リニア中央新幹線を全額自己負担で建設する決断

国費に頼らず数兆円の次世代路線を自前で背負うか——東海道の利益を賭けた四半世紀の資本配分

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時期 2014年10月
意思決定者 柘植康英・葛西敬之 東海旅客鉄道 社長・東海旅客鉄道 名誉会長
論点 中央新幹線の事業主体確保と全額自己負担の資本配分
概要
2014年10月、JR東海(東海旅客鉄道)が品川〜名古屋間の工事実施計画認可を受け、リニア中央新幹線を全額自己負担で建設する巨大事業に本格着工した経営判断。1990年代に対JR東日本の攻防を制して事業主体を確保し、2011年の国土交通大臣による指名を経て着工へ至った。当時の社長は柘植康英氏で、推進の中心には葛西敬之氏がいた。
背景
JR東海は運賃収入の約9割を東海道新幹線に依存し、会社の命運はこの大動脈に握られていた。輸送力が限界に近づくなか、次世代の中央新幹線が他社主導で建設されれば旅客が流れて東海道が赤字化しかねず、代替路線を自社で押さえておく必要があった。
内容
国費に頼らず建設費を全額自己負担で賄う、鉄道史上前例のない事業として動き出した。1990年には山梨実験線の事業費約2500億円のうち1960億円を負担して事業主体を確保し、2011年の指名を経て、2014年に総事業費5兆円規模・品川〜名古屋間約5.5兆円の巨大投資へ着工した。
含意
東海道新幹線の利益を数十年かけて次世代路線の建設費へ振り向ける構造が、以後の経営を規定した。2016年には全額自己負担を掲げながら財政投融資3兆円を導入し、2024年には静岡工区の難航で2027年開業を断念、2026年に静岡がようやく着工へ動いたものの、開業は最短2036年以降の見込みにとどまる。
筆者の見解

自前で国家インフラを背負うということ

この判断の核心は、国家的な高速鉄道を一民間企業が全額自己負担で建設するという、世界にも例の乏しい選択にあった。動機は理念よりも防衛に近い。東海道新幹線という一本の大動脈へ運賃収入の九割を委ねる会社にとって、次世代路線の主導権を他社や国に渡すことは、稼ぎ頭の足元を崩されかねない危うさをはらんでいた。実験線の負担を買って出てまで事業主体を確保し、着工へと押し進めた——一本の路線に絞って得た利益を、その集中がもたらす脆さを補うための巨大投資へ振り向ける構図であったとみることができる。

もっとも、全額自己負担という原則は、そのままの形で貫かれたわけではなかった。前倒しを急いで政府系の財政投融資を招き入れ、地元との水問題では長い停滞に陥った。国に頼らないと掲げた事業が、資金では政府系融資に、工程では地方自治体の同意に、それぞれ依存せざるを得なかった点に、自前主義の限界がうかがえる。静岡工区がようやく動き出した本稿の時点でも、開業は着工時の目標から十年近く遠のいたままである。東海道の利益を次世代へ渡すというこの長い賭けが報われるのかは、なお先の世代に委ねられているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

運賃の9割を東海道新幹線に委ねる構造

JR東海の収益は、東海道新幹線という一本の路線へ深く偏っていた。民営化直後の時点で運賃収入のおよそ9割を東海道新幹線が占め、会社の命運はこの大動脈がどうなるかで決まる構造にあった。もし東京〜大阪を結ぶ次世代の路線が他社の主導で建設されれば、速達性で優る新線に旅客が流れ、東海道新幹線が赤字へ転じかねない。中央新幹線を自社で押さえておくことは、単なる新規事業ではなく、既存の収益基盤を守るための防衛でもあった[1]

背景には、東海道新幹線そのものの輸送力が限界に近づいていた事情があった。4〜6分間隔という過密なダイヤで走らせてなお需要を捌ききれず、増発の余地は乏しかった。三大都市圏を結ぶ大動脈を長く維持するには、いずれ別の高速路線で輸送力を補う必要がある——その代替路線を他社ではなく自社が握るという発想が、早くから経営の底流にあった。1990年当時、代表取締役副社長であった葛西敬之氏が、この構図を主導する立場にいた[2]

事業主体を賭けた対JR東日本の攻防

次世代路線をどの会社が担うかは、JRグループ内の駆け引きの的になった。超電導リニアの実用化に積極的なJR東海に対し、JR東日本は「もう少し時間をかけた方がいい」と慎重で、中央リニア新幹線の経営主体についても共同経営を主張していた。両社の対立は、山梨県に新たな実験線を設ける段になって、事業主体をどちらが取るかという一点へ集約されていく。実験線の事業費をどれだけ背負うかが、そのまま主導権の重みとして問われた[3]

決着をつけたのは、負担の大きさであった。山梨実験線の事業費は約2500億円と見込まれ、このうちJR東海が1960億円を負担したことで、中央リニアの事業主体はJR東海に決まった。国家的なプロジェクトであり国が相当部分を負担すべきだと唱えたJR東日本は、押し切られる格好となった。ここで「自前で背負う会社が主体を握る」という原則が定まり、後の全額自己負担へと連なる道筋が、着工の四半世紀も前に引かれていた[4]

決断

全額自己負担という前例なき選択

2011年5月、国土交通大臣はJR東海を中央新幹線(品川〜大阪間)の営業主体および建設主体に指名し、建設を指示した。国が旗を振り予算を組む従来の新幹線整備とは異なり、リニア中央新幹線はJR東海が建設費を全額自己負担で賄う、鉄道史上前例のない事業として動き出す。1990年に事業主体を確保した会社が、二十年余りを経て、正式にこの巨大投資の担い手として名指しされた場面であった[5]

全額自己負担という原則の重みは、事業規模と引き比べれば際立つ。着工前の見積もりで、品川〜名古屋間の建設費は約5.5兆円に上った。国からの補助金に頼らず、これほどの巨費を単独の鉄道会社が背負う前例は世界にも乏しい。それを可能にしたのは、東海道新幹線という代替のきかない大動脈が生む安定した収益であった。稼ぎ頭の利益を数十年かけて次世代路線へ振り向ける——全額自己負担とは、そうした長期の資本配分の別名でもあった[6]

基本計画から41年を経た着工

2014年10月17日、国土交通大臣が品川〜名古屋間の工事実施計画(その1)を認可し、リニア中央新幹線は本格着工へ移った。当時の報道は、総事業費5兆円規模のプロジェクトが国の基本決定から41年を経て動き出し、2027年の開業を目指す位置づけにあると伝えた。中央新幹線が基本計画へ組み込まれてから、実に四半世紀を超える歳月が流れていた。長く構想にとどまっていた新方式の路線が、ようやく土を動かす段階に入った[7]

この着工を経営の第一線で受け止めたのは、新旧の顔ぶれであった。同年4月に社長へ就いた柘植康英氏のもとで工事は動き出し、1990年代からリニア推進の中心にあった葛西敬之氏は、同じ4月に代表取締役名誉会長へ退いていた。事業主体の確保から着工までを貫いたのは、東海道の利益で次世代路線を自前で建てるという一貫した意思であった。国費を当てにせず数兆円を投じる判断は、この時点で後戻りの難しい段階に入っていた[8]

結果

財政投融資3兆円 ── 全額自己負担原則の修正

全額自己負担を掲げた事業は、着工から間もなく資金調達の形を変えた。当初の計画では、名古屋開業でいったん経営体力を回復してから大阪へ延ばす二段構えで、大阪開業は2045年ごろまで遅れる見通しにあった。2016年11月、政府の経済対策を受け、JR東海は名古屋〜大阪間の前倒し開業を目的に、鉄道運輸機構を通じた総額3兆円規模の財政投融資を活用する長期借入を申請した。国費に頼らないとしてきた事業に、超低利の政府系資金が入った[9]

財政投融資の活用で、財務の姿は一変した。有利子負債は2016年3月期の1兆3383億円から、2018年3月期には4兆3551億円へと膨らんだ。2006年に完全民営化を果たしてからわずか10年で、再び長期の政府系融資に依存する構造へ引き戻された。全額自己負担という原則は、借入の主体が自社であり返済も自社が担う点では保たれていたものの、資金の出どころにおいては原則の一部を緩めたとみられる[10]

2027年開業の断念と、静岡の急転

自前で背負った事業は、地元との調整という別の壁に突き当たった。南アルプストンネルの工事が大井川の流量を減らすとの懸念から、静岡県が着工を認めず、品川〜名古屋間で静岡工区だけが手つかずのまま残った。2024年3月、丹羽俊介社長は2027年の開業を断念すると表明し、27年の開業は実現できる状況にはなく、新たな開業時期を見通すこともできないと述べた。着工から開業まで約10年を要するため、開業は早くても2034年以降へずれ込む計算となった[11]

膠着が動いたのは、着工から十年余りを経た本稿の時点であった。2026年1月、JR東海と静岡県は、工事後に河川の流量が減って水利用に影響が出た場合は同社が補償し、請求期限や対象期間に制限を設けず、被害と工事の因果関係の立証を県に求めないとする確認書を締結した。これを受けて2026年7月、静岡県の鈴木康友知事が着工容認を表明し、唯一残っていた静岡工区の政治的な障壁が外れた。もっとも品川〜名古屋間の開業は最短で2036年以降と見込まれ、着工時に掲げた2027年から10年近く遠のいている[12][13]

出典・参考