金成増彦

富士電機・元取締役社長

Kanari Masuhiko(敬称略)

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社長就任 1958年5月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部経済学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1928年に東京帝国大学経済学部を出て、同年4月に富士電機製造へ入社した生え抜きである。1947年12月に取締役、1949年11月に常務取締役、1956年5月に専務取締役と進み、1958年5月に代表取締役社長となった。入社から社長まで30年をかけている。1961年の役員欄に並ぶ専務・常務は東京帝国大学や京都帝国大学の工学部、高等工業学校を出た技術者が大半で、経済学部の出身は少数だった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1958年5月、和田恒輔氏の後任として社長に就任した。和田氏は1909年に神戸高等商業学校を出て1923年9月に入社し、1945年11月から社長を務めた人物で、同じ日に代表取締役会長へ移っている。金成氏はその2年前の1956年5月に専務取締役へ上がったばかりだった。和田氏は交代後も会長として残り、1962年の役員欄にも代表取締役会長として載る。後任には関係会社の経営を預かった相田長平氏が入った。

在任中の主な施策
施策

1958年5月に社長へ就任し、1965年5月に相田長平氏へ引き継ぐまで7年間務めた。1961年8月に千葉工場、1963年9月に中央研究所を新設している。1949年5月の上場と1953年10月の半導体部門参入で広げた事業の裾野に、自前の研究拠点を足す時期にあたる。1953年にはスイスのエッシャウイス社との提携でガスタービンにも着手しており、重電機のほかに半導体と原動機を抱える構成ができあがった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1928〜1964年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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