も利子も事業報告も求められず、独立を貫くことと兄弟仲良くすることだけが望まれた。借りた金であれば返済期限が商いの速度を決め、出資であれば配当と口出しが付いてくる。どちらでもない資金を持って出発した佐三氏は、月々の採算に追われず、先輩たちが先細ると見た油を扱い、問屋を飛ばして消費者へ直接届けるという定石外の商いを、初手から試すことができた。神戸高商を出ながら大商店に入らず前垂れ掛けを選んだ判断と、この資金の性質は、独立そのものを目的に置く点で地続きになっていただろう。
同時に、この出発の身軽さは、後の出光を長く縛る性質のものでもあったとみられる。株主を持たない商いは誰の指図も受けない代わりに、苦しいときに頼れる資本もない。1911年に一人で油を担いだ人物が、1953年のイラン石油輸入では12社対一社と評される孤立に耐え、敗戦後には約2,000人を一人も解雇しない選択を通した。返さなくてよい金で独立を許された経験が、後年の人を切らないという方針とどう響き合っていたのかは、本人の言葉からは断定できない。ただ、恩を受けて始めた商いが、恩を返す先を金主ではなく店員と消費者に置き替えていった経過は、その後の出光の輪郭を考えるうえでなお読み直す余地を残している。