1948年に愛知県瀬戸市で設立され、カバー付ナイフスイッチの製造から始めた会社が起源。
1963年にホーム分電盤を売り出し、2009年には豊田自動織機とEV・PHEV用充電スタンドを共同開発した。
分電盤・キュービクル・ブレーカを主力とする配電機器メーカーで、テンパール工業も傘下に収める。
日東工業は1948年11月24日、愛知県瀬戸市で資本金100万円の株式会社として発足した。前身は1914年に瀬戸で設立された合資会社の鈴木商店で、代表社員は加藤八百蔵氏だった。鈴木商店は1929年に鈴木製陶所と改称し、1944年に日東航空工業所となり、旧愛知航空機向けの航空機部品を専属で製造した。1945年の敗戦を機に航空機部品から電気配線器具の製造販売へ転業し、商号も日東工業所へ変更。1948年の設立は八百蔵氏の長男の加藤陽一氏、次男の加藤実氏、鈴木薫稔氏の3氏によるもので、復興期に電力の需要が膨らむと見込んでいた。軍需の下請先を失った工場が、復興で配線の需要が増える電気の分野に活路を求めたとみられる。
転業後の日東工業は、陶磁器を素材にしたカットアウトスイッチ・コンセント・電熱器を最初の製品にした。陶業の地である瀬戸には加藤姓の家が多く、1984年の業界誌は日東工業の創業を陶業の加藤家の系譜に連なるものと位置づけた。工場は八百蔵氏が家屋兼工場として瀬戸に持っていた敷地に置いた。敷地は業績の拡大に合わせて買い増し、1981年には6,600平方メートルの瀬戸工場となっていた。2024年の統合報告書も、瀬戸の陶磁器を生かしたカットアウトスイッチを日東工業グループの出発点に置いている。卸と製陶で培った陶磁器の調達と加工の知識が、絶縁に陶器を使う配線器具にそのまま生きたと推察される。
日東工業は1951年6月、カバー付ナイフスイッチを製品に加えた。1990年の新規上場紹介は、日本工業規格(JIS)の制定と諸法令の改定をこの品目追加の契機に挙げた。1981年の中部財界も、当初の主体をコンセントやカットアウトスイッチとし、事業拡大の最初の品目にカバー付ナイフスイッチを挙げている。1984年の業界誌で日東工業の常務は、創業期の製品を『陶器へ金具をとり付けたナイフスイッチ』と説明した。規格の整備で器具の仕様がそろい、陶器の加工に金属部品を組み合わせた品目へ広げる余地が生まれたと思われる。
日東工業は1954年6月、配電函と鉄箱開閉器を製品に加えた。1981年の中部財界は、1951年のナイフスイッチに続く拡大の品目としてこの2つを挙げ、1963年の分電盤をその次に置いた。1990年の上場紹介は、ナイフスイッチから配電函・鉄箱開閉器までの品目追加を製品の多様化と位置づけた。1955年以降はビル建設の増加と工場の大型化で電気設備も大型化し、器具を盤にまとめて使う例が増えた。日東工業はこれを受けて、1963年6月に標準分電盤と制御盤へ参入。鉄の箱に開閉器を収める製品を1954年から作っていたことが、器具を盤にまとめる分電盤の土台になったのだろう。
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事実根拠:出所(日東工業)