相田長平

富士電機・元取締役社長

Aida Chohei(敬称略)

更新:
社長就任 1965年
生年月日 —
学歴 神戸高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1919年3月に神戸高等商業学校を出て、同年4月に古河合名会社の足尾鉱業所へ入った。富士電機製造への入社は1936年3月で、17年後の1953年11月に富士通信機製造の常務取締役、1958年11月には神戸工業の代表取締役社長に就任している。本体の代表取締役副社長となったのは1964年11月で、その半年後に社長へ上がった。古河系で職を始め、関係会社の経営を預かってから本体の経営に加わった経歴である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1965年5月、金成増彦氏の後任として社長に就任した。本体へ戻ったのは半年前の1964年11月で、それまでの11年は富士通信機製造と神戸工業という関係会社の側にいた。本体で役員序列を積んだ前田七之進氏は1925年入社の技術者で、1962年11月に専務取締役、相田氏の就任から半年後の1965年11月に代表取締役専務、1966年11月に副社長へ進んでいる。社内で順に上がった技術者ではなく、系列会社の経営を担った人物が社長に据えられた。

在任中の主な施策
施策

在任は1965年5月から1968年11月までの3年6か月である。1968年10月に川崎電機製造を吸収合併し、神戸・鈴鹿の2工場を得た。前任期の1961年8月の千葉工場、1963年9月の中央研究所に続いて、生産と研究の拠点を増やす流れの上にある。単体売上高は退任年度にあたる1968年3月期で652億円である。1968年11月に代表取締役会長へ移り、後任には副社長の前田七之進氏が就任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1946〜1968年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
相田長平の経歴

相田長平の経歴社長就任に至るキャリア。就任年は有価証券報告書などの開示情報に基づく

参考文献 2件

免責事項およびポリシー