重要な意思決定
エレクトーン・スポーツ用品に参入
背景
楽器市場の成熟を見据えたリスク分散の模索
1950年代後半、ヤマハはピアノを中心に国内市場で地位を確立しつつあった。一方で楽器市場は景気動向に左右されやすく、需要の変動が業績に直結する構造を抱えていた。川上源一社長は、単一事業への依存は将来的なリスク要因になると認識し、楽器以外の領域への展開を検討していた。
1955年には二輪車事業を分社化する形でヤマハ発動機を設立しており、製造技術や素材技術を横展開することで新分野を開拓する発想はすでに実績があった。楽器事業が生む安定的なキャッシュフローを原資に、先行投資を積み重ねる余力も確保されていた。
決断
電子楽器とFRP応用製品への同時参入
1959年、ヤマハは電子楽器であるエレクトーンに参入した。当時はトランジスタの普及期であり、半導体は高コストかつ品質面で不安定であったが、電気技術と音響技術の融合領域として将来性を見込み、研究開発を継続した。同年にはFRP素材を活用したアーチェリー用品の製造も開始した。
1964年にはFRPを応用した浴槽など住宅設備分野へ進出した。楽器製造で培った素材加工技術を軸に、異分野へ横展開する構想であった。事業ポートフォリオの拡張を図り、楽器依存からの脱却を目指した判断であった。
結果
電子楽器は中核へ成長、FRP系事業は半世紀後に撤退
エレクトーンは1970年代以降に電子楽器市場が拡大する中で存在感を高め、ヤマハの電子楽器事業の基盤となった。電子技術と楽器製造の融合は、後のシンセサイザーや半導体事業にもつながる技術的蓄積を生んだ。
一方、スポーツ用品およびリビング用品事業は業績への寄与が限定的であり、長期的には段階的に縮小へ向かった。1997年にスポーツ事業部を廃止、2002年にアーチェリーから撤退、2010年にはヤマハリビングテックの株式売却により完全撤退した。素材技術の横展開という発想は一貫していたが、事業特性の違いが半世紀後の明暗を分けた。