ヤマハの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

買い手を待たず、弾き手を育ててから楽器を売ってきた。1953年、社長の川上源一氏は欧米視察で、フランスのプレイエルの販売が月2,000台から年2,000台へ落ち、スタインウェイが技術者の高齢化で減産する姿を見た。競争相手を楽器メーカーではなく自動車と家庭電気製品だと見た川上氏は、日本人が音楽を楽しむ習慣を先に作らなければ同じ道をたどると判断する。1954年、生徒150名・教室8カ所でヤマハ音楽教室を組織化し、全国の楽器店を拠点に教育から購入までの導線を作った。1963年には生徒20万人、国内のピアノシェア60〜70%に達している。弾く人の数から先に増やしたことが、1967年のピアノ生産世界一と1970年の世界シェア約30%を作った。

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