創業家によらない外部プロ経営者への継承と「医・食」フォーマットへの転換
2012年実施創業者・山本久雄はなぜ世襲を選ばず、他社で社長を務めた薬剤師に会社を委ねたのか
- 概要
- 2012年8月、創業者の山本久雄は世襲によらず、他社で社長を務めた薬剤師・廣瀬泰三を社長に据え、自らは代表取締役会長として残した。廣瀬は来店頻度の高い食品で客を集め、調剤と医薬品で利益を取る「医・食」のフォーマットへ店づくりを変えた経営判断。
- 背景
- 1983年創業の山本は神奈川県内に高密度のドミナントを築いたが、医薬分業の進展で、調剤と食品を組み合わせた業態づくりが次の競争を分ける論点になっていた。山本は創業家に後継の適任を求めず、調剤とドラッグストアの双方を経営した外部の専門家を招いた。
- 内容
- 2011年6月に入社した廣瀬は、同年8月に取締役、2012年2月に副社長、8月24日に社長へ就いた。前任の若尾鐵志郎社長は取締役相談役へ退き、山本は会長として残る。調剤薬局の併設と食品売上比率の引き上げという二本柱で店舗を組み直した。
- 含意
- 就任時に20%台だった調剤併設率は13年で55%水準へ、連結売上高は就任年度の約1700億円から2025年5月期の4571億円へ広がった。創業家によらず外部のプロへ経営を委ねた継承が、その後の会社の進路を決めた。
会社を継がせず、足りない専門性を外から迎える
この判断の核心は、一代でチェーンを築いた創業者が、事業を身内へ継がせる道を採らず、自社に薄かった調剤経営の専門性を外から迎えた点にある。神奈川県内の高密度なドミナントは山本が築いた強みだったが、医薬分業が進むなかでその密度を稼ぎに変えるには、処方箋を扱う調剤と食品を束ねる業態づくりの経験が要った。山本は会長にとどまって求心力と持株を保ちながら、日々の采配を他社で社長を務めた薬剤師に委ねた。成功した創業者が、自らの手で後継を身内の外へ求めた点に、この承継の性格がうかがえる。
もっとも、外部から社長を迎えれば転換が進むわけではない。廣瀬の「医・食」フォーマットが13年で調剤併設率を倍以上へ高め、売上を約1700億円から4500億円超へ広げられたのは、山本が会長として持株と信任で背後を固め、神奈川で築いた店舗網という土台を渡したからだろう。地場で一代を築いた同族企業が、次の経営を誰に託すか——身内か、外部の専門家か。クリエイトSDのこの選択は、規模の拡大へ向かう手前で、承継の設計そのものを経営の主題に据えた点で示唆に富む。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
神奈川に築いた高密度ドミナントと世襲によらない選択
クリエイトSDホールディングスの事業会社クリエイトエス・ディーは、1983年5月に山本久雄が横浜市緑区へ有限会社みどりドラッグストアを設けたことに始まる[1]。関東でドラッグストアのチェーン化が助走に入った時期で、郊外住宅地に定着した人口が家庭用医薬品や日用雑貨の買い手となり、個人薬局が大半の神奈川には多店舗化の余地が残っていた。山本は他県へ出ず、特定の市区へまとめて出店して地元に知られてから隣接地へ広げる手順を重ね、県内で誰よりも近い店という密度を積み上げた。
山本は2002年8月に代表取締役会長へ移り、事業会社の経営から世代交代の準備を始めた[2]。2005年の東証二部、2007年の東証一部へと上場を進めるなかで、医薬分業の進展という業界の変化が近づいていた。処方箋を扱う調剤薬局を店に併せ持ち、来店頻度の高い食品と組み合わせる業態づくりが、次の競争を分ける論点として重みを増していた。山本は創業家に後継の適任を求めず、調剤とドラッグストアの双方を経営した外部の専門家に、この転換を託す道を選ぶ。
招いた薬剤師・廣瀬泰三の経歴
招かれた廣瀬泰三は、調剤とドラッグストアの経営を重ねた薬剤師だった。1981年に東京薬科大学薬学部を出てエーザイに入り、1990年に株式会社コーエイドラッグを設立して社長を務める。2007年には住商ドラッグストアーズの社長に就き、他社で経営の責任を負った。2011年6月にクリエイトエス・ディーへ入社すると、同年8月に取締役、2012年2月に取締役副社長へと短い間に昇格し、社長就任への足場を固めた[3]。
決断
外部プロへの継承 ── 2012年8月の社長交代
2012年7月、会社は廣瀬の社長就任を発表した。8月24日付でクリエイトエス・ディーとクリエイトSDホールディングスの代表取締役社長に就き、前任の若尾鐵志郎社長は代表権のない取締役相談役へ退いた。山本は代表取締役会長として残り、社長の実務を廣瀬に委ねた。会社は交代の理由を、前期の最高益を機に経営体制の若返りを図り、ドラッグストア業界を取り巻く変化により迅速かつ的確に応えるためと説明した[4]。
創業家の出身でない経営者に社長を委ねた人事だった[5]。1983年に一代でチェーンを築いた山本は、身内へ事業を継がせるのではなく、調剤と食品を組み合わせる業態づくりの専門性を外から迎えることを優先した。創業者が会長として持株と信任を保ちながら、日々の采配を外部のプロに任せる二人三脚の体制へ移し、次の成長段階に備えた。創業者が第一線を譲り、会長として支える側へ回る転換点だった。
「医・食」フォーマットへの店づくりの転換
廣瀬が進めたのは、ドラッグストアを「医・食」の店として組み直す方針だった。第一の柱は、処方箋を扱う調剤薬局を店舗に併せ持つフォーマットの拡大で、就任時に20%台だった調剤併設率を引き上げ、処方箋を持つリピート客を取り込む[6]。第二の柱は、冷凍食品・菓子・飲料など食品の売上比率を高めることで、来店頻度の高い食品で客を集め、利益率の高い調剤と医薬品で採算を確保する構成を磨いた。神奈川で築いた店舗密度を、集客と粗利の両面で稼ぐ形へ変える設計だった。
結果
二本柱の成果 ── 調剤併設率の上昇と業績の拡大
就任の2年後、廣瀬は方針の狙いを明快に語った。2014年、日本食糧新聞のインタビューで「専門性の医薬品と便利性の食料品の両軸を強化することで売上げアップを図った[7]」と述べ、調剤薬局を併せ持つ店舗が医薬品の伸びを引っ張り、生鮮を含む食品が来店を支える二本柱の姿を示した。就任年度の2012年5月期に連結売上高1698億円・営業利益91億円だった会社は、この二本柱の下で売上を伸ばしていく。
調剤併設率は、就任時の20%台から13年で55%水準へ上がった[8]。連結売上高は2016年5月期に2319億円、2019年5月期に2863億円、2025年5月期に4571億円へと広がり、営業利益も同期に226億円へ伸びた[9]。山本は代表取締役会長として持株比率およそ20%を保ち、創業家の安定株主として長期の視点から経営を支えた。外部から迎えた社長と創業家会長の二人三脚は、13年にわたって続いている。
- 薬事日報(2012年7月30日)「廣瀬氏が社長に昇格 クリエイトSDホールディングス」
- 流通ニュース(2012年7月24日)「クリエイトSDHD/廣瀬副社長が社長に昇格」
- 日本食糧新聞(2014年4月19日)「ドラッグストア特集:クリエイトSDホールディングス・廣瀬泰三社長 成長の両輪、調剤と食料品」
- クリエイトSDホールディングス 中期経営計画 Next STAGE 2030
- クリエイトSDホールディングス 有価証券報告書【沿革】