重要な意思決定
1927

スト終息により経営再建

背景

105日間のストと企業存続の危機

第一次世界大戦後の反動不況により、日本経済は1920年代に深刻な停滞局面に入った。楽器は景気後退の影響を受けやすい商材であり、日本楽器製造の業績も悪化した。賃金水準の維持が困難となる中、1926年に労働組合は賃金改善を求めて交渉を開始したが、会社側は業績不振を理由に応じなかった。

交渉は決裂し、105日に及ぶ大規模なストライキへ発展した。生産は完全に停止し、浜松では騒擾事件が発生するなど社会問題化した。争議は企業の存続そのものを問う深刻な局面であり、収束後も経営の混乱は続いた。1927年1月、株主は天野社長を解任し、後任の選定が急務となった。

決断

外部人材の招聘と資産整理による再建

後任社長には住友財閥出身の川上嘉市が招聘された。川上は就任と同時に自ら株式を取得し、経営責任と資本責任を一体で引き受ける体制を整えた。外部からの登用により、従来の経営陣との断絶を図り、再建を主導する構えを明確にした。

川上体制下では、釧路分工場、大崎工場、名古屋貯木池などの資産売却を進め、借入金返済と財務健全化を最優先とした。無配を継続し内部留保を確保するなど、成長より存続を選ぶ姿勢が貫かれた。過剰設備を圧縮し、固定費構造の見直しに着手した。

結果

財務再建と川上家支配体制の確立

資産整理と支出抑制の徹底により、資金繰りは次第に安定へ向かった。1930年前後には経営は一定の安定を取り戻したとされる。事業規模は縮小したが、財務基盤の再構築により企業としての継続可能性が確保された。

ただし、この再建過程は財務再建にとどまらない意味を持っていた。川上嘉市が就任時に株式を取得したことで、日本楽器製造は事実上「川上家」の支配下に入った。危機対応を通じて確立された川上家の経営権は、以後約60年にわたる同族的経営体制の起点となった。