東日本旅客鉄道三段に分けた株式売却と、JR会社法からの離脱

なぜ十五年をかけて政府保有株を手放し、認可の要らない会社になろうとしたのか

時期 1993年10月
意思決定者(推定) 松田昌士・大塚陸毅 東日本旅客鉄道 社長
論点 特殊法人としての制約からの離脱
概要
1993年10月の250万株、1999年8月の100万株、2002年6月の50万株という三段の売却で政府側の保有株をすべて手放し、旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(JR会社法)の適用対象から外れた判断。国鉄分割民営化から15年を要している。株式の売却は国鉄債務の返済手段であると同時に、同社にとっては大臣認可の要らない経営へ移る手続きでもあった。
背景
政府が株式を保有する限り、同社は特殊法人として扱われた。松田昌士社長によれば、監査役の選定、資金調達、3億円以上かつ3,000平方メートル以上の土地売却にはいずれも大臣認可が必要で、「これでは、業務を適時・適切にできない」状態にあった。長期債務の追加負担問題が持ち上がったのも、政府が株を持っていることが唯一の法律上の理由だった。
内容
1993年10月に日本国有鉄道清算事業団保有の250万株を売却して東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部と新潟証券取引所へ上場し、1999年8月に日本鉄道建設公団保有の100万株、2002年6月に残る50万株を売却した。2001年12月にはJR会社法の一部改正法が施行され、同社は同法の適用対象から除外された。
含意
大塚陸毅社長は「経営判断は間違いなくスピーディに、機動的になります」と述べる一方、制度上の制約より「足かせが存在するだけで、経営者は自己責任を貫徹しにくくなります」という点を重く見ていた。認可を言い訳にできる仕組みを外すことが、完全民営化の実質だったことになる。
筆者の見解

言い訳の余地を外すという実質

大塚陸毅が完全民営化の意味として挙げたのは、認可が外れて何ができるようになるかではなかった。「今までJR会社法の“足かせ”があって具体的にうまくいかなかったことは、幸いあまりなかったのですが、足かせが存在するだけで、経営者は自己責任を貫徹しにくくなります。つまり、今まではあそこが認可してくれないから仕方がない、と言い訳できるシステムでした。そんなシステムは必要ないのです」。制度が実際に事業を妨げた例は乏しかったと認めたうえで、責任の所在を曖昧にする余地そのものを問題としている。国鉄という組織が失敗した理由を、赤字の額ではなく責任構造に見ていた人物の言葉として読める。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

政府が株を持つ限り特殊法人だった

1987年の分割民営化で発足した同社の株式は、当初すべて日本国有鉄道清算事業団が保有していた[1]。株式の売却は国鉄の長期債務を返済する手段であり、売却の時期と株数は政府側の事情で決まる。同社にとっては、政府が株主であり続ける限り旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律の適用を受け、特殊法人として扱われることを意味した。

制約は日常の実務に及んでいた。松田昌士社長は1999年の時点で「現状では監査役の選定、資金調達、あるいは三億円以上・三〇〇〇平方メートル以上の土地売却も大臣認可が要る。これでは、業務を適時・適切にできない」[2]と述べている。さらに「長期債務の追加負担問題が出たのも、JRがまだ特殊法人だからだ。政府が株を持っていることが唯一の法律上の理由だった。民間会社にあんなことはありえない」[3]と、追加負担を求められた経緯そのものを特殊法人であることの帰結として説明した。

判断

十五年をかけた三段の売却

第一段は1993年10月で、清算事業団が保有する250万株が売却され、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部と新潟証券取引所へ株式が上場された[4]。市場に出た株の外国人持ち株比率は1998年時点で約18%に達し[5]、松田昌士社長は年に一度は欧米を回り、3か月ごとに国内系・外資系のアナリストへ説明する体制を敷いた。

第二段は1999年8月で、日本鉄道建設公団が保有する100万株が売却された[6]。松田昌士社長は「JRになって一三年、残る一五〇万株を全部放出して完全民営化したいと(政府、運輸省に対して)強くお願いしてきた」[7]と述べ、残る50万株の早期売却を求めている。同氏はさらに「全株売った後、あるいは売る直前でもいいが、JR会社法の適用除外にする法改正も必要だ。それで初めて普通の商法上の会社になり、条件が同じになる」[8]として、株の放出と法改正を一組の課題として扱った。

法改正が先に実現した。2001年12月に旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律の一部を改正する法律が施行され、同社は同法の適用対象から除外された[9]。第三段の株式売却は翌2002年6月で、日本鉄道建設公団が保有していた最後の50万株が市場へ出て完全民営化が成立している[10]。発足から15年であった。

結果

認可が外れて何が変わったか

大塚陸毅社長は完全民営化の直前、変化をこう説明していた。「現状ではJR会社法のもとで、いろいろな経営案件について、幾つもの認可手続きが必要です。完全民営化後はJR会社法の適用から除外され、普通の民営鉄道並みになります。経営判断は間違いなくスピーディに、機動的になります。潜在的な政治圧力や、政府の圧力などもほとんどなくなると思います」[11]。同時に、鉄道会社である以上は安全が最も基本的な課題であり、社会的責任を考えながら株主の期待に応える必要があるとも述べた。

完全民営化後も国土交通省がJR三社へ事業運営の「指針」を示す方向にあり[12]、他のJR各社との協力などが盛り込まれる見通しであった。大塚陸毅社長は営業協力や接続ダイヤの調整には応じるとしたうえで、「他のJR各社に対して具体的に援助や補助をすることは、株主の利益を損ねますので、まずありえないと思います」[13]と述べ、株主に対する責任を基準に線を引いている。2002年3月期の連結営業収益は2兆5,434億円、経常利益は1,358億円であった[14]

出典・参考
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊東洋経済 1999年9月11日号「編集長インタビュー 松田昌士 東日本旅客鉄道(JR東日本)社長 来年には完全民営化してケジメをつけたい」
  • 週刊東洋経済 2001年4月7日号「KeyPerson 大塚陸毅/JR東日本(東日本旅客鉄道)社長 悲願の完全民営化で経営スピードアップへ」
  • 日経ビジネス 1998年4月27日号「編集長インタビュー 松田昌士氏[東日本旅客鉄道社長]関連事業、若手と女性に期待 運賃はあと10年間据え置く」
  • 東日本旅客鉄道 有価証券報告書(連結損益計算書)

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