木材乾燥技術への投資(1953年・ヤマハの決断)

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論点量産と品質をどう両立させるか
ヤマハ:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
木材乾燥システム開発と量産品質の確立

何をなぜ決めたか:木材乾燥システム開発と量産品質の確立

概要

1953年の欧米視察から戻った日本楽器製造の川上源一社長が、流れ作業による大量生産へ移るには木材の乾燥を完璧にしなければならないと見て、奨学生1人を米国の大学へ留学させて乾燥技術開発の根本的な理論を学ばせ、次いで欧州へ派遣して乾燥機の設計に当たらせた投資。乾燥機の製作だけで5〜6年を費やしている。設備を先に据えるのではなく、理論を学んだ人間を育ててから機械を設計させる順序をとった。

背景

1953年7月に回った欧州では、プレイエルの販売が1930年代の月2,000台から年2,000台へ減少し、家内工業に毛の生えた程度の設備しかなかった。対する米国のウーリッツアー、ガルブランセンは日産3,000台の大量生産システムをとり、近代的な流れ作業と立派な乾燥室を備えていた。

内容

1951年に始めた奨学生制度で採用した人材を米国の大学へ送り、乾燥技術開発のための根本的な理論を勉強させた。次いで欧州へも派遣し、乾燥機の設計に当たらせている。ピアノの生産は下請けからの部品供給も他社のノウハウも使えず、工作機械に至るまで自社で開発するほかなかった。

含意

ピアノがJIS表示の認可を得たのは国内で最初の例で、ハーモニカ・オルガンと並んで認められたのは、1954年8月に天竜楽器製造へ生産を移し合理化を進めた後である。1958年10月には通産大臣賞も受けた。品質管理の優れた工場としての受賞である。生産規模は1968年に月産1万台で世界一となり、1979年の時点では月産2万台に達している。

いつ何が起きたか9件
考察:乾燥室の輸入ではなく、工程能力の内製に重点を置いた5〜6年
考察

考察:乾燥室の輸入ではなく、工程能力の内製に重点を置いた5〜6年

この判断を乾燥機という設備への投資として読むと、規模を見誤る。米国のウーリッツアーやガルブランセンはすでに立派な乾燥室を備えており、機械そのものを輸入で揃える選択肢もあったのではないか。にもかかわらず川上源一社長が選んだのは、奨学生を米国の大学へ送って乾燥技術の理論から学ばせ、その人間に欧州で乾燥機を設計させる経路である。獲得の対象は乾燥機ではなく、乾燥機を設計し直せる工程能力そのものだった。ピアノは下請けの部品供給も他社のノウハウも使えず、工作機械まで自社で開発するほかない製品で、自社で設計した機械のノウハウは市販機を据えた他社へは移らない。垂直統合を工作機械の層まで下ろしたことが、後発の模倣しにくい原価構造を作った。

もっとも、この投資の回収期間は長い。乾燥機の製作だけで5〜6年を費やす間、費用は本体が負担し続けた。1953年4月期に7.0%だった経常利益率は1957年4月期に3.3%へ低下し、その後も3%台で推移している。売上高が拡大しても利益率は上向かず、量産への移行は薄い収益と引き換えに進んだ。この投資が返したのは利益率ではなく、生産量を増やしても品質が崩れない工程能力だったのだろう。1958年10月の通産大臣賞とわが国初のピアノへのJIS表示認可は、その能力が社外から検査できる状態になったことを示す。利益率の低下と引き換えに得た工程能力が、1968年の月産1万台という世界最大の生産規模を支えた。

Yutaka Sugiura, 2026年9月
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図と表

ヤマハ:売上高と経常利益の推移

売上高(億円)経常利益率(%)
  • ピアノ41%
  • オルガン27%
  • 楽器半製品7%
  • オートバイ部品1%
  • その他24%
ヤマハ:売上高と経常利益の推移
(億円)売上高経常利益備考
1952年4月期34.72.784月・10月の半期決算。年鑑の年次値を単体で並べた
1953年4月期40.12.81
1954年4月期55.53.56欧米視察から戻り、木材の乾燥への投資に着手した期
1955年4月期563.19
1957年4月期752.51
1958年4月期87.12.84
1959年4月期99.23.36
1960年4月期145.94.85
1961年4月期1986.28
1962年4月期2679
出所:会社年鑑(1962年版・1965年版)・日本楽器製造 単体
出所:会社年鑑(1962年版・1965年版)・日本楽器製造 単体

投資の条件

投資の条件
科目概要備考
目的木材の乾燥を完璧にする流れ作業による大量生産システムの開発に先立つ工程だった
契機1953年7月からの90日間の視察米国のウーリッツアー・ガルブランセンは日産3,000台の流れ作業と乾燥室を備えていた
派遣先(理論)米国の大学奨学生1人を留学させ、乾燥技術開発のための根本的な理論を勉強させた
派遣先(設計)欧州米国の大学に続けて派遣し、乾燥機の設計に当たらせた
採用の母体奨学生制度1951年から1959年までに約80人。在学中の学費を会社が負担した
乾燥機の製作期間5〜6年工作機械に至るまで自社で開発し、実験から設計・製作までを担った
得た能力木材乾燥システム1979年時点で月産2万台のピアノにほとんどクレームがつかない
品質の認定ピアノへのJIS表示認可わが国で初めての認可。ハーモニカ・オルガンもあわせて認可された
受賞品質管理優秀工場 通産大臣賞1958年10月に受賞
生産規模月産1万台1968年時点。竪型ピアノとあわせた台数で、世界最大の規模
資源の制約無制限の増産は困難楽器の生産は木材資源の面から制約を受ける
出所:川上源一『私の履歴書 狼子虚に吠ゆ』(1979年)/企業の歴史 明治百年(1968年)
出所:川上源一『私の履歴書 狼子虚に吠ゆ』(1979年)/企業の歴史 明治百年(1968年)
参考文献

参考文献

参考
  • 川上源一『私の履歴書 狼子虚に吠ゆ』(日本経済新聞社・1979年)
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本楽器製造」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本楽器製造」
  • 会社年鑑(1962年版・1965年版)
  • 株式会社年鑑 昭和37年版

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