この交代が問うたのは業績不振の責任の取り方ではなく、所有と経営が分離したまま創業家が40年余り人事権だけで経営を握ってきた構造の清算であったと思われる。川上源一氏の所有は発行済株式の1%にも満たず、支配権の根拠は資本ではなく、誰を社長に指名し誰を解任するかを決める権限にあった。1980年の河島博氏の解任がその権限を最も鮮明に示し、1983年の川上浩氏への後継指名も、同時に決まった上島清介氏の副社長任命も、同じ権限から出ている。役員が解任動議という取締役会の手続きに依存したのは、持株比率を通じて川上家を退ける経路が誰にもなかったためと思われる。
もっとも、動議は最後まで提出されなかった。人は入れ替わっても、誰を社長に指名するかを決める経路はこの日には移っていない。川上家抜きで立て直すという狙いに照らせば、2月19日の決着は同族支配の清算そのものではなく、その入口にとどまっただろう。後継指名の主導権が取締役会へ移るのは、川上源一氏への辞任説得と6月の役員一新を経てからであった。