第1章 年〜年

シンフォニアテクノロジー:鳥羽造船所の創立と鈴木商店の傘下入り

1878年〜鳥羽城二の丸の小船渠と、軍艦「摩耶」の入渠で広まった鳥羽鉄工の名

1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩の旧藩士数名が資金を出し合い、旧城跡の二の丸に小船渠を設けて造船業を始めた。鳥羽は伊勢湾の入口に面し、東海を行き来する船が風待ちに寄る港として古くから栄えた土地である。戦国期に九鬼氏が城を築いてから明治維新まで城下町で、最後の藩主は3万石の稲垣家。現在の市立鳥羽小学校が建つ城山一帯も、当時は造船所の敷地に含まれ、この造船所がのちの神鋼電機鳥羽工場の起点となった。神鋼電機は1949年8月、神戸製鋼所の再建整備計画に基づく第二会社として、鳥羽・山田・東京の3工場を継承して設立された。船の往来が多い港町で、禄を失った士族が船の建造と修理を新しい生業に選んだのは自然な成り行きだったのだろう。

  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」
    • [1]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
    • [2]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
    • [3]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
    • [4]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
  • 会社銀行八十年史(1955年)「神鋼電機」
    • [5]神鋼電機は1949年8月、神戸製鋼所の企業再建整備計画に基づく第二会社として鳥羽・山田・東京の3工場を継承し資本金1億円で設立

1889年1月、三重県河芸郡栗真村の阿保市太郎氏ら数十名が出資し、造船所の施設一切を継承して鳥羽鉄工株式会社を設立した。新会社は設立後ただちに、造船所の諸設備の改造と拡充に取りかかった。1890年3月に陸海軍の大演習が催された際、軍艦「摩耶」が鳥羽の船渠に入り、機関の修理を受けた。この修理を機に、鳥羽の造船所の名がようやく世間に知られるようになった。のちの1917年5月、この構内には一般電気機器の製作修理と船舶の電機艤装工事を営む工場が創設された。士族の小船渠を数十名の出資による株式会社に改めたことが、軍艦の機関を扱える設備を整える資金の裏付けになったとみられる。

  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」
    • [6]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
    • [7]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
    • [8]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
    • [9]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神鋼電」
    • [10]1917年5月、帝国汽船鳥羽造船所内に一般電気機器の製作修理と船舶電機艤装工事を営む工場を創設
参考文献[1]-[10]
  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」
    • [1]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
    • [2]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
    • [3]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
    • [4]1878年、廃藩置県で職を失った鳥羽稲垣藩士数名が合資し、旧城跡二の丸に小船渠を開いて造船業を開始。城山一帯が敷地で、現神鋼電機鳥羽工場の起点
    • [6]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
    • [7]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
    • [8]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
    • [9]1889年1月、阿保市太郎ほか数十名の出資で施設一切を継承し鳥羽鉄工株式会社を創立、設備を改造・拡充。1890年3月の陸海軍大演習で軍艦「摩耶」が入渠し機関を修理、名声が広まる
  • 会社銀行八十年史(1955年)「神鋼電機」
    • [5]神鋼電機は1949年8月、神戸製鋼所の企業再建整備計画に基づく第二会社として鳥羽・山田・東京の3工場を継承し資本金1億円で設立
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神鋼電」
    • [10]1917年5月、帝国汽船鳥羽造船所内に一般電気機器の製作修理と船舶電機艤装工事を営む工場を創設

1896年〜安田系の資本金30万円の鳥羽鉄工所と、鈴木商店が引き受けた株式会社鳥羽造船所

1896年9月、鳥羽鉄工株式会社は安田系の経営に移り、資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に改組した。同じ年には、日清戦争中に艦船が不足した経験を踏まえた航海奨励法と造船奨励法の公布。鳥羽鉄工所は1897年3月から、船渠の拡張と海面の埋め立て、自家発電設備の新設を進めた。船台2〜3基で1000総トンまでの鋼船と木船を建造し、汽機や汽缶などの付属機器も自社で製作した。自社の建造船に加え、駆逐艦「追風」「夕凪」向けの舶用機器も製作して納めた。神鋼電機自身は、事業の沿革をこの造船所ではなく1917年5月に構内へ置かれた電機工場から数えている。機関から付属機器まで内製し、発電設備も備えた鉄工所の蓄積が、電機工場を構内に置く下地になったと推察される。

  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」
    • [11]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [12]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [13]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [14]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [15]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
  • 会社銀行八十年史(1955年)「神鋼電機」
    • [16]神鋼電機の事業上の沿革は1917年5月に帝国汽船鳥羽造船所内に設置された電機工場に始まる

日露戦争前後の造船ブームで潤った鳥羽鉄工所は、1909年に資本金を35万円へ増資した。ブームが去って艦船の発注が一段落すると、設備を抱え過ぎた造船業界は深刻な不況に陥った。浦賀船渠や川崎造船所、大阪鉄工所のように歴史のある造船所でさえ、整理を迫られた。鳥羽鉄工所も経営が行き詰まり、安田系は経営から撤退した。1913年8月に株式会社中央鉄工所が事業の一切を継承して再建を図ったものの、注文が入らないまま廃業の寸前まで追い込まれた。同じ1913年、鈴木商店から独立した神戸製鋼所は1200トンプレスを導入し、船舶用クランクシャフトなどの大型鍛造品を手がけ始めた。ブームに合わせて広げた設備が、受注の途絶とともに固定費の重荷に変わったと思われる。

  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」
    • [17]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [18]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [19]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [20]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [21]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神戸製鋼所」
    • [22]神戸製鋼所は1911年6月に鈴木商店から分離独立し、1913年に1200トンプレスを導入して船舶用クランクシャフト等の大型鍛造品を生産

1916年当時の鳥羽には造船所のほかに工業と呼べる産業が無く、造船所の廃業は地元に大きな打撃となるはずであった。そこで地元の有志が合名会社鈴木商店と交渉し、造船所の経営を依頼した。鈴木商店は、総支配人の金子直吉氏のもと第一次世界大戦を機に製鋼・製糖・化学・繊維の製造業へ事業を拡大した商社である。1916年4月には播磨造船所を傘下に収め、同年10月には帝国汽船を設立した。同年12月、鈴木商店は中央鉄工所から造船業務の一切を継承して株式会社鳥羽造船所を設立し、辻湊氏が取締役として経営を担った。鳥羽の造船所は帝国汽船の傘下に入り、1921年に神戸製鋼所が帝国汽船から鳥羽と播磨の2工場を取得した。造船と海運を同時に拡大していた鈴木商店にとって、伊勢湾口の造船所は自社船隊の建造と修理を担える拠点だったと考えられる。

  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」
    • [23]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [24]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [25]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [26]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [27]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神戸製鋼所」
    • [28]1921年、神戸製鋼所が帝国汽船から鳥羽・播磨の2工場を買収し、鳥羽電機製作所・播磨造船所と改称
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神鋼電」
    • [29]1917年5月時点で鳥羽造船所は帝国汽船の鳥羽造船所となっていた(帝国汽船㈱鳥羽造船所内に工場を創設)
参考文献[11]-[29]
  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」
    • [11]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [12]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [13]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [14]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [15]1896年9月に安田系の経営へ移り資本金30万円の合資会社鳥羽鉄工所に。同年、航海奨励法・造船奨励法公布。1897年3月から船渠拡張・海面埋立・自家発電設備新設。1000総トンまでの鋼船・木船を建造、汽機・汽缶を自家生産、駆逐艦「追風」「夕凪」の舶用機器を納入
    • [17]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [18]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [19]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [20]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [21]1909年に資本金35万円へ増資。日露戦後の不況で浦賀船渠・川崎造船所・大阪鉄工所も整理を迫られ、鳥羽鉄工所も行き詰まり安田が手を引く。1913年8月、中央鉄工所が事業一切を継承するも注文なく廃業寸前に
    • [23]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [24]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [25]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [26]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
    • [27]鳥羽には造船所以外に工業が無く、地方有志が鈴木商店に経営を依頼。鈴木商店は金子直吉のもと事業を拡張し、1916年4月播磨造船所を傘下に、10月帝国汽船を設立。1916年12月、中央鉄工所から造船業務一切を継承し株式会社鳥羽造船所を創立、辻湊が取締役に就任
  • 会社銀行八十年史(1955年)「神鋼電機」
    • [16]神鋼電機の事業上の沿革は1917年5月に帝国汽船鳥羽造船所内に設置された電機工場に始まる
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神戸製鋼所」
    • [22]神戸製鋼所は1911年6月に鈴木商店から分離独立し、1913年に1200トンプレスを導入して船舶用クランクシャフト等の大型鍛造品を生産
    • [28]1921年、神戸製鋼所が帝国汽船から鳥羽・播磨の2工場を買収し、鳥羽電機製作所・播磨造船所と改称
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神鋼電」
    • [29]1917年5月時点で鳥羽造船所は帝国汽船の鳥羽造船所となっていた(帝国汽船㈱鳥羽造船所内に工場を創設)

出典・参考

4件
出典・参考
  • 会社銀行八十年史(1955年)「神鋼電機」
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神鋼電」
  • 企業の歴史(明治百年・1968年)「神戸製鋼所」
  • ポケット社史『神鋼電機』(1970年)「一 創立前史 1 鈴木商店、帝国汽船時代」

免責事項およびポリシー