アインホールディングス の歴史

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創業 1969年
母体 大谷喜一の叔父が創業
創業地 北海道札幌市北区
創業
1969年8月、札幌市北区に資本金130万円で株式会社第一臨床検査センターが設立され、病院から血液や尿の検査を受託する事業を始めた。経営していたのは、のちに社長となる大谷喜一氏の叔父である。1981年11月に旭川へ同名の会社が設けられて札幌側が資本参加し、1983年に叔父の会社が経営不振に陥ると大谷喜一氏が経営を肩代わりした。1988年3月には2社を吸収合併し、同年5月に大谷喜一氏が代表取締役社長へ就任している。1989年5月に株式会社オータニを吸収合併してドラッグストアを承継し、商号は1998年11月に株式会社アインファーマシーズ、2015年11月に株式会社アインホールディングスへ改めた。
決断
門前薬局とは逆に、薬局を先に置いてから医師のほうを誘致した。1969年に始めた受託臨床検査は、検査を回してもらうために病院の医師と関係を作る商売だった。1993年6月に札幌郊外の野幌で開業したショッピングセンターでは、借り切った1棟の2階に小児科と歯科を誘致し、1階の大型薬店へ処方箋が下りる動線を作っている。医師が診療所を開設するときに薬局へ声を掛けるのが通例のところ、ここでは薬局が先にあり、開業を考えていた大学病院の医師を自社が探してきた。1998年10月には創業事業だった臨床検査の全部を営業譲渡し、2002年11月に今川薬品と合併して調剤薬局の最大手となる。検査の営業で作った医師との関係を処方箋の側へ移したことが、薬局参入から9年半での首位到達を支えた。
現況
調剤の会社が、家具と生活雑貨の店を同じ連結に抱えている。2026年4月期の連結売上高は6,478億円、営業利益は298億円、親会社株主に帰属する当期純利益は173億円である。ファーマシー事業が売上5,564億円・利益358億円、リテール事業が803億円・65億円で、リテールは2024年8月に子会社化したインテリア雑貨のFrancfrancで倍増した。2025年8月には、さくら薬局グループ833店舗を運営するクラフト株式会社を子会社化している。さくら薬局の処方箋応需枚数は年間1,600万枚に上り、両社のあいだには処方箋1枚あたりの技術料で300円ほどの差がある。連結従業員は前期の13,009名から17,332名へ増え、規模の伸びはほぼすべて買収から来ている。
競合
同業が物販の棚で規模を競うあいだ、この会社は処方箋だけを集めた。ドラッグストア各社は売場に調剤を併設する形で調剤へ参入しており、スギホールディングスは2000年に安売りによらない調剤併設ドラッグストアへ業態を転換しウエルシアホールディングスは2014年にイオンの公開買付けに賛同して連結子会社となり、いずれも物販の店舗網の上に調剤を載せている。アインホールディングスは物販の売場を持たない門前薬局を積み、2026年4月期にファーマシー事業だけで5,564億円を計上した。リテール事業のアインズ&トルペとFrancfrancは商業施設の化粧品と生活雑貨で、医薬品の棚では競合しない。調剤の報酬は薬価と技術料で決まるため、競争の焦点は売価ではなく、1店あたりに集まる処方箋の枚数に置かれている。
長期業績の推移 1994〜2026年
アインホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年4月期2026年4月期

設立ストーリー 旭川の小規模病院を1軒ずつ回って作った北海道全域の検査網 (1969年〜)

設立ストーリー(1)

資本金130万円の受託検査業と5坪の薬店

株式会社第一臨床検査センターは1969年8月、医療面に関する受託臨床検査を目的として札幌市北区に資本金130万円で設立された[1]。札幌でこの会社を経営していたのは、のちに社長となる大谷喜一氏の叔父である[2]。臨床検査は、血液や尿の検査など従来は病院内で済ませていた作業を代行するサービスで、健康志向が高まって検査需要そのものが増えたうえ、病院経営の合理化の一環として検査の外注率が高まった[3]。臨床検査の市場規模は1994年時点の推定で6000億円を超えるが[4]、全国に約800ある臨床検査センターのほとんどは家内工業的な会社で、従業員100人以上は10〜15社程度にとどまる業界で、各社がダンピング合戦を繰り返した[5]

  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1969年8月、札幌市北区に受託臨床検査を目的として資本金130万円で株式会社第一臨床検査センターを設立
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [2]札幌の第一臨床検査センターを経営していたのは大谷喜一氏の叔父
    • [3]臨床検査は病院内で済ませていた検査を代行するサービスで、健康志向による検査需要の増加と病院経営の合理化により外注率が高まった
    • [4]臨床検査の市場規模は1994年時点の推定で6000億円を超える
  • 証券アナリストジャーナル 1994年4月号(大谷喜一・講演)
    • [5]全国に約800ある臨床検査センターのほとんどは家内工業的な会社で、従業員100人以上は10〜15社程度、各社がダンピング合戦を続けていた

1951年7月19日生まれ[6]大谷喜一氏は薬学部を卒業した薬剤師で、1977年に杏林製薬へ入社した[7]。売り場はわずか5坪、16.5平方メートルの薬店で[8]、1980年7月に株式会社オータニの代表取締役社長へ就いた[9]

  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [6]大谷喜一氏は1951年7月19日生まれ
    • [9]1980年7月、株式会社オータニ(現当社)代表取締役社長に就任
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [7]大谷喜一氏は薬学部を卒業した薬剤師で、大学卒業後に杏林製薬へ入社した(入社は1977年)
    • [8]札幌に開いた薬店は5坪(16.5平方メートル)
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1969年8月、札幌市北区に受託臨床検査を目的として資本金130万円で株式会社第一臨床検査センターを設立
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [2]札幌の第一臨床検査センターを経営していたのは大谷喜一氏の叔父
    • [3]臨床検査は病院内で済ませていた検査を代行するサービスで、健康志向による検査需要の増加と病院経営の合理化により外注率が高まった
    • [4]臨床検査の市場規模は1994年時点の推定で6000億円を超える
    • [7]大谷喜一氏は薬学部を卒業した薬剤師で、大学卒業後に杏林製薬へ入社した(入社は1977年)
    • [8]札幌に開いた薬店は5坪(16.5平方メートル)
  • 証券アナリストジャーナル 1994年4月号(大谷喜一・講演)
    • [5]全国に約800ある臨床検査センターのほとんどは家内工業的な会社で、従業員100人以上は10〜15社程度、各社がダンピング合戦を続けていた
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [6]大谷喜一氏は1951年7月19日生まれ
    • [9]1980年7月、株式会社オータニ(現当社)代表取締役社長に就任
設立ストーリー(2)

医師会直営が握る旭川での後発参入

1981年11月、旭川に株式会社第一臨床検査センターが設けられ、札幌の第一臨床検査センターがこれに資本参加して[10]大谷喜一氏は取締役に就いた[11]。医師会が直営する検査所が圧倒的なシェアを握る市場であり[12]、検査を受託できるかどうかは病院の医師と緊密な関係を築けるかどうかで決まり、関係ができて初めて検査が回ってくる[13]

  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1981年11月、北海道旭川市に設立された株式会社第一臨床検査センターに資本参加
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [11]1981年11月、株式会社第一臨床検査センター(旭川市、現当社)設立、取締役
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [12]旭川には医師会直営の検査所があり、圧倒的なシェアを握っていた
    • [13]臨床検査獲得のポイントは病院の医師との緊密な関係を築けるかどうかで、それができて初めて検査を回してもらえる

検査を病院から受託するうえでものを言うのは検査料の安さで[14]、診療報酬の保険点数と実際の受託検査料の差額が病院の利益になるため、大量の検査を集めてコストをどれだけ引き下げられるかが受注を左右した[15]。1994年時点で第一臨床検査センターが毎日1万検体ほどを処理していたのに対し、病院は大きいところでも100〜200検体で、コストが見合わなかった[16]。大型の大学病院や官公立病院は、保険点数の改定と人件費の高騰で自前の検査の採算が崩れて外注へ転換し[17]、新しい検査方法が相次いで開発されるのに伴い、受託の対象となる分野そのものも増えた[18]

  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [14]検査を病院から受託するうえでものを言うのは検査料の安さ
    • [15]診療報酬の保険点数と実際の受託検査料の差額が病院の利益になるため、大量の検査を集めてコストを引き下げることが重要になる
  • 証券アナリストジャーナル 1994年4月号(大谷喜一・講演)
    • [16]第一臨床検査センターは毎日1万検体ほどを処理し、病院は大きいところでも100〜200検体でコストパフォーマンスがよくない(1994年3月時点の講演)
    • [17]大型の大学病院・官公立病院が保険点数改定と人件費高騰で採算が合わなくなり、検査の外注化が一気に進んだ
    • [18]新しい検査方法が相次いで開発されることに伴い、臨床検査の新しい分野が増えていく

当時は病院数が増えない一方、検査料は保険点数で決まっており、業界では新規参入などできない競争のない成熟した業界だという認識が強かった[19]大谷喜一氏は、厚生行政が競争原理を強めれば価格は下がるとしたうえで、企業として戦略性を持てば成り立ち、高齢化社会を迎えて検査需要は増えると考えていた[20]大谷喜一氏が最も期待したのは予防医学の見地からの健康者の検査で、自治体の住民検診や企業の検診における血液検査部門には拡大の余地があるとみた[21]。第一臨床検査センターの北海道内における臨床検査シェアは、1994年時点で約10%で[22]、コスト競争に勝ち抜いた結果、1994年には旭川市医師会の検査を全面的に代行するまでになった[23]

  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [19]当時は病院数が増えない一方で検査料は保険点数で決まり、業界では新規参入などできない競争のない成熟した業界だという認識が強かった
    • [20]大谷喜一氏は「厚生行政が競争原理を強めると、確かに価格は下がる。しかし、企業として戦略性を持てば十分にやっていけるし、高齢化社会を迎えて検査の需要は増える」という確信を持っていた
    • [23]コスト競争に勝ち抜いたことで、旭川市医師会の検査を全面的に代行するまでになった
  • 証券アナリストジャーナル 1994年4月号(大谷喜一・講演)
    • [21]最も期待しているジャンルは予防医学の見地からの健康者の検査で、地方自治体の住民検診や企業の検診における血液検査部門は拡大の余地がある
    • [22]臨床検査の北海道内におけるシェアは約10%(1994年3月時点の講演)
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1981年11月、北海道旭川市に設立された株式会社第一臨床検査センターに資本参加
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [11]1981年11月、株式会社第一臨床検査センター(旭川市、現当社)設立、取締役
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [12]旭川には医師会直営の検査所があり、圧倒的なシェアを握っていた
    • [13]臨床検査獲得のポイントは病院の医師との緊密な関係を築けるかどうかで、それができて初めて検査を回してもらえる
    • [14]検査を病院から受託するうえでものを言うのは検査料の安さ
    • [15]診療報酬の保険点数と実際の受託検査料の差額が病院の利益になるため、大量の検査を集めてコストを引き下げることが重要になる
    • [19]当時は病院数が増えない一方で検査料は保険点数で決まり、業界では新規参入などできない競争のない成熟した業界だという認識が強かった
    • [20]大谷喜一氏は「厚生行政が競争原理を強めると、確かに価格は下がる。しかし、企業として戦略性を持てば十分にやっていけるし、高齢化社会を迎えて検査の需要は増える」という確信を持っていた
    • [23]コスト競争に勝ち抜いたことで、旭川市医師会の検査を全面的に代行するまでになった
  • 証券アナリストジャーナル 1994年4月号(大谷喜一・講演)
    • [16]第一臨床検査センターは毎日1万検体ほどを処理し、病院は大きいところでも100〜200検体でコストパフォーマンスがよくない(1994年3月時点の講演)
    • [17]大型の大学病院・官公立病院が保険点数改定と人件費高騰で採算が合わなくなり、検査の外注化が一気に進んだ
    • [18]新しい検査方法が相次いで開発されることに伴い、臨床検査の新しい分野が増えていく
    • [21]最も期待しているジャンルは予防医学の見地からの健康者の検査で、地方自治体の住民検診や企業の検診における血液検査部門は拡大の余地がある
    • [22]臨床検査の北海道内におけるシェアは約10%(1994年3月時点の講演)
設立ストーリー(3)

経営不振に陥った叔父の会社の肩代わりと4億8000万円

同社が経営不振に陥ったのを機に、大谷喜一氏が経営を肩代わりし[24]、1983年7月には旭川の第一臨床検査センターの代表取締役社長に就任した[25]。肩代わりの後は旭川から札幌へ検査エリアを広げ、北海道全域を網羅する支店と営業所をつくった[26]。コンピューターによる精度管理などの検査のシステム化と、営業網による獲得件数の積み増しが、検査料の引き下げを支えた[27]

  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [24]1983年、叔父が札幌で経営していた第一臨床検査センターが経営不振に陥ったのを機に大谷喜一氏が肩代わりした
    • [26]旭川から札幌へ臨床検査のエリアを広げ、北海道全域を網羅する支店や営業所をつくった
    • [27]コンピューターによる精度管理など検査のシステム化と、検査の獲得件数を増やす北海道全域の営業網が、徹底した検査のコストダウンを支えた
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [25]1983年7月、株式会社第一臨床検査センター(旭川市)代表取締役社長に就任

設備投資の資金を賄うために飛び込んだ先が、日本合同ファイナンスグループのベンチャーキャピタルである北海道ジャフコだった[28]。1987年と1988年の2回に分けて第三者割当増資を実施し、合計4億8000万円を引き出したが[29]、増資を受けた時点の売上高はまだ7億円未満で、調達額は年間売上高の6割を超えた[30]

  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [28]設備投資資金を賄うために飛び込んだのが日本合同ファイナンスグループのベンチャー・キャピタル、北海道ジャフコだった
    • [29]1987年、1988年の2回に分けて第三者割当増資を実施し、合計4億8000万円を引き出した
    • [30]第三者割当増資の当時、売上高はまだ7億円に達していなかった(調達額4億8000万円)

1988年3月、旭川市の株式会社第一臨床検査センターを吸収合併し、旭川と札幌に分かれていた2社が1つになった[31]。同年5月、大谷喜一氏が代表取締役社長に就任[32]。1983年に叔父の会社を肩代わりしてから5年が経っていた[33]。同年10月には本社を札幌市東区に移転し[34]、設立から19年で、検査の営業網は札幌と旭川の2市から北海道全域の支店・営業所に及んだ[35]。のちに取締役数人をイトーヨーカ堂出身者から迎えている[36]

  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1988年3月、株式会社第一臨床検査センター(旭川市)を吸収合併
    • [34]1988年10月、本社を札幌市東区に移転
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [32]1988年5月、当社代表取締役社長に就任(現任)
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [33]1983年、経営不振に陥った叔父の第一臨床検査センターを大谷喜一氏が肩代わりした
    • [35]旭川から札幌へ臨床検査のエリアを広げ、北海道全域を網羅する支店や営業所をつくった
    • [36]取締役の角谷氏ら数人はイトーヨーカ堂出身
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
    • [24]1983年、叔父が札幌で経営していた第一臨床検査センターが経営不振に陥ったのを機に大谷喜一氏が肩代わりした
    • [26]旭川から札幌へ臨床検査のエリアを広げ、北海道全域を網羅する支店や営業所をつくった
    • [27]コンピューターによる精度管理など検査のシステム化と、検査の獲得件数を増やす北海道全域の営業網が、徹底した検査のコストダウンを支えた
    • [28]設備投資資金を賄うために飛び込んだのが日本合同ファイナンスグループのベンチャー・キャピタル、北海道ジャフコだった
    • [29]1987年、1988年の2回に分けて第三者割当増資を実施し、合計4億8000万円を引き出した
    • [30]第三者割当増資の当時、売上高はまだ7億円に達していなかった(調達額4億8000万円)
    • [33]1983年、経営不振に陥った叔父の第一臨床検査センターを大谷喜一氏が肩代わりした
    • [35]旭川から札幌へ臨床検査のエリアを広げ、北海道全域を網羅する支店や営業所をつくった
    • [36]取締役の角谷氏ら数人はイトーヨーカ堂出身
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
    • [25]1983年7月、株式会社第一臨床検査センター(旭川市)代表取締役社長に就任
    • [32]1988年5月、当社代表取締役社長に就任(現任)
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1988年3月、株式会社第一臨床検査センター(旭川市)を吸収合併
    • [34]1988年10月、本社を札幌市東区に移転

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沿革年表 1969〜2025年

アインホールディングスの沿革1969〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1969〜1988年旭川の小規模病院を1軒ずつ回って作った北海道全域の検査網札幌市北区に受託臨床検査を目的として資本金130万円で第一臨床検査センターを設立★★
北海道旭川市の第一臨床検査センターに資本参加
旭川市の第一臨床検査センターを吸収合併
大谷喜一本社を札幌市東区に移転
1989〜1998年オータニ吸収合併で入った小売と、創業事業だった臨床検査の営業譲渡大谷喜一オータニを吸収合併しドラッグストアを承継、診断とリテールの事業部制を採用★★
大谷喜一北海道旭川市に「第一薬局」を開局し薬局事業に参入★★★
大谷喜一日本証券業協会に株式を店頭登録
大谷喜一薬局の名称を「アイン薬局」に統一★★
大谷喜一東京都新宿区に子会社のアインメディカルシステムズ(現アインファーマシーズ)を設立
大谷喜一薬局事業を物販事業部から分離し医薬事業部(現ファーマシー事業)を新設
大谷喜一ドラッグストアの店舗名称を「アインズ」に統一★★
大谷喜一創業事業である臨床検査事業の全部を第一臨床検査センター札幌ラボラトリーに営業譲渡★★★
大谷喜一アインファーマシーズに商号を変更★★
1999〜2014年今川薬品合併で調剤最大手へ、CFS統合を否決した42.8%の反対票大谷喜一丸紅とアインメディカルシステムズの三者間で薬局事業の業務提携・資本提携契約を締結★★
大谷喜一札幌市中央区に新業態のコスメ&ドラッグストア「アインズ&トルペ地下街店」を出店★★★
大谷喜一今川薬品と合併
大谷喜一コスメ&ドラッグストア業態への集約のため関東地区のドラッグストアを営業譲渡★★
大谷喜一医療コンサルティングのメディウェルを子会社化
大谷喜一ホールセールスターズを設立しジェネリック医薬品の卸売業を開始
大谷喜一ダイチク(現アイン北陸)を子会社化
大谷喜一あさひ調剤(現アイン中央)を子会社化
大谷喜一セブン&アイ・ホールディングスと業務提携・資本提携契約を締結★★
大谷喜一東京証券取引所市場第二部に株式を上場
大谷喜一セブン&アイ・ホールディングスとの共同出資でセブンヘルスケアを設立
大谷喜一東京証券取引所市場第一部に指定
大谷喜一札幌証券取引所に株式を上場
2015〜2026年1000店舗を超えたM&Aと、処方箋1枚あたりの効率大谷喜一化粧品製造のアユーララボラトリーズを子会社化
大谷喜一持株会社体制へ移行しアインホールディングスに商号を変更★★★
大谷喜一シダックスと業務提携し同社子会社のシダックスアイを子会社化
大谷喜一東京証券取引所の市場区分見直しによりプライム市場へ移行
大谷喜一調剤薬局のファーマシィホールディングスを子会社化★★
大谷喜一インテリア雑貨のFrancfrancを子会社化★★★
大谷喜一エーアンドエムを子会社化
大谷喜一調剤薬局のクラフトを子会社化★★
出典・参考 4件
出典・参考
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【沿革】
  • 株式会社アインホールディングス 有価証券報告書【役員の状況】
  • 日経ビジネス 1994年10月17日号
  • 証券アナリストジャーナル 1994年4月号(大谷喜一・講演)

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