この判断の核心は、教育という非関連分野への多角化ではなく、自社製品の潜在需要そのものを内部に取り込んだ点にある。川上源一社長が競争相手を自動車と家庭電気製品へ置き換えた時点で、競争の焦点は楽器メーカー同士の性能比較から、家庭の可処分所得と可処分時間の獲得へ移った。テレビや自動車は購入した日から効用を得られるが、ピアノは演奏できるようにならなければ効用が生じない。生産能力の増強でも販売網の拡張でもなく、演奏人口を増やす場所を全国へ配置したのは、この一点に絞った投資だったと思われる。価格でも性能でもなく、購入したあとに効用が生じる状態のほうを先に作りにいった。
もっとも、この投資の回収期間は異例に長い。幼児が自ら楽器を購入する年齢に達するまで10年以上を要し、その間の費用は本体が負担し続ける。運営を財団法人に委ねた形は、採算を問われる位置から教室を外し、長い回収期間に耐えさせるための設計だったのかもしれない。1968年に生徒は約25万人へ達し、1974年下期には月謝収入が単体の売上構成で3%を占めた。ただしこの投資が返したのはリカーリングの月謝収入ではなく、後の世代の楽器需要そのものである。自ら形成した演奏人口と全国の教室網は、後発が短期に模倣できない参入障壁として働いたのだろう。