ヤマハ日本楽器製造のヤマハ音楽教室開設と楽器需要の創造

時期 1954年
意思決定者(推定) 川上源一 日本楽器製造 社長
論点 楽器の需要創造
概要
1954年、日本楽器製造の川上源一社長が、音楽による幼児への情操教育とわが国音楽文化の向上を掲げてヤマハ音楽教室を開設した経営判断。楽器を製造販売する会社が、演奏人口という潜在需要の形成そのものを自社の事業に組み入れた。前年の3か月におよぶ海外視察で欧州のピアノメーカーの斜陽を見た川上源一社長は、競争相手は楽器メーカーではなく自動車と家庭電気製品であると判断していた。
背景
1953年に川上源一社長が回った欧州では、ピアノメーカーが一様に斜陽化していた。量産体制を備えていたのは米国のメーカーだけだった。一方の日本ではテレビが新製品として現れ、自動車も手に入るようになり、ピアノと自動車が同一の価格帯で競合する消費構造が生まれていた。
内容
幼児を主な対象に、やさしく、楽しく、正しくをモットーとする教室を全国へ開設した。一般や青少年に向けてはギター・ウクレレ・アコーディオン・エレクトーンの講座を加え、運営は財団法人ヤマハ音楽振興会があたった。
含意
1968年時点で全国5,500の会場に講師3,000人、生徒は約25万人を数えた。1965年7月にはヤマハミュージックコースとして米国に開設し、カナダ・メキシコ・西独・タイなど各国あわせて約7,000人が日本と全く同じ教材で学んだ。自ら形成した演奏人口が楽器の潜在需要を顕在化させ、世界最大の総合楽器メーカーの地位を支えた。
筆者の見解

潜在需要を自社で作る、回収の遅い投資

この判断の核心は、教育という非関連分野への多角化ではなく、自社製品の潜在需要そのものを内部に取り込んだ点にある。川上源一社長が競争相手を自動車と家庭電気製品へ置き換えた時点で、競争の焦点は楽器メーカー同士の性能比較から、家庭の可処分所得と可処分時間の獲得へ移った。テレビや自動車は購入した日から効用を得られるが、ピアノは演奏できるようにならなければ効用が生じない。生産能力の増強でも販売網の拡張でもなく、演奏人口を増やす場所を全国へ配置したのは、この一点に絞った投資だったとみることができる。価格でも性能でもなく、購入したあとに効用が生じる状態のほうを先に作りにいった。

もっとも、この投資の回収期間は異例に長い。幼児が自ら楽器を購入する年齢に達するまで10年以上を要し、その間の費用は本体が負担し続ける。運営を財団法人に委ねた形は、採算を問われる位置から教室を外し、長い回収期間に耐えさせるための設計だったのかもしれない。1968年に生徒は約25万人へ達し、1974年下期には月謝収入が単体の売上構成で3%を占めた。ただしこの投資が返したのはリカーリングの月謝収入ではなく、後の世代の楽器需要そのものである。自ら形成した演奏人口と全国の教室網は、後発が短期に模倣できない参入障壁として働いたとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

音楽教室の条件

科目 概要 備考
開設 1954年(昭和29年) 音楽による幼児への情操教育と、わが国音楽文化の向上を掲げた
対象 幼児 一般・青少年にはギター・ウクレレ・アコーディオン・エレクトーンの講座
モットー やさしく、楽しく、正しく
運営主体 財団法人ヤマハ音楽振興会
会場数 全国5,500会場 1968年時点
講師数 3,000人 1968年時点
生徒数 約25万人 1968年時点
海外への開設 1965年7月 ヤマハミュージックコースとして米国に開設したのが最初
海外の展開先 カナダ・メキシコ・西独・タイなど 欧米・東南アジア諸国。幼児期から系統的・組織的に学ぶ仕組みを移した
海外の生徒数 約7,000人 各国あわせて。1968年時点
教材 日本と全く同じ教材 海外の生徒も日本と同じ教材で学ぶ

出所:企業の歴史 明治百年(1968年)「日本楽器製造」

ヤマハ:売上高と経常利益の推移

(億円) 売上高経常利益 備考
1949年4月期 会社年鑑に当該期の計数の記載がない
1950年4月期 18.21.42
1951年4月期 20.51.8
1952年4月期 34.72.78
1953年4月期 40.12.81
1954年4月期 55.53.56 ヤマハ音楽教室を開設
1955年4月期 563.19
1956年3月期 決算期の区切りが動いた期で、会社年鑑に計数の記載がない
1957年4月期 752.51
1958年4月期 87.12.84
1959年4月期 99.23.36
売上高と経常利益率
売上高(億円)経常利益率(%)

出所:会社年鑑(1962年版ほか)・日本楽器製造 単体

ヤマハ:製品別売上構成にあらわれた月謝収入

(%) 楽器ホーム・スポーツ用品月謝収入 備考
1961年上期 品目別の区分で、楽器の計と月謝収入は分けて示されていない
1974年下期 79113 楽器815億円、ホーム・スポーツ用品118億円、月謝収入34.7億円
1984年度 609 楽器はピアノ22・その他楽器22・エレクトーン16の合計。月謝は区分なし

出所:株式会社年鑑 昭和37年版/会社年鑑 1976年版・1986年版(日本楽器製造 単体)

同じ問いに直面した会社

収益モデルを変えて、隣接領域へ出るか1965年ホリプロ放送局系列の音楽出版会社への楽曲著作権譲渡の不採用と、東京音楽出版の設立収益構造と権利の保有
1974年セブン&アイHDセブンイレブンの創業とフランチャイズ方式の採用新規事業と業態の選択
1976年KADOKAWA東宝と提携した"犬神家の一族"製作による映画事業への参入出版事業の外への進出と作品の売り方
1984年三井住友トラストグループ本邦第1号の土地信託の受託と、公有地土地信託への参入金融自由化下の収益源の組み替えと不動産業務への拡張
1958年東宝不動産活用委員会の設置と、劇場を「不動産」として運用する体制への移行興行から不動産へ収益の柱を移す構造転換
出典・参考
  • 日本経済新聞 1978年4月20日
  • 日本経済新聞 1978年4月28日
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本楽器製造」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本楽器製造」
  • ダイヤモンド 1965年5月31日号
  • 週刊東洋経済 1977年6月25日号
  • 会社年鑑(1962年版ほか)
  • 株式会社年鑑 昭和37年版/会社年鑑 1976年版・1986年版

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