日本国有鉄道 東海道新幹線の建設 在来線の改良でしのぐ案を退け、広軌の別線に投じる選択
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1959年、日本国有鉄道が東海道本線の輸送の行きづまりに対し、在来線の改良ではなく標準軌の別線を新設する方式を採り、十河信二総裁と島秀雄技師長のもとで東海道新幹線の建設に着手した経営判断。
- 背景
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東海道本線は全営業キロの約3%にすぎないのに旅客輸送量の約25%を担い、1957年には東京・新橋間で片道210本と複線の限界に近づいていた。戦時中の弾丸列車計画で確保した用地の約25%と長大トンネルが沿線に残されていた。
- 内容
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年5.75%の世界銀行借款8000万ドルを得たうえで、建設費は2926億円へ改訂された。
- 含意
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開業後の輸送実績は当初の想定を上回り、新幹線の収支は1966年度に単年度の黒字へ転じた。一方でこの時期の設備投資は全体として外部資金への依存を深め、利子と減価償却費が国鉄財政を圧迫した。
いつ何が起きたか 9件
筆者の見解
五案が出そろった時点で、安い道は残っていなかった
東海道線増強調査会の五つの案が、狭軌の併設から広軌電鉄まで、どれも1000億円を越えると分かった時点で、国鉄に安上がりな道は残っていなかった。同じ桁の資金を投じるなら、狭軌の線路に列車をさらに詰め込む改良ではなく、標準軌の別線を敷いて時速200kmで走らせる。幹線調査会の第1回から、戦前に始まった広軌新幹線を下回る計画では間に合わないという前提が置かれたのは、その比較を先に済ませていたからだと思われる。
建設費は当初の1725億円から2926億円へ1.5倍に膨らみ、三河島事故のあとには他の線区の改良をなおざりにしているという非難を浴びた。ただし新幹線そのものは1966年度に単年度の黒字へ転じ、1970年度には1174億円の利益を出しており、国鉄財政の悪化をこの一線に帰することはできない。利子および債務取扱諸費が5年で4.2倍に膨らんだ事実が示すのは、新幹線を含む設備投資の速度に自己資金が追いつかず、外部資金でその差を埋めたことであった。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
業績の推移
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参考文献
- 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
- 日本国有鉄道監査報告書 昭和34年度