富士電機純粋持株会社への移行と、9年後の事業会社への再統合

事業ごとに分けた体制は、なぜ9年で畳まれたか

時期 2012年4月
意思決定者(推定) 北澤通宏 社長
論点 グループ構造と事業運営の一体化
概要
2003年10月に電機システム・機器制御・電子などの事業を会社分割で分社し、商号を富士電機ホールディングスへ変更して純粋持株会社に移行した後、2012年4月に事業会社を吸収合併して商号を富士電機へ戻し、持株会社体制を解消した一連の経営判断。
背景
1999年4月の社内カンパニー制に始まる事業別運営の延長に持株会社化があった。電力自由化で電力会社が設備投資を絞ると重電の高コスト体質が露呈し、1999年3月期に173億円、2000年3月期に74億円の連結純損失を計上していた。
内容
2003年の移行では電機システム事業を富士電機システムズ、機器制御事業を富士電機機器制御、電子事業を富士電機デバイステクノロジー、開発部門を富士電機アドバンストテクノロジーへ承継させた。2012年にはこのうち3社を本体へ吸収合併し、日本AEパワーシステムズの変電・配電事業も引き取った。
含意
分社体制は事業を外へ出すときに働き、その9年間に水環境事業のメタウォーター化と受配電・制御機器事業のシュナイダーエレクトリックへの承継が進んだ。一方で盤・変圧器・無停電電源装置を揃えて一括で納める売り方は、会社が分かれたままでは組みにくく、再統合後に前面へ出た。
筆者の見解

分けた9年をどう評価するか

高圧盤から低圧盤まで自社で揃えられる、という2025年の答え方が、9年で畳んだ理由をよく映している。変電機器を日本AEパワーシステムズへ出し、受配電・制御機器をシュナイダーエレクトリックへ渡した後に残ったのは、盤も変圧器も無停電電源装置も自前で持つ組み合わせであった。それを一括で納める売り方は、法人格が四つに分かれたままでは組みにくい。持株会社の解消は、残した事業の売り方を選び直した結果だとみることができる。

分けた9年が無駄だったとは言えない。水環境事業のメタウォーター化も、受配電・制御機器のシュナイダーへの承継も、事業が別会社として括り出されていたからこそ相手と組めた側面がある。実際に外へ出た二つの事業は再統合の対象になっておらず、2012年に戻したのは残す側だけであった。分社は整理の道具として使われ、整理が済んだところで一体運営へ切り替えられた、という読み方が成り立つだろう。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

電力自由化で露呈した重電の高コスト体質

1999年4月、富士電機は社内カンパニー制を導入し、電機システム・機器制御・電子・民生機器の4カンパニーに分ける運営へ移った。事業ごとに損益を見る体制へ向かった時期の連結業績は重く、1999年3月期に173億円、2000年3月期に74億円の純損失を計上している。総合電機として広く持つ体制のまま、どの事業で稼ぐかを内側から仕分ける作業が始まっていた[1][2]

2001年1月末、同社は日立製作所と明電舎とともに、変電・配電の電力流通分野で技術と拠点を相互活用する包括提携の合意書に署名した。3社の同分野の年商は合計1,950億円強で、うち富士電機は500億円である。週刊東洋経済はこのとき重電大手の言葉として「狭い変形の敷地と電力会社ごとに違う仕様に合わせた多品種少量の機器を高く買ってもらってきた。それが自由化に直面した電力会社が設備投資を絞ると一気に赤字化した」と伝えている[3][4]

「一社あればいい」と言われた業界で

同じ記事は、重電大手の「最近では当の日本の電力会社からも『日本に重電メーカーは一社あればいい』と言われる始末」という声も載せている。需要増が見込める米国やアジアではスイスのABB、仏アルストム、独シーメンスの3社が上位を占め、日立・富士電機・明電舎の連合は5、6番手にとどまっていた。提携で設計・開発の重複は削れるが、減員の余地は乏しいという見方も併記されている[5][6]

提携は合弁会社の新設として実を結ぶ。2002年10月、同社は変電機器事業を吸収分割により日本AEパワーシステムズへ移管した。同じ2002年4月には三洋電機自販機の全株式を取得して自販機事業を広げており、事業ごとに外へ出すか取り込むかを判断する動きが、持株会社化の前に先行して始まっていた[7]

決断

2003年、事業別に分けた

2003年10月、同社は電機システム事業・機器制御事業・電子事業と情報関連システム等の開発部門を会社分割によって分社し、商号を富士電機ホールディングス株式会社へ変更して純粋持株会社に移行した。承継先は富士電機システムズ、富士電機機器制御、富士電機デバイステクノロジー、富士電機アドバンストテクノロジーの4社である。カンパニー制で始めた事業別運営を、法人格を分ける形まで進めた[8][9]

分けた体制は、事業を外へ出すときに働いた。2008年4月に富士電機水環境システムズが日本碍子の子会社と合併してメタウォーターが発足し、同年10月には富士電機機器制御の受配電・制御機器事業をシュナイダーエレクトリックへ吸収分割で承継させている。ただし2009年3月期には売上高7,666億円・営業赤字188億円・純損失733億円を計上し、分社した各社の損益が同時に沈む姿も表に出た[10][11]

2012年、商号を戻して一本化した

2012年4月、同社は持株会社体制を解消した。富士電機システムズを吸収合併して商号を富士電機株式会社へ戻し、富士電機デバイステクノロジーと富士電機リテイルシステムズも本体へ吸収し、日本AEパワーシステムズの変電・配電事業も承継している。2003年に法人格を分けてから9年で、分けた先の主要3社が再び一つの会社の中に戻った[12]

再統合の後に、設備投資は特定分野へ寄っていく。2013年3月には松本工場でパワー半導体の増産投資を決め、2016年には鈴鹿工場にパワエレテクニカルセンターを新設した。デバイスから装置、システムまでを一つの法人で抱える形に戻したことが、部門をまたぐ投資判断を一元化する条件になったとみられる[13]

結果

揃えて一括で納める売り方へ

業績は再統合の後に持ち直した。2012年3月期の営業利益193億円は、2014年3月期に331億円、2019年3月期に600億円へ伸び、2023年3月期には売上高が初めて1兆円を超えた。持株会社の解消だけがこの回復をもたらしたとは言えないが、事業会社として一体で動く体制が固まった時期と、収益が段階的に上がった時期は重なっている[14]

一体運営の中身は、後年の説明会で語られている。2025年5月の事業戦略説明会で同社は、データセンター向けに変圧器・無停電電源装置・低圧盤などを組み合わせて納める形式について、高圧盤や遮断器まで揃えられることが必要であり、すべて自社製品で対応できる点が強みだと答えた。あわせて、一部の単品販売を除き売上のほとんどをプラントとシステムソリューションが占めると説明している[15][16]

出典・参考
  • [object Object]
  • [object Object]
  • [object Object]
  • [object Object]
  • [object Object]

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