決断
行き詰まるたびに、造船所の資本の出し手を外から迎え直した前史である。1889年には士族の小船渠を数十名の出資による株式会社に改めて設備を広げ、1890年に軍艦「摩耶」の機関修理を受けた。1896年には安田系の経営へ移り、造船奨励法が公布された同じ年に船渠の拡張と自家発電設備の新設へ踏み出した。日露戦後の不況で安田系が退くと、1913年に中央鉄工所が事業を継いだが、注文は戻らなかった。1916年12月、地元の有志の依頼を受けた鈴木商店が造船業務を継承し、造船と海運を広げる自社の事業の一角に組み込んだ。