NISSHAの源流は、1929年に鈴木家初代が京都で創業した『似玉堂』[1][2]にさかのぼる。創業当時の京都には西陣織や寺社仏閣の美術品を題材とした出版物の需要があり、似玉堂はその分野に絞った高級印刷を手がけた。創業者の理念は『活字印刷であればだれでもできる。他社の手がけない高級印刷をやろう』[引用元](NISSHA公式 成長の軌跡)というもので、汎用印刷とは別の領域で技術を尖らせる方針を最初から掲げた。当時の印刷業界は活版を中心とする出版印刷と、ポスター・パッケージを担う一般商業印刷が主流であり、写真製版を駆使した美術印刷は技術習熟と熟練工に依存するニッチ領域であった。
戦時下の1942年、京都写真製版工業組合の主導で日本写真印刷有限会社が設立された[3]。1946年12月、同社と似玉堂が事業を統合し[4]、日本写真印刷株式会社が発足した。設立にあたっては、似玉堂を経営してきた鈴木直枝氏が主導し、以後鈴木家が同族経営を担う体制が固まった。発足直後の同社は依然として美術出版向け印刷を主力とし、京都地場の中小印刷企業の一つであった。1949年に東京日日新聞の『NEW JAPAN』[5]、1962年に毎日新聞社『国宝』[6]、1966年に小学館『原色日本の美術』を受注する[7]など、高度経済成長期を通じて美術書籍の高品質印刷に強みを持つ会社として知名度を高めた。
1950年に毎日新聞[8]、1952年には松下電器との取引開始[9]が、その後の業態転換の伏線となった。松下との関係は当初こそ商業印刷の範疇だったが、製造業の顧客を抱えたことで、印刷技術を工業製品の表面加飾へ応用する着想につながった。1961年10月には大阪証券取引所市場第2部に上場し[10]、続いて1969年には東京証券取引所第2部にも上場した[11]。上場直前の1968年12月時点における筆頭株主は2代目社長の鈴木正三氏で[12]、12.17%を保有した。1979年9月には東証・大証ともに第1部へ指定替えした[13]が、依然として鈴木家を中心とする資本構造を維持した。地方の中堅印刷会社が業界の中位に踏みとどまったまま、創業家経営を継続した時期にあたる。
転機となったのが、1967年の木目転写箔(IMD:In-Mold Decoration)の開発[14]である。松下電器との取引関係から、テレビキャビネットの木目調化粧シート用途で受注を獲得し、商業出版にとどまらない事業領域を切り拓いた。家電製品の樹脂筐体に木目柄や金属調の外観を付与する加飾フィルムは、印刷技術と射出成形技術を組み合わせた新領域であり、家電メーカー各社の差別化ニーズと結びついて急成長した。1967年12月には千葉県八千代市に1.8万平方メートルの土地を取得し[15]、関東圏の生産拠点として八千代工場を新設する決定を下した。京都本社・八千代工場の二極体制が、印刷から加飾フィルムへ主力を移す布石となった。
1985年には抵抗膜方式の透明タッチセンサーを開発[16]した。家電製品の操作パネル、産業機器のインターフェース、後に携帯電話やゲーム機の入力デバイスに採用されたタッチセンサーは、フィルム上に透明電極を印刷する技術であり、木目転写箔と同じく印刷技術の応用領域に位置付けられた。1987年には名古屋営業所を開設して[17]中部地区の自動車・家電顧客へのアクセスを強化、1993年にはマレーシアに加賀屋成形(後のNissha Precision Technologies)の前身となる海外生産拠点を構え[18]、フィルム加飾と成形を組み合わせた量産対応をグローバルに展開し始めた。商業印刷の枠を超えて、家電・自動車・モバイル機器の加飾とインターフェースに事業領域を広げた20年余であった。
3代目社長を務めた古川宏氏は[19]、鈴木家以外から起用された中継ぎ社長として1992年から2007年までこの拡張期を統括した。鈴木正三氏から、後に4代目社長となる鈴木順也氏への世代交代を橋渡しする[20]役回りであり、印刷から加飾・タッチセンサーへの業態転換の助走期間でもあった。2006年12月には産業資材分野への設備投資を決定し[21]、フィルム加飾・タッチセンサーに次ぐ第3の柱として、家電・自動車を超える広い工業用途の素材・加工事業を育てる方針を明確化した。創業から77年[22]、祖業の美術印刷は依然グループ内に残ったが、業績への寄与度では既に加飾フィルムとタッチセンサーが本流となっていた。
2007年6月、創業家4代目の鈴木順也氏[23]が社長に就任した。1964年京都府生まれ、慶應義塾大学大学院商学研究科を修了後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)を経て1998年3月に日本写真印刷へ入社、1999年取締役、2001年常務、2003年専務[24]、2005年副社長を経ての就任である。同年からのリーマンショック直前期は、北米・欧州・アジアでスマートフォン市場が立ち上がる局面であり、フィルムタッチセンサーへの先行投資が業績を押し上げる時期にあたる。FY07(2008年3月期)の売上高は1,016億円で、初めて1,000億円を超えた。日本写真印刷は、フィルム式タッチセンサーの量産技術を磨いて、スマートフォン向けの受注を取りに行く戦略にシフトした。
2013年4月、同社はスマートフォン向けタッチセンサーへの投資を決定した。姫路工場および加賀工場における設備投資として、2014年度に両工場で合計274億円の投資を実行した[25]。1社の年間設備投資としては過去最大級の規模であり、スマートフォン市場の拡大に賭ける意思決定であった。同年9月には決算期を3月期から12月期に変更し[26]、FY16(2017年3月期)の決算期は2017年3月15か月決算となり[27]、決算開示の透明性と海外子会社との連結整合性を高めた。FY13(2014年3月期)の売上高は1,109億円、FY14(2015年3月期)には1,173億円まで戻し[28]、ディバイス事業がセグメント営業利益135億円を稼ぐ柱に成長した[29]。
しかしスマートフォン向けタッチセンサー市場は2015年以降、新方式の台頭と顧客集中による価格下落で成熟した。FY15(2016年3月期)のディバイスセグメント売上は640億円・営業利益146億円とまだ高水準だった[30]が、FY16(2017年3月期)には売上502億円・営業利益▲1億円へ急減した[31]。連結ベースでもFY16は売上1,158億円・営業損失39億円・最終損失74億円と、創業以来初の本格的な赤字決算となった。フィルム式タッチセンサーへの集中投資が、特定顧客と特定方式に偏った収益依存を露わにした。鈴木順也社長は事業多角化を1960年代から開始し、伝統的な印刷だけでは生き残れないとの認識のもとで自社技術を深掘りしながら広げてきた経緯を語っている。2013年の集中投資もその展開の延長戦上に位置した戦略決定であった。
2015年4月から開始した第5次中期経営計画[32]は『事業ポートフォリオの組み替えを徹底』[引用元]することを掲げ、不採算事業からの撤退と新事業領域への買収を主要施策とした。定量目標として最終年度の2018年3月期に『新製品・新事業の売上高比率35%』[引用元]を盛り込み[33]、業態転換を計画の中核に据えた。スマートフォン向けタッチセンサー単一のリスクを認識した経営判断であり、印刷・加飾フィルム・タッチセンサーに次ぐ第4・第5の柱を買収で組成する方針への転換であった。同年4月には日本写真印刷コミュニケーションズ株式会社を設立し[34]、祖業の商業印刷事業を法的に分社化した。本体の業態を加飾フィルム・タッチセンサー・買収による新事業に絞り込むための前段整理である。
具体的なM&Aは2015年から2016年にかけて集中した。2015年8月にベルギーのLuxembourg Holdings SARL(蒸着紙メーカー、食品パッケージ向け)を約150億円で買収し[35]、産業資材セグメントの新領域として食品パッケージ素材事業を獲得した。2016年9月にはアメリカのGraphic Controls Holdings, Inc.(医療機器メーカー)を約141億円で買収し[36]、メディカル分野への参入を本格化した。2016年9月にはドイツのSchusterグループ(タッチセンサーメーカー)も買収し[37]、ディバイス事業の地理的補強を図った。2017年10月、社名を日本写真印刷株式会社からNISSHA株式会社へ変更し[38]、創業以来68年使った『日本写真印刷』の名称を、印刷以外の事業領域へ拡張する商標に刷新した。
2018年4月開始の第6次中期経営計画は[39]、M&Aで取得した事業群の統合と垂直統合の進展を主軸とした。2018年9月には日本写真印刷コミュニケーションズが東京地区の商圏と事業基盤を共同印刷株式会社に譲渡し[40]、祖業の商業印刷事業の縮小・撤退を加速した。FY18(2018年12月期)の連結売上高は2,074億円で過去最高を更新し、メディカルテクノロジーセグメントは初年度から223億円の売上を計上した[41]。買収による新領域進出は計画通りに進んだが、同時にIFRS会計適用に伴うのれん償却負担と、買収先の事業統合コストが利益を圧迫した。鈴木順也社長は会社を継続していくとは変化し続けることだと位置付けており、その変化のコストは買収のれんの形で貸借対照表に蓄積された。
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|---|---|---|---|---|
| 1929〜2006年美術印刷から木目転写箔・タッチセンサーへの多角化 | 日本写真印刷を設立 | ★ | ||
| 東京出張所を開設 | ★ | |||
| 大阪出張所を開設 | ★ | |||
| 大阪証券取引所市場第二部に株式上場 | ★ | |||
| 日写不動産を設立 | ★ | |||
| 東京証券取引所市場第二部に株式上場 | ★ | |||
| 名古屋営業所を開設 | ★ | |||
| 古川宏 | Nissha USAを設立 | ★ | ||
| 古川宏 | Southern Nisshaを設立 | ★ | ||
| 古川宏 | Nissha Korea設立 | ★ | ||
| 古川宏 | ナイテック工業を設立 | ★ | ||
| 古川宏 | 中国・広州日写精密塑料を設立 | ★ | ||
| 古川宏 | Nissha Europe GmbHを設立 | ★ | ||
| 古川宏 | ナイテック工業甲賀工場を竣工 | ★ | ||
| 2007〜2018年スマートフォン向けタッチセンサーへの集中投資と減損の代償 | 鈴木順也 | Nissha USAが米Eimo Technologiesを買収 | ★★ | |
| 鈴木順也 | ナイテック・プレシジョン・アンド・テクノロジーズを設立 | ★ | ||
| 鈴木順也 | スマートフォン向けフィルムタッチセンサーへの単年274億円の集中投資 2013年4月、日本写真印刷(現・NISSHA)がスマートフォン向けフィルムタッチセンサーへの投資を決め、2014年度に姫路・加賀両工場へ単年274億円を投じた経営判断。鈴木順也社長の主導による、特定市場への集中投資である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 鈴木順也 | Nissha Luxembourg買収によりAR Metallizing系を子会社化 | ★★ | ||
| 鈴木順也 | メディカルへの事業転換 — Graphic Controls 買収に始まるCDMOシフト 2016年8月、日本写真印刷(現NISSHA)が米Graphic Controlsグループを取得価額135百万米ドル(約148.5億円)で買収し、医療機器の開発・製造受託(CDMO)へ本格参入した経営判断。以後およそ10年で買収を重ね、稼ぎの本流を印刷・タッチセンサーからメディカルへ移した。鈴木順也社長の主導による面的な事業転換である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 鈴木順也 | NISSHAに商号変更 | ★ | ||
| 鈴木順也 | 情報コミュニケーション事業を共同印刷へ譲渡契約締結 | ★★ | ||
| 2019〜2025年メディカル本格化と祖業印刷の整理 | 鈴木順也 | オリンパスグループの医療機器ノーウォーク工場を資産買収 | ★★ | |
| 鈴木順也 | Isometric Intermediate LLCを買収 | ★★ | ||
| 鈴木順也 | Cathtek LLCを買収 | ★ | ||
| 鈴木順也 | 滋賀県製薬を買収 | ★ |
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事実根拠:出所(NISSHA)