メディカルへの事業転換 — Graphic Controls 買収に始まるCDMOシフト
スマートフォン依存の反省を、鈴木順也社長はどのようにメディカルを本流とする転換へつなげたか
更新:
- 概要
- 2016年8月、日本写真印刷(現NISSHA)が米Graphic Controlsグループを取得価額135百万米ドル(約148.5億円)で買収し、医療機器の開発・製造受託(CDMO)へ本格参入した経営判断。以後およそ10年で買収を重ね、稼ぎの本流を印刷・タッチセンサーからメディカルへ移した。鈴木順也社長の主導による面的な事業転換である。
- 背景
- スマートフォン向けフィルムタッチセンサーへの集中投資が価格下落で行き詰まり、連結で創業以来初の本格赤字を招いた。単一市場への依存の危うさを踏まえ、高齢化と技術革新で需要が伸び、景気に左右されにくい米国の医療機器市場を次の柱に選んだ。
- 内容
- 2016年のGraphic Controls買収を皮切りに、Sequel・ゾンネボード製薬・Isometric・滋賀県製薬・USM Healthcareと医療分野の買収を継続。第7次・第8次中期経営計画でメディカル優先を明文化し、政策保有株式の売却を原資に資金を医療へ集中させた。
- 含意
- 参入から8年でメディカルは売上450億円を超える第3の柱に育ち、ディバイスに肩を並べた。一方で買収のれんが欧米金利の上昇で減損圧力となり、簿価の見直しを連年迫る構造も生んだ。構成比50%目標の到達は今後の統合力にかかる。
市場を入れ替えるという選択
この判断の芯にあるのは、単一の市場に稼ぎを託すことの危うさを、収益源そのものの入れ替えへと転じた点にあるとみることができる。印刷から加飾へ、加飾からタッチセンサーへと技術を移し替えてきた会社が、こんどは市場そのものを、景気に揺さぶられにくい医療へと移し替えた。スマートフォンで負った痛手を、次の本流を探す動機に変えていった経緯には、変化し続けることを是としてきた同社の性格がにじんでいるようにみえる。
ただ、買収を重ねて育てる成長は、のれんという重さと背中合わせでもある。金利が振れれば簿価の見直しを迫られ、原資とする政策保有株式の取り崩しにも、いつかは限りが来る。稼ぎの半分を医療で得るという目標が、この負荷を抱えたまま届くのかどうかは、これから先の買収の質と統合の巧拙にかかっているといえる。印刷会社が医療の裏方として深く根を張れるのか、その答えはなお開かれたままにみえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
スマートフォン集中投資の行き詰まり
NISSHAの前身である日本写真印刷は、2013年からスマートフォン向けフィルムタッチセンサーへ資源を集めた。2014年度には姫路・加賀の両工場へ単年で274億円を投じ、1社の年間設備投資として過去最大級の賭けに踏み切った。ところが市場は2015年以降、新方式の台頭と顧客集中による価格下落で急速に成熟し、ディバイス事業の営業利益はほぼ消え、連結でも創業以来初の本格的な赤字となった。特定の顧客と方式へ寄りかかった収益構造の弱さが、帳簿の上に現れていた[1][2]。
この痛手は、稼ぎ頭を一つの市場に委ねることの危うさを経営陣に突きつけた。鈴木順也社長は、会社を続けることは変化し続けることだと述べ、既存の製品を既存の市場で売っているだけでは会社は進化しないという考えを重ねてきた。もともと同社は1960年代から、美術印刷で磨いた写真製版を家電の加飾やタッチセンサーへ応用してきた歴史を持つ。次の柱を別の市場に見いだす発想は、この会社にとって目新しいものではなかった[3]。
米国医療機器という次の市場
目を向けた先が、米国の医療機器市場であった。鈴木順也社長は、アメリカの医療機器市場は高齢化や技術革新が進み、外部への製造委託であるCDMOのニーズが非常に高いとみていた。医療機器は景気の波に左右されにくく、需要が細く長く続く。しかも、印刷とフィルム加飾で培った精密な加工や成形の技術は、微細な医療部材の量産にそのまま生かせる余地があった。スマートフォンとは対照的な、腰を据えて稼げる市場としてメディカルが浮かび上がった[4]。
狙いを定めたのは、単回使用(シングルユース)の低侵襲な手術機器や、使い捨ての電極といった消耗品の領域であった。完成品ブランドで医療機器を売るのではなく、開発から生産までを請け負うCDMOの立場で事業を広げる——鈴木順也社長はのちに、この参入の構えをそう語っている。診断や手術のたびに消費される部材は反復して需要が見込め、精密加工を強みとする同社の技術とかみ合う。印刷会社が医療の裏方へ回るという転換の輪郭が、ここで定まっていった[5]。
決断
Graphic Controls 買収による本格参入
2016年8月5日、日本写真印刷はアメリカのGraphic Controlsグループの買収を発表した。取得価額は135百万米ドルで、1米ドルを110円で換算すると約148.5億円にあたる(有価証券報告書に計上された取得原価は約141億円)。Graphic Controlsは、ディスポーザブル電極や手術用器具といった医療用の消耗品を生産・販売する会社であった。買収は同年8月下旬に完了し、9月にNissha Medical Internationalの傘下へ収めて、同社はメディカル分野への本格参入を果たした[6][7]。
この買収は、単発の飛び地ではなかった。前年の2015年8月にはベルギーの蒸着紙メーカーを約150億円で取得して産業資材を広げており、Graphic Controlsの買収は、事業の柱を入れ替える一連の動きのなかでメディカルを選び取る一手であった。当時の第5次中期経営計画は事業ポートフォリオの組み替えを徹底することを掲げ、スマートフォン依存から抜け出す新領域を買収で組み立てる方針を中核に据えていた。稼ぎの本流を医療へ移す構想が、ここから面として動き始めた[8][9]。
買収の連鎖と中期計画での優先順位
Graphic Controlsを足場に、NISSHAは医療分野の買収を切れ目なく重ねた。2018年に米Sequel Special ProductsとRSSを、2019年にはゾンネボード製薬を取得して医薬品の受託製造・開発へ踏み込み、2020年にはオリンパスの医療機器工場を資産ごと譲り受けた。2024年には精密加工を持つIsometricを約104億円で、続いてCathtekを買収し、2025年に滋賀県製薬、2026年にはベトナムのUSM Healthcareへと手を伸ばした。除細動の電極からカテーテル、医薬品の受託まで、守備範囲は年を追って広がった[10][11]。
買収の連なりは、中期経営計画のなかで明確な優先順位として言葉になった。第7次計画(2021〜2023年)と第8次計画(2024〜2026年)はメディカルを重点に据え、とりわけ第8次計画は、限られた資金を医療分野へ優先して配るキャッシュアロケーションを打ち出した。その原資として同社が挙げたのが、政策保有株式の縮減と売却であった。本業で稼いだ資金に持ち合い解消で得た資金を重ね、医療の買収へ振り向ける。鈴木順也社長は、メディカルの構成比を50%まで引き上げる目標を掲げた[12][13]。
結果
第3の柱への成長と、のれんの重さ
転換の成果は、セグメントの数字に表れた。メディカルテクノロジーの売上高は、参入初年度にあたる2018年12月期の223億円から、2021年12月期に242億円、参入から8年後の2024年12月期には456億円(前年比プラス27%)へと伸びた。2025年12月期には471億円・営業利益20億円に達し、売上585億円・営業利益21億円のディバイスに肩を並べる規模に届いた。印刷でもタッチセンサーでもない第3の柱が、買収の積み重ねによって立ち上がった[14][15]。
もっとも、速い買収には代償も伴った。取得した事業に積み上がった買収のれんは、2022年から2023年にかけての欧米金利の上昇で割引率が切り上がり、減損の圧力にさらされた。2022年12月期は一時費用でおよそ18億円が利益を削り、2023年12月期には産業資材や一部メディカルののれん減損によって連結営業損失38億円・最終損失30億円へ落ち込んだ。高い単価で買い集めた事業は、現地の金利環境しだいで簿価の見直しを連年迫る構造も抱えた[16][17]。
- 日本写真印刷(現NISSHA)「アメリカの医療機器メーカー Graphic Controls グループを買収」(2016年8月5日)
- 薬事日報「【NISSHA】単回使用の低侵襲医療用手術機器に照準‐鈴木順也社長に現状と展望をインタビュー」(2025年10月28日)
- 日本経済新聞「NISSHA、30年に売上高3000億円目標 医療分野にシフト」(2021年2月12日)
- 日本経済新聞「NISSHA・鈴木順也社長兼CEO『医療分野へ大胆に転換』」(2023年11月29日)
- KOIN(Kyoto Open Innovation Network)「グローバル化・多角化を遂げ、更に進化を続けるNISSHA株式会社の経営」(2020年1月20日)
- NISSHA「第8次中期経営計画 説明会」資料(2024年2月28日)
- 日本写真印刷/NISSHA 有価証券報告書(各期・連結)