資本金2億5000万円の会社が、14億1000万円を15行から借りて一つの繊維に経営資源を集中した。この一事だけで、大原總一郎社長の判断が当時どれほど常識から外れていたかが分かる。使う原料は石灰石と水と電力だけであり、外貨の乏しい国ではこの組み立てこそ他社がまねできない条件になる、と読んでいたのだろう。だからこそ、海外技術の導入が持ち上げられ国産技術が顧みられない時代にあっても、自前の技術に経営資源を集中することができたと思われる。賛成する者が10人中1人か2人のうちに着手せよという言葉も、勇ましいかけ声というより、多くが賛成するころにはその事業はもう自社だけのものではない、という冷静な計算に近い。
ただし、経営資源を集中した対象そのものは外れている。ビニロンは衣料の主役になれず、学生服とモンペと作業着に押し込められたまま、後発の日本合成繊維も東洋紡績も鐘淵紡績も試験生産から降りていった。倉敷レイヨンが助かったのは、レーヨン部門の利益という別の稼ぎがあり、それを注ぎ込み続けられたからにすぎない。そして実を結んだのは繊維ではなく、繊維のために作った原料のポバールで、それが液晶偏光板の母材として花開くまでには50年を要した。自前の技術を選ぶという判断は、外れ方まで含めて長い時間で採点されるものだといえる。