1987年4月、東日本旅客鉄道が設立され、日本国有鉄道の事業を引き継いで[1]旅客鉄道事業と旅客自動車運送事業を開始した。同時に旅客鉄道6社と日本貨物鉄道が発足し、国鉄そのものは日本国有鉄道清算事業団へ移行して[2]債務の処理にあたった。末期の国鉄は毎年1兆円以上の赤字を出し、累積債務は約37兆円に達していた[3]。中曽根康弘内閣のもとで進められた分割民営化は、地域ごとに経営を自立させて赤字の循環を断つ設計[4]であった。同年7月には東日本キヨスクの株式を取得して子会社とし[5]、駅で物を売る機能を早い段階で手元へ引き寄せている。民営化がもたらした意識の変化を、松田昌士氏はのちに『『国鉄のころの一種の破産状態に2度と陥りたくない』という思いが社員に定着し、それが仕事に前向きに取り組む大きな力になった』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)と説明している。
発足時の経営陣が最初に直面したのは人の過剰であった。使える資産にも制約があった。同社長は国鉄清算事業団との関係で自社所有の土地でも簡単には手を付けられず、自由にできるのは主要駅の上空や高架下に限られると語っており、鉄道用地の大半は債務の担保として清算事業団の管理下にあった。
国鉄末期の職場は、経営難よりも人心の荒廃が深かった。のちに社長となる松田昌士氏は当時を振り返り『なにしろ当時は労使が紛糾し社内は陰気だったし、社員は『国賊』と呼ばれて、会社に行きたくないなという感じでしたからね』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)と語っている。住田正二氏も、改革が成立した条件を人の意識に見ていた。『当時国鉄には30万人近くの職員がいて、10万人近くの人がクビになるという状況でした』[引用元]『『新しく民営化した会社に行けるかどうかは分からない』『民営化されると、今度はつぶれるかもしれない』という危機感があったからこそうまくいったのです』[引用元](日経ビジネス 2001/07/23)。
発足から十年間、同社は多角化へ向かわなかった。松田昌士氏は『この10年間は本業の鉄道事業の立て直しに集中してきました。俗にいう関連事業にはあまり力を入れなかったんです』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)と述べている。その代わりに手を付けたのが調達と規格である。国鉄規格(JRS)を廃止して汎用品で足りるものは汎用品へ[6]切り替え、車両発注で慣行となっていたメーカー別のシェア割りもやめた[7]。目標の明確さも変化のひとつであった。
規格と商慣行を外した効果は原価に表れた。松田昌士氏によれば『モノを買ったりつくったりするコストは国鉄時代に比べ平均2割ぐらい安くなっています』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)。海外調達も年2億円程度から自社だけで80億円へ広がり[8]、新幹線の扉はフランス製、長野新幹線の推進装置はドイツ製[9]、英国製のディーゼルエンジンも導入している。予算の扱いも変わった。『国鉄時代には、何かをつくるとき『いくらかかってもつくるんだ』という発想でしたから常に、初めの計画の2倍ぐらいに経費が膨らんでいた』[引用元]のが、民間会社となって『この予算でやるよ、それでできないなら、やめるよ』[引用元]と言えるようになった(日経ビジネス 1998/04/27)。
鉄道の外側にも布石は打たれていた。1988年4月、関連事業の推進体制を強化するため開発事業本部を設置し[10]、同月にバス事業部門を分離してジェイアールバス東北とジェイアールバス関東を設立した[11]。1989年4月にはジェイアール東日本高架開発(現ジェイアール東日本都市開発)を[12]、1990年3月に日本食堂の株式を取得し、同年4月に東京圏駅ビル開発(現アトレ)を設立している[13]。1988年5月にはジェイアール東日本企画を設立し[14]、広告の扱いも自社の系列に置いている。
1991年6月、東北・上越新幹線の東京〜上野間3.6キロが開業し[15]、新幹線が都心へ乗り入れた。同年10月には東北・上越新幹線の鉄道施設を新幹線鉄道保有機構から譲り受けている[16]。発足時はリース方式で借り受けていた基幹資産を自社の所有へ移している。1992年7月には東北新幹線から奥羽線へ直通する山形新幹線の運転を始め[17]、在来線の軌間を広げて新幹線車両を直通させる方式を実用化している。鉄道の周辺機能も順に会社の形へ移された。1989年11月に情報システム部門を分離してジェイアール東日本情報システムを設立し[18]、1990年8月にジェイアール東日本ビルテック、1992年4月にジェイアール東日本メカトロニクスを設けている[19]。
1993年10月、日本国有鉄道清算事業団が保有する同社株式250万株が売却され[20]、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部と新潟証券取引所へ株式を上場した[21]。売却代金は国鉄の債務返済に充てられた。1993年3月期の連結営業収益は2兆3,388億円、経常利益は1,106億円であった[22]。前期にあたる1992年3月期の連結営業収益は2兆2,223億円、経常利益は1,168億円[23]であり、上場時点で2兆円台の売上と1,000億円台の経常利益を安定して出す事業体になっていた。
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|---|---|---|---|---|
| 1987〜1993年国鉄の清算として生まれ、鉄道の立て直しに集中した最初の七年 | 住田正二 | 国鉄分割民営化によりJR東日本を設立 | ★ | |
| 住田正二 | 東日本キヨスクの株式取得・子会社化 | ★ | ||
| 住田正二 | ジェイアール東日本高架開発を設立 | ★ | ||
| 住田正二 | 駅ナカ・生活サービス事業による鉄道外収益の柱化 1990年に東京圏駅ビル開発(現アトレ)を設立して以降、JR東日本が駅という空間資産を物販・飲食・不動産へ収益化し、駅ナカ・生活サービス事業を鉄道外収益の柱に育てた面的な多角化。住田正二社長が掲げた駅空間の収益化構想から始まり、松田昌士社長による主要駅構内の店舗化、2005年のエキュート開業を経て、十数年かけて固まった多角化戦略である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 住田正二 | 東北・上越新幹線の東京駅乗り入れ開始 | ★ | ||
| 住田正二 | 新幹線鉄道施設を新幹線鉄道保有機構から譲受け | ★★ | ||
| 住田正二 | 山形新幹線の運転開始 | ★ | ||
| 松田昌士 | 東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部に株式上場 | ★ | ||
| 1994〜2001年駅を資産と見立てた多角化と、三段に分けた株式の売り出し | 松田昌士 | 秋田新幹線の運転開始 | ★ | |
| 松田昌士 | 北陸新幹線(高崎〜長野間)開業 | ★ | ||
| 松田昌士 | 山形新幹線を新庄駅まで延伸 | ★ | ||
| 大塚陸毅 | Suicaの全面導入と、交通ICから電子マネー・生活決済への拡張 2001年11月18日、東日本旅客鉄道が首都圏424駅で非接触ICカード乗車券『Suica』のサービスを開始した経営判断。ソニーのFeliCaを用い、乗車券・定期券の代替として始めたこのカードを、2004年の電子マネー、2006年のモバイルSuica、2013年の交通系ICカード全国相互利用へと用途を広げ、改札の外側にある決済と生活サービスの基盤へ育てた。導入時の社長は大塚陸毅であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 大塚陸毅 | JR会社法の適用対象から除外 | ★★ | ||
| 2002〜2019年完全民営化と、鉄道に次ぐ柱としての生活サービス | 大塚陸毅 | 東京モノレールを子会社化 | ★★ | |
| 大塚陸毅 | 三段に分けた株式売却と、JR会社法からの離脱 1993年10月の250万株、1999年8月の100万株、2002年6月の50万株という三段の売却で政府側の保有株をすべて手放し、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)の適用対象から外れた判断。国鉄分割民営化から15年を要している。株式の売却は国鉄債務の返済手段であると同時に、同社にとっては大臣認可の要らない経営へ移る手続きでもあった。 詳細を読む | ★★ | ||
| 大塚陸毅 | 東北新幹線(盛岡〜八戸間)開業 | ★ | ||
| 清野智 | 清野智が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 清野智 | 東北新幹線(八戸〜新青森間)開業 | ★ | ||
| 冨田哲郎 | 冨田哲郎が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 冨田哲郎 | 東急車輛の鉄道車両製造事業を取得 | ★★ | ||
| 冨田哲郎 | 北陸新幹線(長野〜上越妙高間)開業 | ★ | ||
| 深澤祐二 | 深澤祐二が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 2020〜2026年感染症が断ち切った鉄道収入と、二軸への組み替え | 深澤祐二 | コロナ禍で運輸事業が大幅減収 | ★ | |
| 深澤祐二 | 初の純損失5779億円を計上 | ★★ | ||
| 深澤祐二 | 駅ナカ事業の4社統合 | ★ | ||
| 深澤祐二 | 二期で六千七百億円を失った後の、二軸経営への組み替え 2021年3月期に営業損失5,204億円・当期純損失5,779億円、翌2022年3月期にも949億円の純損失を計上し、二期合計で6,728億円を失ったことを受けた事業構造の組み替え。需要が感染症の前へ戻らないという前提に立ち、Suicaと生活サービスを鉄道と並ぶ軸として扱う組織へ再編した。 詳細を読む | ★ | ||
| 喜㔟陽一 | 喜勢陽一が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 喜㔟陽一 | 高輪ゲートウェイシティ──品川車両基地跡地の再開発と不動産第3の柱 総事業費約6,000億円を投じ、山手線の新駅・高輪ゲートウェイ駅(2020年3月開業)を核に、新幹線・駅ナカに続く第3の収益軸を都心の不動産・まちづくりで築く戦略である。構想は冨田哲郎社長の時代に動き出し、深澤祐二社長のもとで都心最大級の開発として動いた。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(東日本旅客鉄道)