日本国有鉄道日本国有鉄道財政再建促進特別措置法に基づく10年計画の策定と、設備投資3兆7000億円・要員約6万人縮減の実施

輸送量は伸び続けるのか、伸びないのか——成長を前提に借入で設備を積んだ10年計画

時期 1969年5月
意思決定者(推定) 磯崎叡 総裁
論点 財政再建と設備投資
概要
1969年、日本国有鉄道財政再建促進特別措置法に基づき、1978年度までに損益計算において利益が生ずる状態へ財政を戻すことを目標とする10年計画を策定した経営判断。設備投資3兆7000億円と約6万人の要員縮減を同じ計画に並べた。
背景
1963年の国鉄諮問委員会答申が1970年度の完全な破綻を予告し、1964年度に純損失へ転落した。貨物のトンキロ・シェアは自動車に逆転され、長期債務残高は1968年度末に1兆9000億円へ膨らんでいた。
内容
1969年9月の閣議決定が再建期間中の設備投資を3兆7000億円とし、1970年2月に運輸大臣が承認した計画は1978年度の輸送量を旅客約2930億人キロ・貨物約960億トンキロと想定した。駅の約4割で業務の委託・集約を行い、退職者の一部不補充と合わせ約6万人を縮減するとした。
含意
輸送量が伸びず、給与ベースの上昇率も計画の8.5%を大きく超えたため、2年目の1971年度に864億円を超える償却前赤字が見込まれ、計画は挫折した。成長を前提に借入で設備を積む構造は、その後の再建策からも抜けなかった。
筆者の見解

検証されなかった前提

設備投資3兆7000億円と約6万人の要員縮減を一つの計画に並べられたのは、1978年度に旅客約2930億人キロ・貨物約960億トンキロという輸送量が実現する前提があったからである。ところが、貨物のトンキロ・シェアが1955年度の52.0%から1967年度の28.1%へ落ちた事実は、策定の時点ですでに数字として出ていた。それでも10年後の輸送量は1968年度の1.6倍に置かれた。葛西敬之氏が後年、成熟産業に成長する絵を描いたために計画が全部狂ったと説明したのは、この一点を指している。

ただし、輸送量の見通しだけを咎めるのは公平を欠く。計画の基本方針を決めたのは政府であり、特別措置法の施行以後、国鉄には計画とその実施をめぐる自主性がほとんど残っていなかった。赤字が広がる最中に全国新幹線鉄道整備法が成立し、東北・上越・成田の建設が始まった経緯も、国鉄一社の判断では説明できない。誤算の所在は輸送量の見積もりにあり、誤算を止められなかった理由は、投資と要員を決める権限の所在にあったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

破綻を予告した1963年の答申

1963年5月10日、国鉄諮問委員会が答申書を国鉄総裁へ提出した。委員長は日本化薬社長の原安三郎氏である。運賃水準を据え置き、ベースアップがそれまでの趨勢をたどると仮定して1970年度を試算すると、年収8189億円のマンモス企業になる一方、営業経費と借入金の利子を支払ったあとに残るのは72億円にすぎない。輸送需要に追いつくには年3300億円の新規投資が要り、借入金残高は2兆4000億円に達する。答申はこれを経営の完全な破綻と断じた[1]

答申は原因を、公共性の名のもとに過大な公共負担を負わされ、他方では国会による運賃決定や財政上の自主性の欠如によって企業性をはばまれている点に求めた。警告は数字で裏づけられる。国鉄は1964年度に300億円の純損失を出し、以後4年続いた赤字で、1963年度に1595億円あった繰越利益金を使い果たした。1966年度の監査報告書は、国鉄財政が重大な段階に直面し、独立採算制のもとにおける経営も限界に立ち至ったと記した[2][3]

貨物の逆転と、人件費の膨張

収支の悪化の裏では、輸送市場そのものが入れ替わっていた。1955年度から1965年度にかけての旅客輸送の年平均伸び率は、定期航空が29.5%、乗用車が25.5%であったのに対し、国鉄は6.6%にとどまる。貨物ではさらに差が開いた。1966年度に自動車の649億トンキロが国鉄の559億トンキロを上回って順位が入れ替わり、国鉄のトンキロ・シェアは1955年度の52.0%から1967年度には28.1%へ落ちた[4]

支出の側では人件費が膨らんだ。損益勘定の人件費は1960年度の1863億円から1967年度には3849億円へ倍増している。職員数は44万6000人から45万8000人へ5%増えたにすぎず、1人当たりの業務量はむしろ増えた。効いたのは単価で、職員1人当たりの人件費は1955年度の31万8500円から1967年度には106万5000円になった。長期債務残高は1967年度に1兆6000億円、1968年度末には1兆9000億円へ達した[5][6]

決断

推進会議の意見書から特別措置法へ

1968年4月9日、政府は産業界・学界・言論界の学識経験者からなる国鉄財政再建推進会議を設けた。同年11月1日の意見書は、経営の破綻という当面の緊急事態を回避しつつ、国鉄みずからの徹底的な経営の能率化・合理化と、国および地方公共団体の財政援助、そして運賃改訂をあわせて行う必要があるとした。再建の目途は1978年度に置かれた。政府はこれを受け、臨時国鉄問題閣僚協議会での検討を経て立法へ進んだ[7]

日本国有鉄道財政再建促進特別措置法案は1969年2月7日に第61回国会へ提出され、約3か月の審議を経て5月9日に可決、法律第24号として公布・施行された。第2条は、1978年度までに損益計算において利益が生ずるよう財政の健全性を回復することを目標に据え、再建期間を1969年度以降の10年間と定めた。可決前日の参議院運輸委員会は、地方の赤字線の存廃の慎重な検討、公共負担など財政圧迫要因への措置、労使間の円満な協力体制の維持を含む5項目の付帯決議を付した[8][9]

3兆7000億円と、約6万人

基本方針を定めるのは国鉄ではなく政府であった。特別措置法の施行以後、経営計画とその実施をめぐる国鉄の自主性はほとんど失われる。1969年9月12日の閣議決定は、再建期間中の設備投資を3兆7000億円とし、労働集約的な経営から装置産業型への脱皮を国鉄に求めた。国鉄が策定した財政再建計画は1970年2月19日に運輸大臣の承認を得た。輸送量の目標は、旅客が1978年度に約2930億人キロ(1968年度比158%)、貨物が約960億トンキロ(同163%)である[10][11]

3兆7000億円の内訳は、通勤輸送に約5500億円、新幹線に約9300億円、幹線輸送力増強に約1兆1400億円、その他の合理化・近代化に約1兆800億円であった。山陽新幹線は1972年に岡山、1975年に博多まで開業させ、1974年度を目途に無煙化とCTC化、ヤード自動化を進める。設備を積む一方で人は減らす。駅配置を再検討して最終年度までに約4割の駅で業務の委託や取扱いの集約などを行い、退職者の一部不補充と合わせて約6万人の要員を縮減するとした[12][13]

結果

2年目の挫折

1969年度に発足した財政再建計画は、2年目にして重大な危機に直面した。輸送量が伸びずに運輸収入が停滞する一方、経費は想定を超えて増えた。計画値との齟齬がとりわけ大きかったのは貨物収入と人件費支出である。給与ベースの上昇率は、計画の8.5%に対して1970年度が15.0%、1971年度が14.0%であった。旅客の側でも、モータリゼーションの進展によるローカル線区と定期旅客の減少が目立った[14]

1971年度予算の編成過程で、同年度末に864億円を超える償却前赤字の発生が避けられないと見込まれた。減価償却費を積めないどころか日々の経費さえ賄えない事態であり、国鉄が創立以来直面した最大の危機であった。1969年度を初年度とする再建計画は、ここではやくも挫折した。1971年度に講じられたのは応急の措置で、財政再建補助金の230億円への増額、1950年以来20年ぶりとなる政府出資金35億円、合理化促進特別交付金16億円が並んだ[15][16]

成熟していた鉄道に、成長する絵を描く

計画がなぜ狂ったのかを、国鉄出身の経営者が後年に言葉で残している。1963年に国鉄へ入った葛西敬之氏は、東海旅客鉄道社長であった1996年、1960年代に本格化した設備投資のうちインフラ部分は利用者負担で賄えず、物価も運賃も抑えられていたため借金に頼ったと説明した。返済の計画として輸送量の増える10年計画を描いたが、鉄道はその頃すでに成熟産業で成長が鈍化していた。成長する絵を描いたために計画が全部狂い、借金が増えたというのが葛西氏の見立てである[17]

それでも建設は縮まなかった。1970年5月13日に全国新幹線鉄道整備法が成立し、1971年4月1日には東北(東京-盛岡・8350億円)・上越(東京-新潟・5800億円)・成田(2050億円)の整備計画が決まった。財政の側では、1973年度の累積赤字1兆5955億円が資本金と資本積立金の合計1兆5896億円を上回り、人件費は営業経費の55%から75%へ上がった。1985年の再建監理委員会は、1969年度以来の再建対策がいずれも中途挫折したと総括し、借入金が利子を生んで赤字を増やし、さらに借入金に頼る悪循環を指摘した[18][19][20]

出典・参考
  • 日本国有鉄道百年史 第12巻(日本国有鉄道、1973年)
  • 国鉄改革(日本国有鉄道再建監理委員会、1985年)
  • 日経ビジネス 1996年7月15日号
  • 日経ビジネス 1974年9月16日号
  • 日本国有鉄道監査報告書 昭和54年度

この決断を下した社長 磯崎叡

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