東海旅客鉄道 の歴史

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創業 1964年
母体 日本国有鉄道
創業地 愛知県名古屋市
創業
1987年4月、国鉄の分割民営化により東海旅客鉄道が名古屋市中村区で発足した。母体は1949年に公共企業体として設立された日本国有鉄道で、1964年10月に開業した東海道新幹線と東海地方の在来線網を引き継いだ。東海道新幹線は戦前の弾丸列車構想を国鉄総裁の十河信二氏が広軌でよみがえらせた路線で、国鉄の赤字を支える黒字路線だった。ただし新幹線の施設は自社の資産ではなく、新幹線鉄道保有機構が一括保有してリース料を旅客3社で按分する変則的な形をとり、この所有形態は1991年10月まで続いた。旧国鉄から承継した長期債務3,191億円も背負って出発した。
決断
稼ぎを他所へ散らさず、線路も車両も自前で持つ基準を発足以来変えない。1991年10月に東海道新幹線の鉄道施設を5兆956億円で取得してリースを離れ、償却できる資産と自主権を得た。2001年には長期債務の返済策を国から引き出したうえで完全民営化を受け入れた。同じ年、駅の集客力で非鉄道事業を広げる私鉄型の多角化は名古屋圏の駅では成り立たないと見て後追いしなかった。車両も自主開発し、2008年10月に日本車輌製造を子会社化して製造まで抱えた。自前の線路と車両が1時間に最大12本を走らせる「のぞみ12本ダイヤ」という運行密度を生み、東海道の利益を次の路線の建設費へ充当する構想を可能にした。ただし全額自己負担の原則は2016年の財政投融資3兆円で崩れている。
現況
収益は現在も東海道新幹線という一本の路線に集まっている。2025年3月期の旅客運輸収入1兆4,325億円のうち東海道新幹線が1兆3,312億円を占め、在来線は1,012億円にとどまった。2026年3月期は運輸業のセグメント利益7,674億円だけで連結営業利益8,301億円の9割を超え、流通業・不動産業とその他の合計は1割に達しない。この稼ぎを全額自己負担で建設する中央新幹線へ振り向けている。難航した静岡工区は2026年7月に静岡県知事が着工を容認したが、品川〜名古屋間の開業は最短2036年以降と、当初の2027年から10年近く遠のいた。
競合
JRグループの他社ではなく、東京〜大阪を飛ぶ航空会社と競ってきた。1999年に全日本空輸日本航空を含む大手3社が予約なしで乗れる「シャトル便」構想を検討し始め、JR東海は新幹線の乗客に飛行機の評価を尋ねた。高速化と高頻度化で応じ、東京〜大阪都市圏の鉄道利用比率は2017年度で83.7%に達した。一方、JRグループ内で駅の空間を物販やホテルへ広げたJR東日本に対し、JR東海は駅ビルもホテルも広げず、投資を線路と車両へ戻した。稼ぐ場所は駅の商業空間ではなく、『のぞみ』が停まる6駅を最短2時間22分で結ぶ列車の速度と本数そのものにある。
東海旅客鉄道:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 東海道新幹線という黒字路線と、国鉄が負った赤字 (1949年〜)

弾丸列車の構想から広軌新幹線の開業へ

東海道新幹線の構想は戦前にさかのぼり、1939年11月の鉄道幹線調査会答申[1]は東京〜下関間の弾丸列車を総予算5億5600万円の10カ年計画[2]として掲げ、東京〜大阪間を4時間半で結ぶ目標[3]を置いた。構想を戦後によみがえらせたのは1955年に国鉄総裁へ就いた十河信二氏[4]で、『狭軌では速力はでないし、輸送力が少ないし、安全度が低くて危ない』[引用元]として広軌での建設を主張した。東海道線の沿線には『全国総人口の約4割が住んでおり、最近では全国人口増加の6割がこの地方に集中し、また製造工業の全国総生産額の6割がこの地区において生産されている』[引用元]と説き、輸送需要の裏づけを数字で示した。

  • 読売新聞(1939年11月7日)
    • [1]1939年11月 鉄道幹線調査会答申が東京〜下関間の弾丸列車計画を可決
    • [2]弾丸列車計画 総予算5億5600万円の10カ年計画
    • [3]弾丸列車計画 東京〜大阪間4時間半の運転目標
  • 読売新聞(1964年10月1日)
    • [4]1955年 十河信二 国鉄総裁就任

着工後も世論と政界の批判は続き、1959年2月には『党としては新線の建設には反対しないが、国家的な大事業が、一部政府機関のみの独断で行われる危険』[引用元]との追及が出た。十河信二氏は世界銀行からの借款を取りつけて計画を後戻りできない段階へ運び、交渉にあたっては『絶対必要の仕事ならば、金なんか神さまがどうにかしてくれる』[引用元](蔵前工業会誌 1967年2月号)と語った。建設費は当初予算1972億円から3800億円へ[5]膨らみ、1963年5月には『東海道新幹線の予算が800億円も不足するという。しかも補正予算950億円を組んでのうえである』[引用元]と批判された。十河信二氏は完成を見ないまま退任し、開業式にも招かれなかった[6]

  • 読売新聞 目的を見失うな(1963年5月28日)
    • [5]建設費 当初予算1972億円から3800億円へ膨張
  • 読売新聞(1964年10月1日)
    • [6]十河信二 完成を見ずに退任し開業式に招かれず
  • 読売新聞(1939年11月7日)
    • [1]1939年11月 鉄道幹線調査会答申が東京〜下関間の弾丸列車計画を可決
    • [2]弾丸列車計画 総予算5億5600万円の10カ年計画
    • [3]弾丸列車計画 東京〜大阪間4時間半の運転目標
  • 読売新聞(1964年10月1日)
    • [4]1955年 十河信二 国鉄総裁就任
    • [6]十河信二 完成を見ずに退任し開業式に招かれず
  • 読売新聞 目的を見失うな(1963年5月28日)
    • [5]建設費 当初予算1972億円から3800億円へ膨張

黒字路線が全国の赤字を支えた構造

1949年6月、日本国有鉄道法に基づく公共企業体として国鉄が設立[7]された。その15年後の1964年10月、東海道新幹線が東京〜新大阪間で営業を始めた[8]。開業日の10月1日午前6時、東京・新大阪の両駅から超特急『ひかり1号』『ひかり2号』が発車[9]し、広軌515キロの区間が開通[10]した。着工から5年5カ月、1939年の弾丸列車構想から数えて26年目[11]の開業だった。開発では、かつて航空機や精密兵器を手がけた技術者が大きな役割を果たしている[12]。のちにJR東海の社長となる金子慎氏は、この路線の当時の位置づけを{q1}(週刊東洋経済 2018/12/29)と述べた。

  • 東海旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1949年6月 日本国有鉄道法に基づく公共企業体として国鉄設立
    • [8]1964年10月 東海道新幹線 東京〜新大阪間の営業開始
  • 読売新聞(1964年10月1日)
    • [9]1964年10月1日午前6時 ひかり1号・2号が東京・新大阪の両駅から発車
    • [10]東海道新幹線 広軌515キロ
    • [11]着工から5年5カ月・弾丸列車構想から26年目の開業
  • 技術開発の昭和史(森谷正規、東洋経済新報社、1986年)2章 大型革新技術の導入
    • [12]戦時に航空機・精密兵器を手がけた技術者が東海道新幹線の開発で大きな役割を果たした

1980年代に入ると国鉄の累積債務の処理が政治日程に上り、1986年12月に日本国有鉄道改革法とJR会社法を含む国鉄改革関連8法が公布[13]された。翌1987年4月に日本国有鉄道法が廃止され、旅客6社と日本貨物鉄道の7社が設立[14]された。東海旅客鉄道は東海道新幹線と東海地方の在来線で鉄道事業を営む会社として発足[15]し、国鉄の黒字を生んできた路線を中核に据えた。ただし新幹線の施設は新会社の所有ではなく、新幹線鉄道保有機構が一括して保有したうえで、旅客3社が{q1}の比率で払う形をとった。

  • 東海旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [13]1986年12月 日本国有鉄道改革法・JR会社法等の国鉄改革関連8法公布
    • [14]1987年4月 日本国有鉄道法廃止・旅客6社と日本貨物鉄道の設立
  • 東海旅客鉄道 有価証券報告書【事業の内容】
    • [15]東海旅客鉄道は東海道新幹線及び東海地方の在来線における鉄道事業を営む
  • 東海旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1949年6月 日本国有鉄道法に基づく公共企業体として国鉄設立
    • [8]1964年10月 東海道新幹線 東京〜新大阪間の営業開始
    • [13]1986年12月 日本国有鉄道改革法・JR会社法等の国鉄改革関連8法公布
    • [14]1987年4月 日本国有鉄道法廃止・旅客6社と日本貨物鉄道の設立
  • 読売新聞(1964年10月1日)
    • [9]1964年10月1日午前6時 ひかり1号・2号が東京・新大阪の両駅から発車
    • [10]東海道新幹線 広軌515キロ
    • [11]着工から5年5カ月・弾丸列車構想から26年目の開業
  • 技術開発の昭和史(森谷正規、東洋経済新報社、1986年)2章 大型革新技術の導入
    • [12]戦時に航空機・精密兵器を手がけた技術者が東海道新幹線の開発で大きな役割を果たした
  • 東海旅客鉄道 有価証券報告書【事業の内容】
    • [15]東海旅客鉄道は東海道新幹線及び東海地方の在来線における鉄道事業を営む

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東海旅客鉄道の沿革1949〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1949〜1986年東海道新幹線という黒字路線と、国鉄が負った赤字日本国有鉄道が発足
東海道新幹線が東京〜新大阪間で開業★★
国鉄改革関連8法が公布★★
1987〜2001年単一路線と過大債務からの出発、そして経営自主権の確立須田寛国鉄の分割民営化により発足★★
須田寛東海道新幹線に新富士・掛川・三河安城の3駅が開業
須田寛ジェイアール東海バスを設立
須田寛高山本線特急「ひだ」に新型気動車を導入
須田寛運輸大臣から中央新幹線の調査指示を受領★★
須田寛山梨リニア実験線の建設計画が承認★★
須田寛新幹線施設の自社保有化 ── リースからの離脱と経営自主権の確立

1991年10月、東海旅客鉄道(JR東海)が、新幹線鉄道保有機構から東海道新幹線の鉄道施設を譲り受け、発足以来のリース方式を離れて自社保有へ移行した経営判断。葛西敬之副社長を中心にリース料の見直しと施設の買い取りを迫り、JRグループ内で『トラブルメーカー』と評されながらこれを実現した。

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★★★
須田寛東海道新幹線「のぞみ」を300系車両で運転開始★★
須田寛ジェイアール東海ホテルズを設立
須田寛ジェイアール東海百貨店を設立
須田寛ジェイアールセントラルビルを設立
葛西敬之山梨リニア実験線で走行試験を開始★★
葛西敬之名古屋・東京・大阪の各証券取引所市場第一部に上場
葛西敬之東海道新幹線「のぞみ」に700系車両を導入
葛西敬之JRセントラルタワーズが竣工
葛西敬之ジェイアール名古屋タカシマヤが開業
葛西敬之名古屋マリオットアソシアホテルが開業
葛西敬之国土交通大臣が完全民営化の最終案を提示★★
葛西敬之私鉄型の多角化を後追いしない選択 ── 名古屋圏の集客力という制約

2001年、完全民営化を前にJR東日本が駅の集客力を活かした非鉄道事業の強化を打ち出すなか、東海旅客鉄道(JR東海)が同じ道を追わず、鉄道事業そのものへ資源を集中する方針をとった経営判断。

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★★★
葛西敬之完全民営化をめぐる条件闘争 ── 長期債務の返済策を引き出したうえでの規制離脱

2001年2月、扇千景国土交通大臣がJR本州3社へ完全民営化の最終案を示した際、東海旅客鉄道(JR東海)が規制からの解放より旧国鉄から継承した長期債務の返済策を優先し、国から返済促進の手立てを検討するとの言質を引き出したうえで受け入れた経営判断。同年12月にJR会社法の適用対象から外れ、2006年4月に政府保有株の売却が完了して完全民営化に至った。

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★★★
2002〜2013年完全民営化と、リニアを自前で建設するという決断葛西敬之研究施設を開設
葛西敬之東海道新幹線品川駅が開業★★
葛西敬之山梨リニア実験線で時速581kmを記録
松本正之「のぞみ」を1時間8本に増発
松本正之鉄道・運輸機構が保有株60万株を売却
松本正之東海道新幹線に新ATCシステムを導入
松本正之完全民営化を達成★★
松本正之東海道新幹線「のぞみ」にN700系車両を導入★★
松本正之日本車輌製造を子会社化★★
山田佳臣中央新幹線の開業目標を2027年へ繰り下げ
山田佳臣中央新幹線の営業主体・建設主体に指名★★
山田佳臣東海道新幹線「のぞみ」にN700A車両を導入
山田佳臣山梨リニア実験線の42.8kmへの延伸が完了
2014〜2026年5兆円の自己負担着工と、コロナ禍を挟んで遠のいた開業柘植康英柘植康英氏が社長に就任
柘植康英リニア中央新幹線の全額自己負担による建設

2014年10月、JR東海(東海旅客鉄道)が品川〜名古屋間の工事実施計画認可を受け、リニア中央新幹線を全額自己負担で建設する巨大事業に本格着工した経営判断。1990年代に対JR東日本の攻防を制して事業主体を確保し、2011年の国土交通大臣による指名を経て着工へ至った。当時の社長は柘植康英氏で、推進の中心には葛西敬之氏がいた。

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★★★
柘植康英東海道新幹線の最高速度を285km/hに引き上げ
柘植康英財政投融資を活用した長期借入を申請★★
柘植康英JRゲートタワーが竣工
柘植康英中央新幹線品川・名古屋間の工事実施計画(その2)が認可
金子慎連結売上高1兆8781億円・純利益4387億円を計上
金子慎東海道新幹線への経営資源集中 ── 「のぞみ」「N700系」の自主開発と高速化・高頻度化

2020年3月14日、JR東海が東海道新幹線に『のぞみ12本ダイヤ』を導入し、1時間あたり最大12本の高頻度運転を実現した経営判断。多角化に走らず、収益の約9割を単一路線に置く構造のもとで、『のぞみ』の自主開発と高速化・高頻度化によって東海道新幹線一本の競争力を極限まで高めた、1992年以来数十年にわたる選択と集中の到達点である。

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★★★
金子慎東海道新幹線「のぞみ」にN700S車両を導入
金子慎親会社株主に帰属する当期純損失2015億円を計上★★
金子慎親会社株主に帰属する当期純損失519億円を計上
金子慎プライム市場に移行
金子慎高山本線特急「ひだ」にHC85系車両を導入
丹羽俊介丹羽俊介氏が社長に就任
丹羽俊介紀勢本線特急「南紀」にHC85系車両を導入
丹羽俊介中央新幹線品川・名古屋間の工事実施計画(その3)が認可
丹羽俊介中央新幹線の2027年開業を断念★★★
丹羽俊介1株を5株に分割
丹羽俊介自己株式の取得を決議
丹羽俊介静岡県と水利用の補償に関する確認書を締結★★
丹羽俊介連結売上高2兆62億円・純利益5528億円を計上
丹羽俊介静岡県知事が静岡工区の着工を容認★★
出典・参考
  • 東海旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
  • 東海旅客鉄道 有価証券報告書【事業の内容】
  • 技術開発の昭和史(森谷正規、東洋経済新報社、1986年)2章 大型革新技術の導入
  • 読売新聞(1939年11月7日)
  • 読売新聞 目的を見失うな(1963年5月28日)
  • 読売新聞(1964年10月1日)

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