株式会社第一臨床検査センターは1969年8月、医療面に関する受託臨床検査を目的として札幌市北区に資本金130万円で設立された[1]。札幌でこの会社を経営していたのは、のちに社長となる大谷喜一氏の叔父である[2]。臨床検査は、血液や尿の検査など従来は病院内で済ませていた作業を代行するサービスで、健康志向が高まって検査需要そのものが増えたうえ、病院経営の合理化の一環として検査の外注率が高まった[3]。臨床検査の市場規模は1994年時点の推定で6000億円を超えるが[4]、全国に約800ある臨床検査センターのほとんどは家内工業的な会社で、従業員100人以上は10〜15社程度にとどまる業界で、各社がダンピング合戦を繰り返した[5]。
1951年7月19日生まれ[6]の大谷喜一氏は薬学部を卒業した薬剤師で、1977年に杏林製薬へ入社した[7]。売り場はわずか5坪、16.5平方メートルの薬店で[8]、1980年7月に株式会社オータニの代表取締役社長へ就いた[9]。
1981年11月、旭川に株式会社第一臨床検査センターが設けられ、札幌の第一臨床検査センターがこれに資本参加して[10]、大谷喜一氏は取締役に就いた[11]。医師会が直営する検査所が圧倒的なシェアを握る市場であり[12]、検査を受託できるかどうかは病院の医師と緊密な関係を築けるかどうかで決まり、関係ができて初めて検査が回ってくる[13]。
検査を病院から受託するうえでものを言うのは検査料の安さで[14]、診療報酬の保険点数と実際の受託検査料の差額が病院の利益になるため、大量の検査を集めてコストをどれだけ引き下げられるかが受注を左右した[15]。1994年時点で第一臨床検査センターが毎日1万検体ほどを処理していたのに対し、病院は大きいところでも100〜200検体で、コストが見合わなかった[16]。大型の大学病院や官公立病院は、保険点数の改定と人件費の高騰で自前の検査の採算が崩れて外注へ転換し[17]、新しい検査方法が相次いで開発されるのに伴い、受託の対象となる分野そのものも増えた[18]。
当時は病院数が増えない一方、検査料は保険点数で決まっており、業界では新規参入などできない競争のない成熟した業界だという認識が強かった[19]。大谷喜一氏は、厚生行政が競争原理を強めれば価格は下がるとしたうえで、企業として戦略性を持てば成り立ち、高齢化社会を迎えて検査需要は増えると考えていた[20]。大谷喜一氏が最も期待したのは予防医学の見地からの健康者の検査で、自治体の住民検診や企業の検診における血液検査部門には拡大の余地があるとみた[21]。第一臨床検査センターの北海道内における臨床検査シェアは、1994年時点で約10%で[22]、コスト競争に勝ち抜いた結果、1994年には旭川市医師会の検査を全面的に代行するまでになった[23]。
同社が経営不振に陥ったのを機に、大谷喜一氏が経営を肩代わりし[24]、1983年7月には旭川の第一臨床検査センターの代表取締役社長に就任した[25]。肩代わりの後は旭川から札幌へ検査エリアを広げ、北海道全域を網羅する支店と営業所をつくった[26]。コンピューターによる精度管理などの検査のシステム化と、営業網による獲得件数の積み増しが、検査料の引き下げを支えた[27]。
設備投資の資金を賄うために飛び込んだ先が、日本合同ファイナンスグループのベンチャーキャピタルである北海道ジャフコだった[28]。1987年と1988年の2回に分けて第三者割当増資を実施し、合計4億8000万円を引き出したが[29]、増資を受けた時点の売上高はまだ7億円未満で、調達額は年間売上高の6割を超えた[30]。
1988年3月、旭川市の株式会社第一臨床検査センターを吸収合併し、旭川と札幌に分かれていた2社が1つになった[31]。同年5月、大谷喜一氏が代表取締役社長に就任[32]。1983年に叔父の会社を肩代わりしてから5年が経っていた[33]。同年10月には本社を札幌市東区に移転し[34]、設立から19年で、検査の営業網は札幌と旭川の2市から北海道全域の支店・営業所に及んだ[35]。のちに取締役数人をイトーヨーカ堂出身者から迎えている[36]。
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|---|---|---|---|---|
| 1969〜1988年旭川の小規模病院を1軒ずつ回って作った北海道全域の検査網 | 札幌市北区に受託臨床検査を目的として資本金130万円で第一臨床検査センターを設立 | ★★ | ||
| 北海道旭川市の第一臨床検査センターに資本参加 | ★ | |||
| 旭川市の第一臨床検査センターを吸収合併 | ★ | |||
| 大谷喜一 | 本社を札幌市東区に移転 | ★ | ||
| 1989〜1998年オータニ吸収合併で入った小売と、創業事業だった臨床検査の営業譲渡 | 大谷喜一 | オータニを吸収合併しドラッグストアを承継、診断とリテールの事業部制を採用 | ★★ | |
| 大谷喜一 | 北海道旭川市に「第一薬局」を開局し薬局事業に参入 | ★★★ | ||
| 大谷喜一 | 日本証券業協会に株式を店頭登録 | ★ | ||
| 大谷喜一 | 薬局の名称を「アイン薬局」に統一 | ★★ | ||
| 大谷喜一 | 東京都新宿区に子会社のアインメディカルシステムズ(現アインファーマシーズ)を設立 | ★ | ||
| 大谷喜一 | 薬局事業を物販事業部から分離し医薬事業部(現ファーマシー事業)を新設 | ★ | ||
| 大谷喜一 | ドラッグストアの店舗名称を「アインズ」に統一 | ★★ | ||
| 大谷喜一 | 創業事業である臨床検査事業の全部を第一臨床検査センター札幌ラボラトリーに営業譲渡 | ★★★ | ||
| 大谷喜一 | アインファーマシーズに商号を変更 | ★★ | ||
| 1999〜2014年今川薬品合併で調剤最大手へ、CFS統合を否決した42.8%の反対票 | 大谷喜一 | 丸紅とアインメディカルシステムズの三者間で薬局事業の業務提携・資本提携契約を締結 | ★★ | |
| 大谷喜一 | 札幌市中央区に新業態のコスメ&ドラッグストア「アインズ&トルペ地下街店」を出店 | ★★★ | ||
| 大谷喜一 | 今川薬品と合併 | ★ | ||
| 大谷喜一 | コスメ&ドラッグストア業態への集約のため関東地区のドラッグストアを営業譲渡 | ★★ | ||
| 大谷喜一 | 医療コンサルティングのメディウェルを子会社化 | ★ | ||
| 大谷喜一 | ホールセールスターズを設立しジェネリック医薬品の卸売業を開始 | ★ | ||
| 大谷喜一 | ダイチク(現アイン北陸)を子会社化 | ★ | ||
| 大谷喜一 | あさひ調剤(現アイン中央)を子会社化 | ★ | ||
| 大谷喜一 | セブン&アイ・ホールディングスと業務提携・資本提携契約を締結 | ★★ | ||
| 大谷喜一 | 東京証券取引所市場第二部に株式を上場 | ★ | ||
| 大谷喜一 | セブン&アイ・ホールディングスとの共同出資でセブンヘルスケアを設立 | ★ | ||
| 大谷喜一 | 東京証券取引所市場第一部に指定 | ★ | ||
| 大谷喜一 | 札幌証券取引所に株式を上場 | ★ | ||
| 2015〜2026年1000店舗を超えたM&Aと、処方箋1枚あたりの効率 | 大谷喜一 | 化粧品製造のアユーララボラトリーズを子会社化 | ★ | |
| 大谷喜一 | 持株会社体制へ移行しアインホールディングスに商号を変更 | ★★★ | ||
| 大谷喜一 | シダックスと業務提携し同社子会社のシダックスアイを子会社化 | ★ | ||
| 大谷喜一 | 東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行 | ★ | ||
| 大谷喜一 | 調剤薬局のファーマシィホールディングスを子会社化 | ★★ | ||
| 大谷喜一 | インテリア雑貨のFrancfrancを子会社化 | ★★★ | ||
| 大谷喜一 | エーアンドエムを子会社化 | ★ | ||
| 大谷喜一 | 調剤薬局のクラフトを子会社化 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(アインホールディングス)