事業部制を導入
多角化の実態に組織が追いついていない状態
1970年代から1980年代初頭にかけて、ヤマハは楽器を中核としながら電子楽器、半導体、音響機器、レクリエーション、リビング関連へと事業領域を拡張していた。売上規模は拡大したが、事業の性質は大きく異なり、収益構造や投資負担にもばらつきがあった。それにもかかわらず、本社主導の機能別組織で全体を統制していた。
事業単位での損益責任が不明確なため、設備投資や人員配置の判断が各事業の市場特性を十分に反映できない局面が生じていた。多角化の実態に組織構造が追いついておらず、事業ごとに権限と責任を明確化する体制への転換が課題となっていた。
事業部制の導入と分権化
1983年、ヤマハは事業部制を導入した。楽器、電子楽器、半導体、音響、レクリエーションなどを事業単位として再編し、それぞれに損益責任を持たせる体制へ移行した。事業部長が売上・利益の責任を負い、投資や商品戦略について主体的に判断する構造とすることで、市場に近い単位での意思決定を迅速化する狙いがあった。
ただし、事業部ごとの売上規模拡大が重視される一方で、投下資本に対する収益性や全社レベルでの資本効率を横断的に検証する仕組みは限定的であった。分権化は進んだが、収益性の吟味が徹底される構造にはなっていなかった。
拡張は加速したが全社最適は後退
事業部制の下で各部門は独自に事業拡大を進め、多角化は一段と加速した。市場に即した意思決定は迅速化した一方、事業部間の横断的な資源配分は弱まり、重複投資や固定費の増大が生じやすい構造となった。各部門が自部門の数字を優先する傾向が強まり、全社最適の視点は後退した。
結果として、高収益事業と低収益事業が併存し、全社としての資本効率は管理されにくい状態が続いた。楽器事業のキャッシュフローが他部門を補填する構造が固定化され、事業部制は多角化を支える制度であると同時に、後年の収益性改革が必要となる課題も内包していた。