富士電機の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

規模で並ぶことを諦め、隣の市場へ資源を移し替えてきた。1931年1月、川崎工場の借入と連続赤字で資金が続かなくなり、全従業員の16%にあたる205名を削減し、名取和作社長が退任した。1935年6月には通信機部門を分離して富士通信機製造(現富士通)を設立し、重電機とは別の資本と決算を立てた。1969年9月には家電の販売不振で仕事の細った三重工場へ自動販売機を据え、ツガミや三菱重工が先行する市場へ後から入って約4年で国内シェア首位となり、1988年2月に富士電機冷機を東証二部へ上場させて自立させた。2010年からはパワー半導体とパワーエレクトロニクスへ投資を集中し、SiCモジュールを開発した。同じ市場で先発と規模を競うのではなく、自社の制御技術が効く隣接市場へ移り続けたことが、重電の後発として出発した会社を1世紀存続させた。

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