象印マホービンの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

値段で競う場所からは、そのつど降りてきた。1949年以降の中南米向け輸出では値下げ競争が進み、細口は1本30セントの採算点を割った。象印は採算を割る注文を断り、1952年に24セントまで下がると受注は止まる。1953年に社長へ就任した市川重幸氏は価格でしか競えない輸出に見切りをつけ、主力を国内へ移した。1970年5月には電子ジャーを1万円で発売し、家庭用電気製品へ参入する。ガラスのジャーが5,000円から6,000円だった市場での1万円という値づけである。1987年11月期に経常損益が16.7億円の赤字に転落すると、市川博邦社長は電気炊飯ジャーを低価格路線から高級品路線へ転じ、1990年1月に従来の約2倍にあたる2万1,800円の"ちょっと炊け"を投入した。値下げの求めに応じなかったことが、輸出中心の会社を国内で高単価品を出す会社へ入れ替えた。

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