東日本旅客鉄道 の歴史

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創業 1987年
母体 日本国有鉄道
創業地 東京都
創業
1987年4月、東日本旅客鉄道が日本国有鉄道の事業を引き継いで営業を始めた。分割民営化の直前、国鉄は毎年1兆円以上の赤字を出し、累積債務は約37兆円に達していた。本社を東京都千代田区に置いた新会社が受け取ったのは、首都圏から東北・信越に及ぶ在来線網と東北・上越新幹線である。ただし新幹線の施設は新幹線鉄道保有機構から借りる形で、用地も日本国有鉄道清算事業団との関係で自由には動かせず、住田正二初代社長は自由にできるのは主要駅の上空と高架下だけだと語った。同年7月には東日本キヨスクの株式を取得して子会社とし、駅で物を売る機能を先に手元へ引き寄せている。
決断
鉄道の外で稼ぐ手段を、駅という空間から順に引き出してきた。1990年4月に東京圏駅ビル開発(現アトレ)を設立し、1998年には乗降客3万人以上の217駅の未利用スペースを店舗化する計画を掲げて、駅ナカと生活サービスを鉄道外の収益源へ育てた。同じ時期に政府側の保有株の売却が進み、1993年10月の250万株から1999年8月・2002年6月と三段に分けて政府側の保有株を手放し、大臣の認可を言い訳にできない経営へ移った。2001年11月には首都圏424駅でSuicaを始め、2004年の電子マネー、2006年のモバイルSuicaへと用途を広げた。駅を貸す事業として始めた多角化は改札の外の決済まで届き、鉄道の乗客数と切り離しても伸びる収益を作った。
現況
利益では鉄道と並んだが、張りついた資産の量が違う。2026年3月期の連結営業収益は3兆847億円、営業利益は4,143億円で、セグメント利益は運輸事業1,944億円に対し、不動産・ホテル事業1,283億円と流通・サービス事業681億円の合計が1,964億円とほぼ並ぶ。ただし運輸事業には資産7兆5,221億円と従業員5万3,165人が残り、同じ利益を生むのに要する投下資本の重さが違う。二期で6,728億円を失ったコロナ禍のあと、Suicaと生活サービスを鉄道と並ぶ軸に置いた組織の再編が損益の側では形になったが、資産と人の配置は追いついていない。2025年3月にまちびらきした品川車両基地跡地の高輪ゲートウェイシティも、総事業費約6,000億円をなお回収しておらず、第3の柱と呼べるかは経営課題でもある。
競合
郊外に土地を持たない鉄道会社が選べたのは、駅の内側だけだった。私鉄は沿線の土地を仕込んで住宅と乗客を同時に作ってきた。1922年に鉄道と沿線開発を一体で回す仕組みを作った東急がその原型である。国鉄から線路と駅だけを受け継いだJR東日本に未開発の沿線はなく、1日数百万人が通る高架下と改札内を売場へ変えた。同じ国鉄から分かれた各社の答えも割れており、JR東海は名古屋圏の集客力では成り立たないと見て後追いしなかったし、JR九州は経営安定基金の運用益が細るなかで駅ビルと不動産に活路を求めた。私鉄が駅ナカへ寄らないのは乗降規模が足りないからではなく、郊外の土地という別の稼ぎ方を持っているからである。

設立ストーリー 国鉄の清算として生まれ、鉄道の立て直しに集中した最初の七年 (1987年〜)

37兆円の負債と1万人の余剰人員を抱えた発足

1987年4月、東日本旅客鉄道が設立され、日本国有鉄道の事業を引き継いで[1]旅客鉄道事業と旅客自動車運送事業を開始した。同時に旅客鉄道6社と日本貨物鉄道が発足し、国鉄そのものは日本国有鉄道清算事業団へ移行して[2]債務の処理にあたった。末期の国鉄は毎年1兆円以上の赤字を出し、累積債務は約37兆円に達していた[3]。中曽根康弘内閣のもとで進められた分割民営化は、地域ごとに経営を自立させて赤字の循環を断つ設計[4]であった。同年7月には東日本キヨスクの株式を取得して子会社とし[5]、駅で物を売る機能を早い段階で手元へ引き寄せている。民営化がもたらした意識の変化を、松田昌士氏はのちに『『国鉄のころの一種の破産状態に2度と陥りたくない』という思いが社員に定着し、それが仕事に前向きに取り組む大きな力になった』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)と説明している。

  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1987年 東日本旅客鉄道設立・国鉄の事業を承継
    • [2]旅客鉄道6社と日本貨物鉄道の発足、国鉄は日本国有鉄道清算事業団へ移行
    • [3]国鉄の累積債務 約37兆円
    • [5]1987年 東日本キヨスクの株式取得・子会社化
  • 国鉄改革関連法(1986年)
    • [4]中曽根康弘内閣のもとで国鉄分割民営化を実施

発足時の経営陣が最初に直面したのは人の過剰であった。使える資産にも制約があった。同社長は国鉄清算事業団との関係で自社所有の土地でも簡単には手を付けられず、自由にできるのは主要駅の上空や高架下に限られると語っており、鉄道用地の大半は債務の担保として清算事業団の管理下にあった。

国鉄末期の職場は、経営難よりも人心の荒廃が深かった。のちに社長となる松田昌士氏は当時を振り返り『なにしろ当時は労使が紛糾し社内は陰気だったし、社員は『国賊』と呼ばれて、会社に行きたくないなという感じでしたからね』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)と語っている。住田正二氏も、改革が成立した条件を人の意識に見ていた。『当時国鉄には30万人近くの職員がいて、10万人近くの人がクビになるという状況でした』[引用元]『『新しく民営化した会社に行けるかどうかは分からない』『民営化されると、今度はつぶれるかもしれない』という危機感があったからこそうまくいったのです』[引用元](日経ビジネス 2001/07/23)。

  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1987年 東日本旅客鉄道設立・国鉄の事業を承継
    • [2]旅客鉄道6社と日本貨物鉄道の発足、国鉄は日本国有鉄道清算事業団へ移行
    • [3]国鉄の累積債務 約37兆円
    • [5]1987年 東日本キヨスクの株式取得・子会社化
  • 国鉄改革関連法(1986年)
    • [4]中曽根康弘内閣のもとで国鉄分割民営化を実施

関連事業に手を出さず、鉄道の原価を下げた十年

発足から十年間、同社は多角化へ向かわなかった。松田昌士氏は『この10年間は本業の鉄道事業の立て直しに集中してきました。俗にいう関連事業にはあまり力を入れなかったんです』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)と述べている。その代わりに手を付けたのが調達と規格である。国鉄規格(JRS)を廃止して汎用品で足りるものは汎用品へ[6]切り替え、車両発注で慣行となっていたメーカー別のシェア割りもやめた[7]。目標の明確さも変化のひとつであった。

  • 日経ビジネス 1998年4月27日号
    • [6]国鉄規格(JRS)の廃止と汎用品への切り替え
    • [7]車両発注のメーカー別シェア割りの廃止

規格と商慣行を外した効果は原価に表れた。松田昌士氏によれば『モノを買ったりつくったりするコストは国鉄時代に比べ平均2割ぐらい安くなっています』[引用元](日経ビジネス 1998/04/27)。海外調達も年2億円程度から自社だけで80億円へ広がり[8]、新幹線の扉はフランス製、長野新幹線の推進装置はドイツ製[9]、英国製のディーゼルエンジンも導入している。予算の扱いも変わった。『国鉄時代には、何かをつくるとき『いくらかかってもつくるんだ』という発想でしたから常に、初めの計画の2倍ぐらいに経費が膨らんでいた』[引用元]のが、民間会社となって『この予算でやるよ、それでできないなら、やめるよ』[引用元]と言えるようになった(日経ビジネス 1998/04/27)。

  • 日経ビジネス 1998年4月27日号
    • [8]海外調達 年2億円程度から自社だけで80億円へ
    • [9]新幹線の扉はフランス製・長野新幹線の推進装置はドイツ製・英国製ディーゼルエンジンの導入

鉄道の外側にも布石は打たれていた。1988年4月、関連事業の推進体制を強化するため開発事業本部を設置し[10]、同月にバス事業部門を分離してジェイアールバス東北とジェイアールバス関東を設立した[11]。1989年4月にはジェイアール東日本高架開発(現ジェイアール東日本都市開発)を[12]、1990年3月に日本食堂の株式を取得し、同年4月に東京圏駅ビル開発(現アトレ)を設立している[13]。1988年5月にはジェイアール東日本企画を設立し[14]、広告の扱いも自社の系列に置いている。

  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1988年 開発事業本部を設置
    • [11]1988年 バス事業部門の分離(ジェイアールバス東北・関東の設立)
    • [12]1989年 ジェイアール東日本高架開発を設立
    • [13]1990年 日本食堂の株式取得/1990年 東京圏駅ビル開発(現アトレ)設立
    • [14]1988年 ジェイアール東日本企画を設立
  • 日経ビジネス 1998年4月27日号
    • [6]国鉄規格(JRS)の廃止と汎用品への切り替え
    • [7]車両発注のメーカー別シェア割りの廃止
    • [8]海外調達 年2億円程度から自社だけで80億円へ
    • [9]新幹線の扉はフランス製・長野新幹線の推進装置はドイツ製・英国製ディーゼルエンジンの導入
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [10]1988年 開発事業本部を設置
    • [11]1988年 バス事業部門の分離(ジェイアールバス東北・関東の設立)
    • [12]1989年 ジェイアール東日本高架開発を設立
    • [13]1990年 日本食堂の株式取得/1990年 東京圏駅ビル開発(現アトレ)設立
    • [14]1988年 ジェイアール東日本企画を設立

新幹線施設の買い取りと、250万株の売り出し

1991年6月、東北・上越新幹線の東京〜上野間3.6キロが開業し[15]、新幹線が都心へ乗り入れた。同年10月には東北・上越新幹線の鉄道施設を新幹線鉄道保有機構から譲り受けている[16]。発足時はリース方式で借り受けていた基幹資産を自社の所有へ移している。1992年7月には東北新幹線から奥羽線へ直通する山形新幹線の運転を始め[17]、在来線の軌間を広げて新幹線車両を直通させる方式を実用化している。鉄道の周辺機能も順に会社の形へ移された。1989年11月に情報システム部門を分離してジェイアール東日本情報システムを設立し[18]、1990年8月にジェイアール東日本ビルテック、1992年4月にジェイアール東日本メカトロニクスを設けている[19]

  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1991年 東北・上越新幹線 東京〜上野間(営業キロ3.6km)の営業開始
    • [16]1991年 新幹線鉄道保有機構から東北・上越新幹線の鉄道施設を譲受
    • [19]1990年 ジェイアール東日本ビルテック設立/1992年 ジェイアール東日本メカトロニクス設立
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書
    • [17]1992年 山形新幹線(東北新幹線から奥羽線への直通)運転開始
    • [18]1989年 情報システム部門を分離しジェイアール東日本情報システムを設立

1993年10月、日本国有鉄道清算事業団が保有する同社株式250万株が売却され[20]、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部と新潟証券取引所へ株式を上場した[21]。売却代金は国鉄の債務返済に充てられた。1993年3月期の連結営業収益は2兆3,388億円、経常利益は1,106億円であった[22]。前期にあたる1992年3月期の連結営業収益は2兆2,223億円、経常利益は1,168億円[23]であり、上場時点で2兆円台の売上と1,000億円台の経常利益を安定して出す事業体になっていた。

  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1993年 清算事業団保有の当社株式250万株を売却
    • [21]東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部および新潟証券取引所へ上場
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [22]1993年3月期 連結営業収益2兆3,388億円・経常利益1,106億円
    • [23]1992年3月期 連結営業収益2兆2,223億円・経常利益1,168億円
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1991年 東北・上越新幹線 東京〜上野間(営業キロ3.6km)の営業開始
    • [16]1991年 新幹線鉄道保有機構から東北・上越新幹線の鉄道施設を譲受
    • [19]1990年 ジェイアール東日本ビルテック設立/1992年 ジェイアール東日本メカトロニクス設立
    • [20]1993年 清算事業団保有の当社株式250万株を売却
    • [21]東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部および新潟証券取引所へ上場
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書
    • [17]1992年 山形新幹線(東北新幹線から奥羽線への直通)運転開始
    • [18]1989年 情報システム部門を分離しジェイアール東日本情報システムを設立
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書(連結損益計算書)
    • [22]1993年3月期 連結営業収益2兆3,388億円・経常利益1,106億円
    • [23]1992年3月期 連結営業収益2兆2,223億円・経常利益1,168億円

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東日本旅客鉄道の沿革1987〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1987〜1993年国鉄の清算として生まれ、鉄道の立て直しに集中した最初の七年住田正二国鉄分割民営化によりJR東日本を設立
住田正二東日本キヨスクの株式取得・子会社化
住田正二ジェイアール東日本高架開発を設立
住田正二駅ナカ・生活サービス事業による鉄道外収益の柱化

1990年に東京圏駅ビル開発(現アトレ)を設立して以降、JR東日本が駅という空間資産を物販・飲食・不動産へ収益化し、駅ナカ・生活サービス事業を鉄道外収益の柱に育てた面的な多角化。住田正二社長が掲げた駅空間の収益化構想から始まり、松田昌士社長による主要駅構内の店舗化、2005年のエキュート開業を経て、十数年かけて固まった多角化戦略である。

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★★★
住田正二東北・上越新幹線の東京駅乗り入れ開始
住田正二新幹線鉄道施設を新幹線鉄道保有機構から譲受け★★
住田正二山形新幹線の運転開始
松田昌士東京・大阪・名古屋の各証券取引所第一部に株式上場
1994〜2001年駅を資産と見立てた多角化と、三段に分けた株式の売り出し松田昌士秋田新幹線の運転開始
松田昌士北陸新幹線(高崎〜長野間)開業
松田昌士山形新幹線を新庄駅まで延伸
大塚陸毅Suicaの全面導入と、交通ICから電子マネー・生活決済への拡張

2001年11月18日、東日本旅客鉄道が首都圏424駅で非接触ICカード乗車券『Suica』のサービスを開始した経営判断。ソニーのFeliCaを用い、乗車券・定期券の代替として始めたこのカードを、2004年の電子マネー、2006年のモバイルSuica、2013年の交通系ICカード全国相互利用へと用途を広げ、改札の外側にある決済と生活サービスの基盤へ育てた。導入時の社長は大塚陸毅であった。

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★★★
大塚陸毅JR会社法の適用対象から除外★★
2002〜2019年完全民営化と、鉄道に次ぐ柱としての生活サービス大塚陸毅東京モノレールを子会社化★★
大塚陸毅三段に分けた株式売却と、JR会社法からの離脱

1993年10月の250万株、1999年8月の100万株、2002年6月の50万株という三段の売却で政府側の保有株をすべて手放し、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)の適用対象から外れた判断。国鉄分割民営化から15年を要している。株式の売却は国鉄債務の返済手段であると同時に、同社にとっては大臣認可の要らない経営へ移る手続きでもあった。

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★★
大塚陸毅東北新幹線(盛岡〜八戸間)開業
清野智清野智が代表取締役社長に就任
清野智東北新幹線(八戸〜新青森間)開業
冨田哲郎冨田哲郎が代表取締役社長に就任
冨田哲郎東急車輛の鉄道車両製造事業を取得★★
冨田哲郎北陸新幹線(長野〜上越妙高間)開業
深澤祐二深澤祐二が代表取締役社長に就任
2020〜2026年感染症が断ち切った鉄道収入と、二軸への組み替え深澤祐二コロナ禍で運輸事業が大幅減収
深澤祐二初の純損失5779億円を計上★★
深澤祐二駅ナカ事業の4社統合
深澤祐二二期で六千七百億円を失った後の、二軸経営への組み替え

2021年3月期に営業損失5,204億円・当期純損失5,779億円、翌2022年3月期にも949億円の純損失を計上し、二期合計で6,728億円を失ったことを受けた事業構造の組み替え。需要が感染症の前へ戻らないという前提に立ち、Suicaと生活サービスを鉄道と並ぶ軸として扱う組織へ再編した。

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喜㔟陽一喜勢陽一が代表取締役社長に就任
喜㔟陽一高輪ゲートウェイシティ──品川車両基地跡地の再開発と不動産第3の柱

総事業費約6,000億円を投じ、山手線の新駅・高輪ゲートウェイ駅(2020年3月開業)を核に、新幹線・駅ナカに続く第3の収益軸を都心の不動産・まちづくりで築く戦略である。構想は冨田哲郎社長の時代に動き出し、深澤祐二社長のもとで都心最大級の開発として動いた。

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★★★
出典・参考
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書(連結損益計算書)
  • 日経ビジネス 1998年4月27日号
  • 国鉄改革関連法(1986年)

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