ヤマハ の歴代社長

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1997年2000年2010年2020年2026年

石村和清退任

1997年社長就任

代表取締役社長

伊藤修二退任

2000年社長就任

代表取締役社長

梅村充退任

2007年社長就任

2000年取締役2001年執行役員代表取締役社長

中田卓也退任

2013年社長就任

2006年執行役員2009年取締役代表取締役社長

山浦敦現任

2024年社長就任

2021年執行役員代表執行役社長
創業
1887年に山葉寅楠氏が浜松でオルガンの修理と製作に成功し、1897年10月に日本楽器製造を設立して初代社長に就いた。在任のまま没する1916年まで19年トップに座っている。1927年に外から迎えた川上嘉市氏の系譜が川上源一氏・川上浩氏へ続き、1992年の川上浩氏の退任で川上家の社長が途切れた。
登用
1926年の105日間のストライキを経て、1927年に住友電線製造所の取締役だった川上嘉市氏を社長へ迎えたのが唯一の外部招聘である。1992年以降の6代はいずれも自社入社で、直近の梅村充氏・中田卓也氏・山浦敦氏は3人とも入社から32年を経ての就任にあたる。
任期
最長は川上源一氏で、1950年から1977年までと1980年から1983年まで合わせて約29年に及ぶ。音楽教室を組織して世界シェア約30%を築いた在任である。次ぐのは川上嘉市氏の23年半で、直近3代は梅村充氏が6年、中田卓也氏が11年、2024年就任の山浦敦氏が3年目にあたる。
含意
川上家は持株5%未満で経営を握り、リゾートへ累計約350億円を投じる判断に異を唱える者がいなかった。1992年に川上家が退いた後は3年から11年で交代し、2017年に社長の呼称は代表執行役社長へ変わっている。楽器事業本部長から上がった山浦敦氏が、その楽器で127億円を減損する側に回った。
氏名 社長在任期間 退任年は推定 在任年数 推定状況出自役職在任中の決断
山葉寅楠1897〜1916年19年退任創業家日本楽器製造株式会社を設立・初代社長決断1897年浜松尋常小学校のオルガン修理
天野千代丸1917〜1927年10年退任外部出身取締役社長
川上嘉市1927〜1950年23年退任外部出身取締役社長
川上源一1950〜1977年・1980〜1983年通算29年退任実質創業家取締役社長決断1953年川上源一の木材乾燥投資1954年ヤマハ音楽教室の開設1962年レジャー事業への参入
河島博1977〜1980年3年退任生え抜き代表取締役社長
川上浩1983〜1992年9年退任実質創業家代表取締役社長決断1983年マッキンゼー助言の事業部制導入1990年多角化路線の見直し
上島清介1992〜1997年5年退任生え抜き代表取締役社長決断1992年川上家支配の終わり
石村和清1997〜2000年3年退任生え抜き代表取締役社長
伊藤修二2000〜2007年7年退任生え抜き代表取締役社長決断2006年レクリェーション事業の撤退
梅村充2007〜2013年6年退任生え抜き代表取締役社長決断2010年リビング事業の譲渡
中田卓也2013〜2024年11年退任生え抜き代表取締役社長決断2015年半導体のファブレス化2023年Cordoba買収で米ギター集約
山浦敦2024年〜現任3年現任生え抜き代表執行役社長決断2024年国内製造子会社の吸収合併2025年ヤマハ発動機株1,800万株を売却
1897年1900年1910年1920年1930年1940年1950年1960年1970年1980年1990年2000年2010年2020年2026年

山葉寅楠退任

1897年社長就任

日本楽器製造株式会社を設立・初代社長

天野千代丸退任

1917年社長就任

1913年入社取締役社長

川上嘉市退任

1927年社長就任

取締役社長

川上源一退任

1950年社長就任

1937年入社取締役社長

河島博退任

1977年社長就任

1951年入社1966年取締役

川上浩退任

1983年社長就任

1971年入社1977年取締役代表取締役社長

上島清介退任

1992年社長就任

1958年入社1985年取締役

石村和清退任

1997年社長就任

1960年入社1985年取締役

伊藤修二退任

2000年社長就任

1965年入社1984年取締役代表取締役社長

梅村充退任

2007年社長就任

1975年入社2000年取締役2001年執行役員

中田卓也退任

2013年社長就任

1981年入社2006年執行役員2009年取締役代表取締役社長

山浦敦現任

2024年社長就任

1992年入社2021年執行役員

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